音楽の学習であったりとか、古典資料を置いている頁です。
録音などの資料は、中国民族音楽の録音にまとめています。
二胡は古典音楽に適しています。「古典音楽」と「古典作品」は、二胡単体だけで演奏作品として成立するかどうか、という相違があります。二胡は弦を擦って1つの音を出します。それだけですからピアノや打楽器のような伴奏が欲しくなります。しかし古典音楽は一切の伴奏を必要とせず、独力で演奏芸術とします。そこには非常に大きな違いがあります。古典曲が"古典"とは限りません。それは旋律が古いというだけです。一方、現代曲を古典音楽にすることはできます。しかしそれは極めて困難で、だからこそますます古典の偉大さを感じるのです。1つ1つの作品が宝なのです。音楽をどのように演奏すべきなのか、重要な示唆を与えるものです。
もし古典をやらなければ、どうなるでしょうか。たとえば劉天華で、小店提供の譜以外にも一般に出回っている譜があります。見れば違うのはわかります。「違うからどうした?」となります。よく言われます。いやいや、その意味を追求するのが演奏芸術なのですが・・。弦楽演奏は弓の方向を逆にするだけで全く違う音楽になるので、これは西洋も東洋も同じで奏者はかなり研究します。どこで弓を返すかというそれだけで時に長時間の議論になります。論文まで書かれたりします。しかし演奏技術が乏しいと、弓の方向がどちらだろうが全く変わりません。ベタっと音を潰して擦っているだけだからです。これでは何もわかりません。だけど誰でも最初はそうなので、とりあえず前進しなければなりません。そこで古典をやっていないと、10年後でも進歩がなく今のままという浦島太郎的ホラーとなります。上手いのですが何か違う、何がおもしろくてやっているのかが見えてこない感じとなります。そういう人を見られたことがあると思います。あなたもそうなります。弓の方向だけではありません。右手だけではありません。左の方が多いのです。
胡琴古典曲の原作は非常に古いものです。それらは旋律が残されているのみで、その素材を使って奏者が即興的に演奏作品に仕立てていました。そういう意味ではジャズのようなもので、完成した作品を何度も演奏するというものではありませんでした。やがて西洋クラシックの影響で”作品”を纏めるという概念が生まれたこと、またレコードの時代に入ったという諸条件の影響で、1912年の清朝滅亡より少し前の混乱期から大躍進時代59年頃の大飢饉までの約50年で多くの作品が整理されました。
中国胡琴は複数の種類がありますが、大抵はまず二胡から入門します。そこからさらに板胡、高胡、京胡に進むこともあります。二胡は他の弦楽器に比べて比較的癖がないので様々な楽器の作品を演奏することが可能です。中国の胡琴奏者がこれら全てを演奏するということはほとんどなく、個人の嗜好や出身地、住んでいる地域に基づいて二胡のまま留まるか、異なる楽器に移行します。しかしいずれも似た楽器ですので、どれかができれば演奏自体は割と容易に可能です。
楽器を手にするか歌唱や舞踊の練習をすると同時に「音楽理論(和声学)」を習得しなければ、本当の意味で理解できません。また理論は、その道の人たちの中での共通言語でもあります。ひらがなのようなものです。最初の段階では理想的なハーモニーから入るため、禁則が多かったり、こうあるべきという決まりが多くあります。その分、わかりやすくなります。これが音楽における一般常識です。そのため最初に和声楽からといたしました。
二胡奏者の多くは、古典芸能に親しむために二胡を手にしたわけではないので、一般のカリキュラムは古典作品を少し扱う程度の内容になっています。一部の学者肌の人々が古典に分け入るとされてきましたが、その数も時代と共に減少し出版されていた本も中国で徐々に廃版になってきました。本があっても老師がいないと理解できず、数寄者の中での交友がなければなかなか理解できるものではありませんでした。古典に進むのなら古琴でした。胡琴の古典演奏は絶滅に近い状況にあります。しかし胡琴古典は、眼も眩むような美しさがあります。老師がいなくても理解可能な譜を提供することで、初級を過ぎた奏者が古典と向き合えるようにいたしました。
| A | 音楽理論 | 西洋と中国の音楽理論について | ||
|---|---|---|---|---|
| B | 中国伝統音楽の分類 | 中国と周辺の各地の音楽 | ||
| C | 調弦 | |||
| D | 把位 | |||
| E | 音程 | |||
| 00 | 周少梅編集譜 | 古典学習者のための入門用練習譜 | おそらく単冊 ¥? 03が終わってから |
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| 01 | 蒋風之傳承譜 |
蒋風之古曲
楊蔭瀏古曲
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2冊組 ¥3,350 2023年11月 |
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| 02 | 劉天華 |
中欧折衷十曲
陳振鐸古曲
付録
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2冊組 ¥3,350 2025年5月 |
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| 【古典音楽の基本奏法解説はこれより 下では掲載されず、各分野で特徴と なっている奏法のみを記載します】 |
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| 03 | 阿炳 |
二泉映月 寒春風曲 聴松 |
2冊組 ¥? |
