中国胡琴音楽古典譜 蒋風之傳承譜 - 二胡弦堂


中国胡琴音楽古典譜 蒋風之傳承譜


 中国拉弦楽器の古典は戯劇や歌伴奏でしたが、西洋文化の影響で弦楽器単体での作品という意識が生まれました。そのことによって古典の様々な作品が拉弦楽器による無伴奏のために整備されました。その中で最も優れたものは蒋風之です。そしてそれは中国拉弦楽の基本原則が収められたバイブルとなりました。民国期特有の濃厚な薫りに彩られた作品群は刺激的で咽せ返るような中華の味わいに満ちた胡弓作品の究極です。追加情報

 中国胡琴音楽古典譜 蒋風之伝承譜 
  ¥3.350 A4 表紙も含めて40頁 x 2冊組

 3頁以上の作品は演奏中に頁をめくる必要がないように2分冊とすることで同時に開けるようにしました。曲の1ページ目は必ず第一巻の方に置き、第二巻でも同じページに置くことで目次を参照する必要がないようにしています。

原始譜と完全演奏譜

 中国音楽は、原始譜という骨格だけが書かれた譜が伝統的に保存されていて、そこから演奏作品を作ります。創造性は演奏技術の重要な部分です。創造性と言いましても様式は決まっていますので、一定の枠内の自由の中で演奏作品を作ります。これは当地の音楽をよく知れば自ずとわかることなので、それについては譜に記載はされていない、書かれていなくても理解でき、またそこからの可能性も見えてくるというものなのです。一見、難しそうに感じられますが、そうではないから伝統的にこうなっているという見方もできます。わかってしまうと譜はすっきりしている方が良いものです。

 エジソン以降、録音技術が発展し、演奏が記録として残されるようになったことで、不滅の価値を持った作品が多数保存されるようになりました。水準が高まっていく中で、演奏会でも質の高い作品を作り上げる必要が生じ、その対策として過去の優れた録音からのコピーが多くなってきました。巨匠たちの演奏は優れているのだから、そのまま写せば良いものができるというわけです。欧州の地方オペラハウスが没落したのはこれが原因の1つです。驚くほど良くない、全くの表面だけで魅力がないのです。中国でも非常に強い抵抗があり、原始譜を廃して全てを記載した完全演奏譜のようなものは害しかないという見解で統一されています。

楊蔭瀏
 中国音楽研究所所長・楊蔭瀏は、このような考え方に理解を示しながら、それでも完全演奏譜提供は止むを得ない、しかし原始譜から作品を観ることが担保されていなければならないというようなことを言っています。原始譜から作品を作り上げることは変わらないのですが、そこからどのように作品を作るのか、優れた例を観る必要があり、そうでなければ創造性は育まれないということです。巨匠たちはというと様々な完全演奏譜のようなものは多く接して、また交流もして最高の演奏を目指します。まずは良質なもののコピーから入るのが学習です。この考えに基づいて制作された楊蔭瀏録音の《二泉映月》など阿炳の諸作はかなりきちんとした譜が用意され、そのため現代の人々が難なく演奏しています。《漢宮秋月》についても蒋風之の説明が詳しいので問題となっていません。しかし最終的には原始譜から演奏作品を作り上げることが求められます。

 蒋風之自身が出版していた譜は、原始譜でも完全演奏譜でもない、原始譜に肝心な注釈を加えたものでした。作品の捉え方の基本として伝統的に正統な情報が記載されることで演奏者の創造性をサポートしていました。しかしそれはガイドラインであって、蒋風之自身の録音はその枠組みから離れたものもあります。演奏する度に違っていたのかもしれませんが、少なくとも残された録音に関しては十分に推敲されているように見えます。これは例えば「愛してる」という言葉で考えると、映画を見てこの上なく素晴らしい言い方、表現の仕方に目覚めたとします。これ以上はないと。しかしロボットのように常にそれをコピーすることはありません。なぜなら本質こそが重要だと理解しているからです。蒋風之は完全演奏譜ではなく、人々が本当に作品を表現できるために適切な譜を残しました。ですが、彼が残した録音があまりにも美しいので我々が幻惑とか魅了、啓示とも表現可能なインパクトを受けてしまい、圧倒されて自分の理解とか表現が入る余地はなく、それ以上は何もないように感じられます。巨匠芸術の特徴です。本書はその蒋風之の演奏を詳細に記述したものです。しかし上述した通り、巨匠芸術の録音を聴いてコピーするようになってから伝統芸術は魂を失ったのではなかったでしょうか。コピーが目的になったなら確かにそうなるでしょう。中国のコピー文化はユネスコが登録している分野もあるぐらい芸術的に価値があるものもあります。しかしどんなものに対しても価値を生むわけではありません。蒋風之はこのことを十分に理解していたため適切な譜を残しました。ですが、コピーは過程とし、最終的に理解することが目的であれば完全演奏譜は大きな価値があります。例えば西洋音楽であれば、奏法を詳細に記述したものは不要です。録音があれば十分です。どのように演奏しているのかもわかります。しかし中国弦楽は録音ではどんな指法弓法を使っているのか学習者には聞き取れません。どうやって蒋風之がこのような音を出しているのかわかりません。完全演奏譜がなければ巨匠演奏の要諦が奥義になってしまい、全く理解することができません。楊蔭瀏が言っているのはこのことです。本書では蒋風之譜の味も残す意味で、譜と録音が違う部分は併記しています。しかしほとんどの箇所は”花”が省かれているか違うだけなので併記していません。骨格の見方についても少し説明を加えています。

