中国二胡はかつては各地で異なっていました。それぞれの土地や人が表現したい音楽に基づいて制作していたものでした。その中で特に画期的な進歩だったのは、民国期の周小梅と孫文明による音域の拡大でした。弟子の劉天華がこれを教育に使い、天津で音楽学校を設立しました。このタイプの楽器が中心になっていった理由は、大学で使用されるようになったこととか音域が広いというだけではありませんでした。従来の一地方の狭い地域の音楽のための楽器だったのとは異なり、幅広い音楽を研究して作られたものだったからでした。良いものは自然に取り入れられますから、急速に変化していきました。変化の流れは以降も続き、大躍進政策で全ての製作家が国営工場に集められた時にかなり統一が進みました。そうしなければ協働できないためで、それ以上の強い意志があったわけではありませんでしたので、4つの楽器廠はそれぞれ独自性を保っていました。文化大革命頃になると、西洋楽器との比較から共通化という概念が生まれました。
このように考えると「古楽器」というのはどの範囲を指すのか様々な定義ができそうです。しかし現代では、文化大革命以前の楽器と見なして良さそうです。周小梅以前の二胡に戻る必要性は感じられませんが、それは二胡という範囲においてのことで、古いタイプも現代まで「歓胡」として残っており、同じものを北京では「京胡」と呼んでいて、独自の系統があります。そのため二胡の古楽器は、周小梅から文革に入るまでと考えた方が良さそうです。
これも古楽器ですから、様々なものがあります。癖があるものが多数です。我々が古楽器を求めるのは、古典音楽のためです。本当に限定された音楽にしか合わないものでは困惑します。現代でも二胡は安価なモデルから高級品までありますが、昔も同じだったので、バランスの良い、質の良い設計が復刻できればと考えて制作しました。
新作古楽器
古楽器は基本的に蛇皮が破損している場合が多いので、これまでいろんな人に貼って貰いました。その結果、胡涵柔がかなり良かったし、モデルは上海民族楽器廠が初期の頃に作っていた二胡だったので、それをそのまま復刻することとなりました。敦煌牌より以前のものです。
呂建華は最近、日本から三味線を入手しては「素晴らしい」と言い、三味線のデザインのものを作りたがっていたので、新作古楽器で日本風のものを採用したいとなりました。具体的には弦軸にそのデザインを採用するということでした。しかしでき上がったらちょっと違いました。だけどこれもいいですね。渋柿のようです。工芸品のようなデザインです。かなり試作品を作ったのですが、音の観点からこれが良かったということでした。胴は既成のデザインから竹のものを選択しました。これは「古楽器復刻」という趣旨での制作ですが、実際のところそうとも言えるしそうでない部分もあります。デザインは新作なので復刻とは真逆に向っていることになります。現代楽器はこれまでの様々な研究が反映されているのでそれらの要素も応用されています。戯劇伴奏用時代の二胡に戻すのであれば琴托は不要ですが、これもなるべく薄いものということでお願いしました。弦軸も白檀を使っていますし、あちこちが現代とは違うので出てくる音もかなり違ったものです。100年前の二胡演奏家と現代ではスタイルがぜんぜん違いますので、あれもこれもやりたくなる訳ですが、守備範囲の広い二胡となると難しいし、そういったものを作るのが正しいかもわかりませんが、ともかくこれは1つの回答だろうと思います。二胡というのは本来南方の楽器ですから北京には二胡の古楽器という伝統はないし、そもそも八角琴も本来上海だったぐらいなので、北京の二胡の古風な音というとイメージできませんが、板胡とか京胡であれば古い北方の音なのでそういう方向性であればこの楽器は現代の呂建華より近いと思います。
馬乾元は、今作られている現代琴がすでに古楽器の音を持っています。古楽器のサウンドをさらに洗練して行き着いた感じがあります。工法も少し独特です。そうやってすでに完成されているのに、ここで改めて古いものに戻るのは難しいことです。まずは古楽器の蛇皮貼替えから発注してみます。馬師は古楽器は自信がありません。「良くないという前提でもいいか」といったようなことを念押ししてから蛇皮を貼るからです。こういう人はほとんどいません。かなり扱いの難しい音でしたが、半年ぐらいもすると、非常に香ばしい音となりました。これは他に替え難い深みがあります。こんなに意思の強さと美を兼ね備えているものはないと思います。しかしこれは一般には勧められません。京胡の甘さを二胡に混ぜたような音ですが、日本人は京胡を理解しません。それでこれはやめましたが、どういった傾向になるのかはわかりました。そこで参考モデルを変更することにし、1つおもしろいモデルがあったのでそれで作って貰うことにしました。写真は参考モデルを観察している馬乾元師です。