どんな二胡を買うべきかについては、とても悩ましい問題で個人によっても違いますから、はっきり明快な回答はないと思うのですが、それでも好みとか個人の考えというのは、まず考慮する材料が揃ってから見えてくる話で、いろんなものを理解してからでないと何もわからないし決められないと思います。二胡は有る程度の歴史を経ていますので、すでに十分に成熟しています。二胡を「未完成の楽器」だという中国人もいますが、小店の見解では「完成して尚前進」しています。伸びしろがまだあるとか、そういう意味ではなく、諸要素が十分に出そろって「完成」に至っています。そしてその姿(二胡の外見ではなく、二胡製作界が達した今の姿)はたいへん興味深いものがあります。こういったものを理解すれば、二胡を選択する時になんとなく選んでしまうということがないと思います。
二胡の生産地は蘇州、上海、北京です。もう一つ、天津もあります。それぞれ個性があります。中国は大きく省が変わると外国のように言語も違いますので、これを欧州を比較しますとイタリア、フランス、ドイツの音楽や楽器の音色も違うこととよく似ています。民国期以前はもっと小さな都市単位で独特の個性を持っており「二胡」と一口に言っても外観からかなり違うものが多くありました。しかし1950年前後にあらゆる産業の国有企業化が進み、楽器製造会社も上述の4都市に設立されましたが、この時に二胡の規格の統一も進んで現代化し、それと同時にそれぞれの工場内で特有の個性が育まれてきました。これら蘇州、上海、北京にできた民族楽器廠の伝統は現代にまで影響を及ぼしており存命中の名師たちの作風はこの影響を色濃く受けています。それゆえ、各民族楽器廠毎にランク付けのようなことがある意味可能で、事実かなり明確にされています。これは、ある都市の流派の最高のものは何かということが特定されているということです。とにかく最良のものが欲しいと思ったらもう決まっているのですが、何人かはいたりするので少しの選択の幅はあります。
蘇州の流派では馬乾元を上回るものは無く、二胡発祥の地らしく古典的なサウンドを持っています。まるで古楽器のような鳴り方をします。中国戯劇の味わいをこれほど深く湛えているものは他にありません。これを入手して他の所有二胡を全部手放したという人はかなりの数に上ります。"魔法の楽器"が世に存在するとすれば将にこれでしょう。何も考えずにまずはこの二胡を入手すべきと思います。最高のものを使ってみないと二胡の評価の仕方すらいつまで経ってもわからないからです。これこそまさに"原器"と言えるものです。
馬乾元(蘇州)
上海は王根興という巨匠が居り彼の作風が即ち上海派となります。しかし王師は現在製作していません。頼めば作ってはくれます。だけど弟子に作らせています(追記:2014年12月17日15:24に亡くなられました)。そんなことが言われているのでYouTubeで王師が作っているビデオが出たりもしていてどうなっているのかわかりませんが、以前は胡涵柔に作らせて王の銘を入れており、事実、胡と王の作品は聞き分けが困難な程酷似しています。そのため胡涵柔も名を挙げ、現在では完全に独立しています。それゆえ胡涵柔を以て上海派の後継者と位置づけられています(念を押しておきますが弦堂が勝手に認定しているわけではありません。上海民族楽器廠が決めています)。上海派のサウンドはとても穏やかで優雅ですが、その内に「毒」を秘めています。
胡涵柔(上海)
北京は文化の中心地で、特に古琴の製作家が集まる傾向があります。こういう楽器は北京ぐらいでしか売れないらしく、古琴製作家は今ではほとんど北京周辺の在住です。こういう風土から出てきたサウンド、風流で雅ではあるが枯れた味わいが北京の特徴です。北京二胡は古琴サウンドの反映と言っても良いでしょう。そこへ新し好きの都人たちが西洋の感覚も取り入れるようになり、こういう新しい感覚の楽器は世界中の音楽を幅広く演奏する奏者に好まれています。この中で最も評価されているのが呂建華です。
呂建華(北京)
満瑞興・方明礼(北京)
天津派は、北京の古風な楽器と同様、ほぼ絶滅しているとされています。極めて戯劇にうるさい土地柄で、中国舞台芸術の牙城でした。若干15歳の劉明源を起用したのも天津です。板胡の音がする楽器を手に入れたければ古い天津派の楽器を探したいものです。ハスキーで鼻の奥から鳴るようなあの独特の毒が失われたのは残念です。過去の巨匠では王寿庭の録音で聴くことができます。