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| 04 | 孫文明 | |||
| 05 | 江南絲竹 | |||
| 06 | 広東音楽 | |||
| 07 | 梆子 | |||
| 08 | 京劇 | |||
| 101 | 越中おわら節 | 2024年5月 |
こちらは、一般的な「紫竹調」の譜です。また、異なる"一般的な"紫竹調の譜もネット上で容易に見つかります。曲牌の骨格は決まっていますが詳細は奏者の自由なので、いずれの譜も結構なものです。だからといって完全に自由ではなく、暗黙に了解されている法則を無視することはできません。しかしそれは”了解済み”であるため、譜には記載されていません。ある一定の水準の奏者にとって見やすいのがこの譜です。

二胡は無伴奏で演奏されることの多い楽器で、単音の旋律を様々な技法で装飾します。劉明源が中国音楽学院民族楽団と共に1994年に録音した、今となっては「クラシックな」演奏があります。この演奏の特徴はまずテーマを全体で斉奏し、3つの楽器が交代でソロをとります。これを2回繰り返してまたテーマの斉奏で終了しています。つまり合奏ではありますが、ソロの部分も混じっています。ソロは無伴奏でも演奏可能な内容です。1:56のところを確認してみて下さい。録音への入域は、どちらも「cyada.org」です。諸外国(中国ではない)からの音源へのリンクでサイトが重くなるので、嫌がられるワードにしてあります。
0:00 合奏
0:39 笛子(張維良:37歳)
1:19 琵琶(楊靖:女流 29歳 劉徳海の弟子)
1:56 二胡(劉明源:63歳)
2:33 合奏
3:12 笛子
3:52 琵琶
4:30 二胡
5:09 合奏
この演奏が、”正統”というわけではありません。これはこれで1つです。別の人の演奏を聞くと内容が違っています。演奏する度に違ってしまうという人も多いです。ですが、その根底には法則があります。法則を把握するためには、理想的であると同時に含蓄のある花点(装飾)が施された芸術作品を手本にするのが好ましいものです。それを辿れば自ずと法則が理解できるようになります。
田舎に住んでいるなど諸事情で、選択できる方法は独学のみということもあります。これは文化が身につかないというデメリットがあります。小手先だけになってしまう傾向があります。動画も一方通行のコミュニケーションです。世界の古典の傳承法は、昔から師弟関係を通じて学ぶ形式になっていました。住み込みもありました。本など、生身の人間以外のものから学ぶということはありませんでした。
師弟関係以外の方法が成功しなかったことで徐々に方法論が集約されたと考えられ、もしそうでなければ世界各地の古典音楽が同じ方法を採用している理由が見つかりません。
独学の問題を回避するためには、最初の基本設定が重要です。そのことが世阿弥「風姿花伝 - 花伝書別紙口伝 六 秘めた花を知る事」にあります。赤は本文です。文章を少しわかりやすくしてあります。
秘めた花を知ること、秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず。この境を知ることが肝要なり。そもそも諸道芸において、その家々に伝わる秘事というのは、秘することによって大きな効果が有るが故なり。秘事という事を顕らかにしてしまえば、その価値無きものなり。それを大したこと無しと言う人は、未だ秘事の効用を知らぬが故なり。
古典の様々な技法は、楽器を演奏するという”運動能力”さえあれば可能で、その道理にも一貫性があるため、しばらく様々な作品に接していれば、そのうち何となくわかるものです。そのため、本に全てを書いてしまえば、確かに誰もが可能になります。1つ1つは何も難しくはないからです。そのため大多数の人はその価値を軽視します。ただそれだけのことか、とも思います。短期間でできるようにもなっていきます。しかしそれではmidiと大きく変わりません。これこそが独学の問題です。
花とは珍しきものぞと、誰もが知るならば、さては珍しき事有るに違いないと確信した見物衆の前にては、仮りに珍しき事を為るとも、見物人の心に珍しき感は有るべからず。見る人が花と知らないものこそ、演者の花に成りにけり。されば、見る人はただ思いの外に、面白き上手とばかり見て、これが花ぞとも知らぬが演者の花なり。さるほどに、人の心に思いも寄らぬ感動を催す手立て、これ花なり。
古典の技法の多くは現代では使われていませんので、珍しい技が多数見つかります。妖艶な中華音楽を彩るものなので、聴衆に対してわかりやすいものでもあります。しかし同じことをやっても、感動するものとそうでないものがあります。その感動こそ花であると言っています。
では、花はどのように見つけるのでしょうか。これは生き方や人格、人生経験など、その人そのものなので、芸事とは直接の関係はありません。しかし一歩進んだ時にそれを表現する方法を教えるのが古典であるため、互いに依存する両輪です。古典によって人間性が修正されることもあります。この概念はどのようにすれば持つことができるのでしょうか。
古典の演奏技法の多くは決して難しくありません。書いてあるから、先生から言われたのでできました。しかしそれを自らが創造し、それが不朽性を宿しているのか判断することは可能でしょうか。この観点を持てば、軽く見えたものがより重みを以て迫ってくる筈です。これがあるから古典をやるし、子供にもやらせます。古典が数百年の風雨に耐えた理由です。極上のワインは荒地で作られたブドウです。しかし荒地でどうやって栽培するのかノウハウは必要です。ノウハウはあるが環境は悪い、環境を嘆くのはもはや現代では言い訳となりつつあります。恵まれすぎた環境の方が難しいことすらあります。肥沃な土壌からなかなか巨匠は出ません。ある程度の年齢で人生経験豊富ともなりますと、むしろ独学で良いのでは?というぐらいと思います。