二胡用絹弦は、金属弦とは外観や取り回し、特徴は違いますが、原則的には同じものです。A,D弦を使います。
二泉胡弦は、D,G弦を使い、二胡より音程が5度低いものです。華彦鈞(盲目であったため、"阿炳(アービン)"と呼ばれた)が「二泉映月」を録音した時に使った音程の弦だったため、「二泉弦」と呼ばれています。西洋のバイオリンは一番低い弦をGに合わせますので、西洋弦楽器の曲の場合は二泉弦を使えば転調せずに演奏できます。
金属弦の場合は、標準規格の二胡に二泉弦を合わせると、どうしても響きが薄くなってしまいます。絹弦の場合は、そういうことはありませんので、新たに二泉胡を購入する必要はないかもしれません。二胡に二泉弦を使うもご覧下さい。
絹弦の使い方としては、二胡の胴の下の琴托を外して、棹の最下部に結ぶのが本来の使い方と思います。このようにすれば古楽器の音になります。しかし一般的には琴托まで外すことはしません。
現代では弦の材質はスチールに移行しており、絹弦の工場はほとんど残っていません。鉄弦に変わっていった理由は、文革期に屋外で演奏されるため音量が必要だったからというのが定説です。鉄弦は絹弦に比べて雑味が少ないため、そこを克服するような弦が作られ、今でも伝統的な民族楽器廠が製造販売しています。そのためこれらクラシックな設計の弦は特に初級者には使いにくい傾向ですが、一定の水準の奏者からは根強い人気があります。これらの弦が持っているDNAは伝統音楽に依拠しているため、音楽が西洋化している現代では人気が後退しています。絹弦ともなれば尚更です。鉄弦の最初の設計者は蒋風之です。
日本は明治維新で改革、同時期に清朝は西太后の政治で大きく遅れました。清朝後も軍閥による分裂で外国の介入を許しました。そのため、伝統文化の激しい排斥運動が起こり、急速な西洋化を求める世論の大きな流れが形成され、現代に至るまで主流の考え方となっています。文革期には西洋楽器と同様に、二胡を世界的な楽器にしようという目的が育まれ、その時に弦の材質が絹から鉄に変えられました。中華文化の世界的標準化に対する挑戦は、劉天華の師・周少梅と盲目の演奏家・孫文明から始まったのかもしれません。この両巨匠の作品によって二胡は大きな音域を自由に行き来する楽器へと変貌しました。
同じ経緯はバイオリン属も辿っており、古いクレモナの楽器はもともと音が小さかったとされています。ストラデヴァリウス、グァルネリウスなどの名器は、ネックの角度を変えることによって音量を増すよう改造されて現在に至っています。チェロは、ビオラ・ダ・ガンバというのが元の楽器で、やはり音が小さく、バッハの無伴奏などはこれを想定して作曲されています。この変化も、サロンを出てより大きなホールで鳴らす前提での改造や進化ですので、以前の方が音そのものに関して言えば美しいのではないかということで、バロック楽器が一部で復権している様子もあります。
西洋楽器も18〜20世紀初めまでは、鉄弦が優秀とされていました。今はガット弦など旧時代のものの地位が向上していますが、二胡ももしかすると絹弦に戻ることがあるかもしれません。工場がもうほとんどなくなっているのに、生産が追いつかない状況がしばしば見られるようになってきて、徐々に人気が出てきているからです。日本の伝統芸能の世界では、いまだに旧時代の絹弦を捨てられず、歌舞伎など大きな場所でも絹弦が弾かれています。中国でもいつか絹弦に戻っていくのでしょうか。
音にこだわると、絹弦に戻ります。
「極めて少数の人だけが、この意見に賛成して居り又賛成するだろうということを僕は知っている」- プラトン
「秘めたるは、花なり」 - 世阿弥「風姿花伝」
「古人の跡を求めず、古人の求めしところを求めよ」 - 松尾芭蕉
ウィキペディアの和楽器の項目にも絹弦についての記述があります。