錫製茶盤 - 二胡弦堂


 小型の茶壺を使うのは、おそらく中華独特です。これは、もう少し大きめの急須や西洋のポットを使うのとは状況がだいぶん異なります。小さいものは湯を注いだ時に、小さな開口に常にきちんと間違いなく湯を確実に注ぐのは困難かもしれません。低いものに注ぐから尚更です。もう少し高さがあれば、嵩上げされていれば楽になります。小さいので割と容量一杯に近いところまで注ぐ傾向ですが、蓋をした時に湯が漏れることがありますので受皿は必要です。烏龍茶は溢れさせてアクを流すこともありますので、より容量のある受皿があります。これらの条件から茶盤が作られるようになったと考えられます。蓋碗でアクを流す場合は多めに湯を注ぎ、蓋でアクを拭い流します。杯も小型で、複数の杯に注いだ時に漏れることがあります。このように水分(茶)が作業する度に漏れていくのは中国独特です。ですが元はというと、日本に伝来した抹茶や煎茶でしたので、このようではありませんでした。

 日本においては、茶道という形式そのものを静かに嗜む傾向ですが、本来は沈黙などしておりませんでした。社交の場だからです。堺商人のトップだった千利休という実業家が織田信長との鉄砲取引を茶室で行っていました。このような社交場を発明することで、大阪商人の文化水準の高さを示すためでした。戦略の一環でした。なぜなら信長がそういうものを好んだからです。武家が教養がなく野蛮だと考えていた信長は諸大名に文化を奨励、その1つが茶道でした。利休ら商人が武士らを教育しました。こうして販路を広げました。客人をもてなすということは食事を出すということでもあります。一汁三菜でした。商人は富豪であっても生活は質素倹約だったからです。実際にそうだったし、ましてや豪華な生活を武装集団に見せるわけにいきません。交渉の秘匿性を保つために離れ屋を建設、それは四畳半でした。召使に給仕させるのではなく主人自らが食事を提供しました。茶を飲み、その後の食事の準備の間、客は庭を散策しました。セキュリティ面で安心させる目的もあった筈です。最初に提供されるのは茶でした。西洋ディナーはまずサラダですがそれと同じで、まず食物繊維から摂取します。それから食事です。英国のアフタヌーンティーは段取りがどれぐらい決まっているのかわかりませんが、やはりまずは紅茶を飲みます。それからケーキが基本と思います。そのため当然のことではありますが、茶のその一杯がしっかりしていなければなりません。湯を注いだら1分ぐらい置き、それから注ぎます。

 これに対して中国では、茶葉を一度投入したら、それで食事全体で何度も淹れ続けます。湯を注いで基本はすぐに出し、これを何十回も繰り返せるように製茶されています。最初は薄いもので喉を潤し、前菜では香り高い濃厚な茶となり、そこから徐々に衰えて主菜、デザートと進みます。デザートで香りの高い茶は邪魔になります。しかし菓子文化が重視されているところでは、甘味とマッチングするように製茶されています。いずれにしても、一杯に集中し時間をかけて淹れるのではなく、食事の流れを重視し、湯を注いだらすぐに淹れられるようにすることで面倒を無くし、食事の全体で供給することを考えています。

 このように考え方が異なると、茶器の類も大きく変わってきます。中華式に特化すると茶盤かそれに類するものは必要になります。

 中国で伝統的に作られてきた茶盤は、錫、銅、アルミ、磁器、陶器などがありますが、高く評価されているのは錫製です。どうしてなのでしょうか。1つに、枯れた味わいがあるということが挙げられます。茶道具の場合、茶渋で汚れることから逃れられませんが、それすらも芸術の一部になるというのは良いものです。中華はとにかく合理主義です。また、錫は素材が柔らかいということがあります。例えば鉄のような硬いものであれば、その上に素焼きの茶壺を頻繁に置くというのは抵抗があります。錫の上に茶壺を置くというのは独特の体験です。吸い付くような感覚があります。この感触やまた音にも魅了される茶人が多いのではないかと思います。

 錫製茶盤は、歴史的に広東・潮州と河南・道口で製造されてきました。錫は溶接に鉛を使うと人体に危害があるので、無鉛で溶接するのは特殊な技術でした。そのため錫細工を扱っていた地域は清代より限られていました。文化として本当の意味で「中華」というと道口製になりそうです。原始時代の須恵器のような文物の延長にあるもののように思います。一方、古くから陶磁器を海外に輸出していた潮州は商品としてのバランス感覚に優れています。茶盤を必要とするのは特に烏龍茶ですが、産地は台湾海峡の両岸です。潮州は本場ですので、単に必要性のありそうなものを商品化していたわけではなく、地元の文化に密着したもので、その中で育てられたものでした。