 高い技術を持たれた奏者は、すぐに全て演奏できるかもしれませんが、まずは装飾を外した無味無臭の骨格だけを演奏することが伝統的に推奨されています。見て確認だけでも結構です。初級からやるのが理想なので初期の教学ではそのように行なわれていました。初級には装飾は難しいので外す傾向で、そこから徐々に加えていました。このようにして様式を身につけていました。うちの老師・沈立良はこのやり方を強く主張、原始譜が大体演奏できる状態で老師に会ったら装飾は入れさせられていました。伝統的にはこういう学習法なのです。そしてコピーできてから、それからです、創造は。それもまずはコピーができないと前進がありません。もし蒋風之の作品全てをなぞったら、中国音楽の何たるかを理解したような錯覚を感じるに違いありません。その感触が必要です。そしてやがてそれは錯覚ではないことに気が付くことになります。


 目次は、曲譜と奏法だけです。その他の資料はリストしていません。

 蒋風之17曲のうち、曲譜が出版されていたのは15曲で、録音のみ見つかっているのは《瀟湘水雲》と《風雷引》です。古典音楽を学ぶために必要との判断で選ばれた15曲なので、録音のみの2曲は学習向けとは見做さなかったようです。ですがこの2曲も十分に中国の薫りがあります。演奏会ではこの2曲の方が良し、という印象です。

 《瀟湘水雲》原曲は琴譜ですが作曲年代は南宋、紀元1200年ぐらいの古曲です。古くは《神奇秘譜》に所収され、その後多数の琴譜に掲載、幾つもの異版があります。またその旋律は、海を超えて「トーランドット」第三幕のリューのアリアにも採用されています。

 蒋風之の《瀟湘水雲》は譜がこれまで公開されたことがありません。理由は不明ですが推測するに恐らく本曲に対する蒋風之の訂譜が古典から少し離れるのではないかという疑念をご本人が抱いたからではないかと思います。しかしそうであるとすれば現代の感覚ではこの考えは古いという印象です。我々は故きを温ねたいのだから古くて大いに結構なのですが、しかし本作は蒋風之全作の中で屈指の傑作であることを思うと、これまでの出版に含められていなかったのは残念なことです。現代の我々からすると濃厚で古風な薫りをどの小節からも感じるし、様式とは自由を得るためにあるのだという本質が溢れている点で弦楽芸術の極致とも言え、古典が本来到達せなばならない何かを示す指針として歴史的作品と評価できるものです。  この傑作に彼の秘術を駆使したものがどのような風景を魅せるのか。東洋弦楽芸術の至宝をお楽しみ下さい。

 蒋風之は1954年3月27日、中央民族音楽研究所成立典礼音楽会に登壇し、查阜西(蕭)、毓邻初(琴)との合奏で、春秋戦国時代の作品《風雷引》を演奏した実況録音が残っています。ムーディーな典礼曲ということで、付録の前、本編の最後に置くことに致しました。

 査阜西は古琴の巨匠で、録音有史以来、3傑に列せられる演奏家で、学術研究でも貢献が大きい巨人です。ですが、他に琴奏者、例えば自分の弟子などがいれば蕭をやります。蕭も好き。蒋風之と2名であれば琴、更に琴奏者が来れば、本録音のように蕭です。香港の学生が演奏する琴を中心に据えて査、蒋両巨匠がサポートする至芸を堪能できます。

