中国胡琴音楽古典譜 周少梅編集譜 - 二胡弦堂


中国胡琴音楽古典譜 周少梅編集譜


 古典学習者のための入門用練習譜です。

 楽器の学習は技術と共に様式を学ばねばなりませんので、技術に特化したものでない限りは、場合によっては技術にフォーカスされた練習曲集であっても、中国音楽の様式を取り入れることができるように作られています。20世紀初頭はまだ作品も作られ始めたばかりでしたが、徐々に素材が豊富になり、今ではバランスの良い教本が多数出版され、評判の良いものは変えずに何十年も増刷されています。

 一番古い最初期のメソッドは周少梅と劉天華によって作られたもので、実験的、不完全なものでした。学校の教科書だったので、先生の指導の下に使用される前提だったことで、現代では常識となっている最初から順番に取り組めばレベルが少しつづ上がっていくといったようなものではありませんでした。一種の作品集のようなもので、おそらく先生が作品を指定しそれを生徒が取り組むというような使い方だったのではないかと想定されます。少なくとも独学ができる程度に整理されたものではありませんでした。

 それから劉天華が亡くなり、教育が弟子らに引き継がれた時、彼らによって現代的な教本に整備されていきました。その基本的な考え方は、入門においては劉天華による47の練習曲で十分というものでした。学習者に若い人を想定して、大量の練習曲は必要としていなかったのかもしれません。或いは別の角度から観ると、現代の教本に載せられている47の練習曲はかなりの曲が削除される傾向なので、47というのは結構多いとも言えます。

 蒋風之の場合は、初級を超えたぐらいから傳承譜に入っていました。現代では考えられませんが、しかし世界的に伝統音楽というのは今でもこういうシステムです。中国の場合は西洋に近づける指向なので、バイオリン教本のようなものが多数作られていますが、本来は違っていました。元に戻した方が古典を学ぶのに適切ではないかということで、それを復刻しようというのが本書です。傳承譜は蒋風之が選んだ作品が所収されているものなので、まだ他にも選ばれていない様々な作品があります。それらに接して慣れてから蒋風之傳承譜に進むという流れです。

 この古いシステムは、楽器を学ぶという概念が希薄です。現代では例えば「二胡を学ぶ」とか楽器の奏者になることが中心の考え方ですが、昔は「中国伝統音楽を嗜む」でした。これが大前提で、そのために「必要だから二胡」でした。基本概念が全く異なっています。そのため、プロの奏者になるなどの目標があれば現代のメソッドの方が良さそうです。

 中国は長らく貧しかったので、楽器を手にするということは、それで生きていくという決意表明でした。趣味という概念は近年までありませんでした(今でも?)。ですから現代中国のメソッドはそのニーズに対応したものであるのは当然です。しかし劉天華はとにかく中国文化擁護のために戦っていた人なので、プライオリティが根本から異なっています。それが曲集の成り立ちの大きな違いを生んでいます。日本でも職業家を目指している方々はおられるとは思うのですが、本業は別にあって芸術は教養の一環だと、そのような方の方が多いと思います。競争はしない、評価も要らない、ただ嗜んでいるだけ、なのに中国伝統音楽はよくわかってなくて二胡はやっているというのは非常に奇妙なので、演奏がものすごく上手になる必要はないけれども、一応文化人にはなっておかないとおかしいと、その場合は現代メソッドは合ってはいないでしょう(現代の方もできればやっておきたいものです)。

 これは中国だからというのではなく、純粋に経済の問題と思います。古琴は裕福な人たちの趣味で、職業演奏家の概念も基本的にはありません。作品1つ1つに向き合う形です。日本の伝統芸能も同じです。胡琴の初期も同様で、周少梅-劉天華-蒋風之の系譜は経済とは無縁です。しかしこれらは茶館や座敷とは好相性です。忙しくてお茶を飲む時間もない現代人に理解は難しい、茶もやっていないとよくわからないという面もあります。そして文化的に上流の人々、経済的には貧しい人も含まれますが(裕福な人々が世話)、その人たちの範囲だけで、クローズドで行われます。そのため師匠のルートからそこへ入っていきます。あるいは認められて招聘されます。これは世界共通です。無料(主催者が全額負担を名乗り出る)か有料でも少額が多い傾向です。高尚なものは一般の人にはわからないので、自然とそうなっていくのです。わからないとか否定的、理解できない人は一人であっても、非常に空気を乱すのです(完全に沈黙していても邪魔になります。不思議なもので)。そのため一定の素養をコミュニティから評価される必要があります。米国発祥の売上でランキングのような現代のシステムとはかなり違っています。

 古典は世界中で衰退しています。若い人はじっくり腰を落ち着けて身につけるということをやらなくなっています。Youtubeでインスタントに学びます。専門性が非常に低下してきています。スピードの速い現代では、すぐに結果を出さないといけないという圧力があって、もうその概念だけで何でも捉えるようになってきています。薄っぺらい人間になってしまうので、腰を落ち着けてやるのも必要だと考えている人もいます。そのため特に日本では世界の様々な芸能が残っている傾向です。中国音楽は難しい。そこで本書の出版となりました。