 記載の寸法は使用にあたって目安となれば十分との考えから厳密なものではありません。ある程度、重曹で洗われているのですが、それが残っている場合、茶と反応して濃いブルーインクのように変色したりします。茶壺も重曹で洗うこともあるので接触しても問題はないのですが、流していただければ次からは発生しないと思います。

以下は販売済みです。

清末雷文茶盤
 ¥225,000

清代極小茶盤
 ¥78,000

瓜型平薄茶盤
 ¥58,000

小型茶盤1
 ¥33,600

小型茶盤2
 ¥31,800

漳窯開片茶盤1
 ¥15,000

銅黒漆茶缶
 ¥25,000

大型茶缶1
 ¥36,800

大型茶缶2
 ¥23,800


錫製茶盤の養い方について

 宜興茶壺は使う毎に光沢が出てきて茶の味わいも増しますので大切に「育てて」いきます。これを「養壺」といいます。この重要なメリットは、古くなる毎に良くなってくるというもので、これは過小評価できません。物は古くなってくると価値が下がることを考えると、見た目すらも向上するのは大きな利点です。潮州人が茶盤には錫を使うのは同じ理由です。茶盤には木や竹、石などありますが、錫で味わう枯れた趣は代えがたいものがあります。それではどのように茶盤を養い育てていけばよいのでしょうか。

 茶盤に茶を極力浴びせる、中に茶水を入れたままにするなどで「育てる」人は結構います。しかしそういう個体を幾つか外観すると最終的に極論としては、自然に使って変化していくのが一番良いということになりそうです。茶壺の場合は、かなり育ったものを重曹で湯がいて全部落として最初からやり直す人がいます。例えば紅茶を使うなど急速に育つ種類の茶を多用して頑張って育ててみたものの、緑茶のような非常に育ちにくい茶を使ったものとは全然味わいが違います。時間がかかる方が綺麗です。それでやり直すということがあります。同じようなことは茶盤でもあると思います。

 茶盤もせいぜいすすぐ程度で磨いたりはしませんが、それぐらい扱いが楽だから錫が良いという面もあります。これがもし木製だったらしっかり洗わねばなりません。錫を綺麗に磨き上げたりすれば、表面の古色が失われます。それでも錫製茶盤に関しては多少磨くぐらいであればいいんじゃないかという気がします。なぜなら磨いたものは非常に清潔感があります。そこは茶壺とは違う点です。つまり、汚れと古色を混同してはならないということです。時に同じものですが、違うものもあります。古い茶盤を重曹でピカピカに磨き上げたとします。それでも染み込んだものは取れません。それが美しく見えるので錫を使います。そしてそういった古色が出るように人為的になるべく速く育てようという意識が生じます。しかしその過程で表面についた茶油は見てもよくわからないようでありながら、なんとなく清潔感を失わせます。それで小細工をせず、普通に使い、清潔を保つのが結局は良さそうです。「育てる」といったような恣意的なことはやらない方がいいのではないでしょうか。

 錫は純度とか、また何を不純物として混ぜるのかなどでいろんな質感があります。最初は輝いているのですが、茶が染み込むと鉛のような暗い色になるものもあります。これがまた良いのですが、全く変わらない、輝いたままのものもあります。しかしそれも古色が出てきます。古色と一口に言っても性質が異なります。こういうものは洗っても取れませんし、取れない方がいいです。

 育てるというのは、オーナーの考え方も反映されそうです。なぜなら、茶盤をたまには洗うのか、すすぐのか、何もしないのか、距離の置き方というのは人それぞれです。それによって変化が変わりそうです。どのように育てるのかは意外と難しいのかもしれません。汚くなると、丁寧に洗いますが、新品には戻りません。その蓄積が一番良いような気がします。ピカピカに磨いても良いのでしょうけれども、それでも出てくる古さと、ちょっと残留物がありそうな大雑把な洗い方だと、後者の方が印象は良いとされていますが、それは確かだと思います。古いものは古いと諦めた感が茶人らしい、しかし女性は磨くほうが好きそうです。このバランスにオーナーの個性が出そうです。