満瑞興・方明礼二胡 - 二胡弦堂

 北京式の二胡では呂建華のものを入荷していますのですでに十分ですが、少し違った個性のものも購入しています。

 満瑞興は呂建華の伯父で琵琶の制作家として有名です。満師は琵琶についてはたいへん評価されておりご本人も自信をもっておられるようですが、二胡についてはご自身で評価しておられず、呂建華が修業を始めた時に自分で教えないで韓貴賛のところへ預けたと言われています。それにも関わらず満師の二胡は、世間では評価を受けています。それは琵琶の制作家独特の感性が二胡に投影されている、専業家が作ったものとは違う味わいがあるからだと思います。別の言い方をすると、市場に対して勝負していない、身を引いたところで純粋に作っている作品で、それを仕事に厳しい職人が手がけている訳ですから、いわゆる"立派な作品"とは違う枯れた味わいが魅力になっているのだと思います。"満瑞興が良くない"というのはご本人の自己評価に過ぎませんから、それにこだわらない顧客が買い続けて現代でも生産が続いているのだと思います。満瑞興はまだ北京民族楽器廠に所属している身分のようで上海で言うところの胡㴠柔と同じ立場だと思います。顧客だけでなく会社の方も満師の二胡を評価しているようで積極的に販売しています。

 満瑞興については六角を買っていこうと思っています。北京式六角というのはオールマイティなので中国では結構人気があります。北方曲、南曲に関わらずそれなりに鳴らします。一方で北京八角で南方曲はどちらかというとミスマッチですし、上海二胡で北方曲は鳴らしにくい傾向があります。蘇州であればどちらもいけて古楽器のような風格があるので素晴らしいのですが、製造は難しいのか結構良い物が少ない、それよりは一般に入手しやすいもので北京六角に行くということになるようです。中庸を得た、あまり個性を前に出さないようなところがあって扱いやすさがあります。今後二胡を一把だけで行く、複数買ったりしない、幾つもあったら面倒といった、一種の達観というか、そういう思考に対するマッチングという意味で北京六角はかなり支持されています。そういう北京六角独特の個性と俗世間から身を引いたような満師の二胡という組み合わせはちょうど合うような気がします。舞台とか戯劇のような方向性であれば呂建華や馬乾元であって、これらの華やかな個性に尚何かを必要とするということはないですが、そこで満瑞興を見た時にほっとするというか、からっとした風流な響きが隠者めいていて、結局最終的にはこういうところに向かうのかなと思わせるものがあります。満瑞興の二胡は琵琶のような音がする、カラッとして香ばしく、それでいて深みのある音ですが、それは琵琶ならではの音なので本来同じものを二胡に求めることはできません。だから満瑞興の二胡から琵琶のような音が出るのはふしぎなことです。マジックです。こういう水墨画のような静かな世界を見せられると、もうこれだけでいいのではないか、という感じすらもしてくるぐらいです。小店で入荷している他の工房があまり黒檀を使わないのでそれを買いましたが、満瑞興はランクが2段あってこれは上なんですが、それでも割と安価です。だけど満瑞興の老紅木は馬乾元より高価です。おそらく黒檀については一般に流通しているもの、特別でないものを使い、気軽に本物に接して貰いたいという配慮なのだろうと思います。満師はこれを買って良さがわかったらもっと違うものも買って欲しいと思っているようで、小店にも「黒檀はいいだろう、老紅木を買え」と言ってきます。黒檀はスーパーのチラシに載っている「トイレットペーパー1円!」みたいな客寄せパンダだから利益がないんですね。だけど手抜きはありません。小店が受けている強烈なプレッシャーを冷静に見つめるとその内、老紅木も買わざるを得ない、そういう気がしてきますので老紅木も買うことがあると思います。ともかく材が何かに関係なく満師の二胡には古代中国貴族の味があります。

 うちはほとんど古楽器しかないので満師にも古楽器を送って貼替えて貰いました。1960年頃の北京民族楽器廠のスクラップ状態の代物で、琴托はありませんでしたが六角でした。俗世間から離れて風流に鳴らす楽器です。胡涵柔も同じですが、やはり北京と上海ではぜんぜん違います。雅と一言で言ってもいろいろあるという感じがします。

 さらに方明礼も扱います。呂建華の華美、満瑞興の枯淡とは違う剛直な表現、男性的な力強い意思を感じさせる、これもまた違った個性を宿したものです。方師は呂建華の弟子ですが、同じ八角なのにぜんぜん違います。特に舞台で使うのにこれほど説得力のあるものはなかなかないと思います。

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