 周公東征を題材にしたもので、討伐軍を力強くも楽しそうにやってくる暴風と雷に例えています。東方の貴族や蛮族を討ち、鎬京(長安)に凱旋するというストーリーで、凱旋の音楽は上述の「トーランドット」第二幕の皇帝謁見の場面で使われています。雄大な自然の中に神を見るような大きな表現でありながら、表面的には飄々とした軽やかさで何気なく流れる愉悦感に満ち、その余韻は何かを賛美するような高揚感の残り香、そんなもの凄い演奏です。実に濃密な4分です。これを胡琴1本で演奏できるようにしました。中国音楽アンサンブルは和声ではなく、音を増やすか減らすかなので特に問題はありません。

 練習課題をある程度こなして楽器が扱えるようになれば、どんな曲を演奏させれば良いのか、これが難しいということで、劉天華の弟子・儲師竹が1946年に出版した《国楽》には楊蔭瀏から提供の3曲が所収されていました。さらにこれも楊蔭瀏提供の可能性がある《後満庭芳》もありましたので、それらのファクシミリ版を付録で追加しました。この儲師竹と楊蔭瀏のコンビは50年に二泉映月など阿炳3曲を発表しましたが、それより少し前のものです。これらの作品はまず蒋風之古曲をやってからの方がよくわかると思います。

 録音への入域は、どちらも「cyada.org」です。

蒋風之 高山流水 4.2M
  悲秋 2.6M
  鴎鷺忘飢 5.8M
  鴎鷺忘飢 4.7M
  関山月 2.4M
漢宮秋月 6.1M
  潇湘水雲 2.5M
  薫風曲 5.8M
  花歓楽 4.7M
  梅花三弄 4.9M
  喜山園 2.0M
  玉関花 1.2M
  雲慶 2.1M
  四合如意 3.1M
  三宝佛 5.4M
  浄水瓶 2.2M
  落花 2.4M
  風雷引 3.9M
楊蔭瀏 漢宮秋月 15.9M
  陳隋古曲51年 7.9M
  陳隋古曲54年 10.2M

 録音に関しては権利関係について考えなければなりません。これら50年代のテレビ局による収録ですが、誰の所有かよくわからない、この音の悪さですから商品価値もありません。89年のソ連崩壊で、人民解放軍の影響力が低下して不満が高まりました。この影響力というのはどこの国でも同じですが予算です。そのため鄧小平は、軍にテレビ局を与え収入源を安定させて今に至っています。その以前は? というと今はその体制はありません。そこでネット上で聴けるようになっております。

 すでに停止になっていますが、この本が出版されたのは89年で、蒋風之死後3年が経過した頃でした。出版の準備は大分前から進められていたようで蒋風之自身によって前書きが書かれたのは84年でした。この前書きがかなり有意義なのでここに翻訳を掲載致します。

        前言
 1929年、私は幸運にも国楽大師劉天華先生に学ぶことができ、先生の人格や慎み深い学習姿勢がわたしたちの国の民族音楽の発展に寄与したこと、二胡演奏芸術に対するたゆみなき前進、思索、革新の精神を賜って、私はとても大きな影響を受けました。先生が亡くなられてから、私は先生の意思を継承する意思を固め、かれこれ幾つかの学校で二胡を教授し、同時に二胡を改良するための仕事にも携わって、ついに50年の月日が過ぎました。私は年の暮れに、自身の二胡演奏芸術の経験と体得した事柄を慎んでここにまとめます。
 50年に亘る教授と演奏の経験から、私は二胡を演奏することが技術的に正しい方法が必要であるだけでなく、同時に芸術表現をも重視しなければならない、この2つが不可欠であることを深く感じます。私はこれまで一部の学生が技術的に正しい演奏方法を理解していなかったことで最終的に別の道に進まざるを得なかったこと、また別の学生がただ単純な技巧訓練だけを行い、芸術表現を省みず、ついには匠になりえなかったことを見てきました。これらの教訓によって、私は残りの半生で、この事柄に係る幾つかの問題を特に重視してまじめに追求するようになりました。
 この本の第一部分では正確な演奏方法を解説し、同時に幾つかの方法で分析を行い、技術の至らない原因がどこにあるのかを説明しました。
 第二部分では17首の二胡曲を紹介しました。楽曲の内容と様式から始まって、私自身の理解を詳細に解き明かし芸術的な処理を会得できるようにしました。これらを同じ志の人々の参考のために提供します。
 第三部分は私が長年使ってきた演奏、教授のための譜面です。
 私はこの本を二胡演奏、教授事業のために捧げます。読者の助けになることを願っています。
                          蒋風之
                          1984年秋 中国音楽学院にて