これら以外にも、より西洋楽器を研究してバイオリンに近づけたような二胡も作られています。武漢や江西省で主に作られていますが、これらの人々は元は上海・蘇州の出身です(これは小店では販売実績が悪くて扱いがなくなりました。伝統的なものを入手した方が良いと思うので、それでいいと思います)。
名師の作る作品を見る上で十分に気をつけなければならないことが1つあります。それは、名師が作ったもので自分と好みや考えが違う部分があったらほぼ100%に近い確率で自分の方が間違っているということです。名師は楽器だけでなく、それを使って奏でられる音楽についても精通しているから名師なのであって、何か核心からずれたものを名手たちが名器とは呼ぶことはありません。もし名器と自分の相性が一致したら、それはもう、その世界の仲間入りを果たしたといっても間違いではないでしょう。蘇州の二胡は合うけれど北京は駄目であれば、中国北方の文化を知らない人ということになるだけで、楽器自体の名声に影響はありません。むしろそういう人の声を聞いて作ったら、かえっておかしくなるだけです。
だからといって何でも受け容れれば良いわけではないし、楽器にはやはり基準があります。そこを理解するためにはまずその楽器で本来奏でられる筈の音楽を知っている必要があります。楽器以前に音楽を知っている必要があります。
この前提に立って考えれば、理想の楽器が見つからない人というのは、日本人の有様そのままで全く歩み寄っていない、自分の独自の基準しか興味がない人である可能性が高いということになります。まず音楽があります。自分や楽器ではありません。中国音楽には独自の世界観があります。楽器や自分自身はそのパーツにすぎません。二胡を使って中国音楽以外のものをやる時も同じです。それでも楽器は、その国の文化を理解するまで判断できません。進歩したと思ったら、名器はだいたい予想の上を行っているものです。名器は演奏者を育てます。
海の向こうの大陸の文化を理解するのは簡単ではありませんが、またこれが幾通りもありますので大変です。二胡も地域によって何種類かありますが、それぞれの地方の特徴がありますから、いずれも理解しなければ、いろんな楽器がわかるようにならないということになります。自分が進歩したと思えるまで適当な楽器を使っておくというのも1つの方法です。こういった楽器は基本的に小店にありませんが、オークションとかあちこちにあるでしょうから問題ないと思います。文化がわからないと良い二胡もわかりません。
ここにある楽器が全部素晴らしいと思えたら相当な中国通だと言っても良いと思います。
コーヒーでインスタントが好きだという人がいます。こういう趣向は一般的な見方としては「グルメではない」と考えられている場合が多いかもしれません。しかしよく考えると製法が違うだけで基本的に同じものです。インスタントは豆をそのまま粉砕しているのでカリウムが多い、健康に良いし旅にはインスタントを持ち込む方が良いとまで言われています。確かに別のものなのでそれぞれで評価すれば良いし、どちらも楽しめば良いと思いますが値段は違います。価格でインスタントの評価を下げる人はある程度います。ワインは様々な高級品があります。しかし一巡して最後に戻るのはコンビニのワインらしい。極めるとコンビニでいいらしい。小店は中国茶もありますので、そちらにも書いてありますが、中国の茶商はあらゆるものが手に入るにも関わらず、一番安いものを常飲します。そして実に美味しく淹れます。物を識るというのはこういうことを意味するのだろうと思います。値段ではないということ、自分にとって良いものが世間の評価を受けていなくても気にならないということなどです。スポーツのファンは初めは例えば巨人とか、そういう強いところを応援します。年季が入ってくると大リーグを見るのでしょうか。そうではなくて逆らしいですね。よくわからない地方の弱小チームを応援するようになります。ダメダメなのはわかっているし、トップリーグの試合を見ないということもないですが、それでも本気で応援するのはそっちの方が良いという人がいます。英国のサッカーはトップがプレミアリーグで以下、一部、二部と下って10部以上あるらしいですが、下の方のよくわからんようなところを応援するのを好む人がいます。無知なのでしょうか。それどころか非常に詳しいし、以前はビッグクラブを応援していた普通の人だったのです。極めてきてより質の高いおもしろさを求めるとそういう方向に行くらしいですね。上のリーグの方が高質ではないでしょうか。それは別の話みたいですね。ここで言いたいのは、自分のオリジナルを求めるのは本質を知っていることが前提ということです。まさに道楽の範疇なのでそこまでいくのに結構散財します。これはどんなことでも言えると思います。閑散とした地方球場に通う人が初めからそうだったのではなく、以前は東京ドームのネット裏でよくテレビに映っていたとか、そういうものだということです。オリジナリティは簡単に求め得ませんが、こういう方向もあるということも考えてみて下さい。
オリジナルの楽器を探す場合、それは現代の一般に販売されているものより劣るということを理解しておかねばなりません。オリジナルは何がしか、絶対的基準から外れているゆえに特殊だからです。珍しい材料を探すにしても、良材はあまねく「老紅木」になるのですから、そのカテゴリーに入らない珍しいもので良品はないでしょう。相当に金額を積めば話は別ですが。小店では、止めるように助言させてもらっていますが、価値がないわけではないので富豪であれば大金での購入もアリでしょう。中国の場合「収蔵」という概念があって、かつての皇帝の収蔵趣味に由来していますが、二胡のような楽器でも収蔵級の作品を華僑の方から求められる場合があります。収蔵とはつまり「コレクション」ですが、中国人の物欲を刺激する言葉なので好んで使われ、そのような等級づけしたものが日本にも入ってきていると思います。しかし実際のところ、収蔵好きは日本人の方で、中国人はやたらとコレクションしません。つまり傾向が違っていて、中国人の言う収蔵級は「自慢できるもの」というニュアンスで理解する方が近いと思います。大抵の大陸収蔵家はこれを否定しますが。中国における収蔵の概念を示すものとしては写真の例を挙げられますが、これは上海中心地区のマンションが収蔵価値のあることを訴求する広告です。「上海骄傲(傲慢)」ともあります。
自己顕示欲を公に表現することは成功者であることを示す旗のようなもので、例えば車は当然所有しなければならないとか、そういった自身を飾る何かを所有することが大陸では美徳とされています。傲慢は自信の表れと見做されます。こういった行いが大物、優れた人物の証しとされます。中国皇帝は満漢全席といったような、一説によると1000もの料理を作らせ、ほとんど捨てるという、そうすると下々の民も似たようなことをやります。王朝時代は100年も前に終焉しましたが、餐館ではいまだに大量に料理を注文して少し手をつけるだけという人が時々見受けられます。春秋時代の斉国宰相・管夷吾(管仲)が「上、下それに倣う」と言った言葉は現代でも真実です(しかし食べ物を捨てる習慣は悪徳という概念が08年のオリンピックぐらいから育てられ急速に改善されました)。収蔵とか傲慢といった文化も同様に過去の支配者の習慣など歴史的背景に基づいたものです。台北故宮には歴代皇帝の収蔵品がたくさん展示してありますが、そうした習慣が現代にも残されています。日本人とは感覚が異なっていることがわかります。しかし中国でもかつては異なり、見栄や傲慢は恥ずかしいものと看做されていました。戦国時代に斉国宰相を務めた孟嘗君についての故事が史記に多数記載されていますが、その中の1つにこういうものがあります。毎朝、孟嘗君が馬車で出勤する時間になると屋敷の門の周りは彼を一目見ようとする多くの市民で人垣が出来ていました。車の御者は名誉ある貴人と共に注目を受ける自分に酔い、鼻高々でした。ある日、御者が仕事から帰ると急に妻が離縁して欲しいと言います。妻は今朝、屋敷の側を通ったのでたまたま人垣から覘いて様子をみると、背が高くて恰幅の良い御者の方が、背の低い孟嘗君よりも大物然としているのを見て、恥ずかしくてこれ以上一緒にはいられないと言うのです。翌朝もまた同じ時刻に出勤する馬車の中で後ろに座る孟嘗君が御者にこう話し掛けます「今日は元気がありませんね。何かありましたか」。御者の説明を聞いた孟嘗君はたいへん感心し、自身を諌士大夫(王の過ちを戒める役職の大臣。国内で、場合によっては外人であっても最高の賢者が指名を受ける)から解任し、代わりに御者を任命しました。オリジナルの楽器に話を戻しますと、ここでもまず音楽があって、から始まるのであれば求めることができると思います。音楽をどう表現したいかという角度からです。試作を多数作りますので大金が必要です。
以下はは弦堂で扱っております他の楽器です。