光舜堂の中胡が素晴らしいのでご紹介となりました。(二胡は他店で販売しているとのことなので小店は中胡になりました)。光舜堂の楽器はケースや弓を含め、付属品は基本的にありません。綿と西野先生が削られた駒が付いています。
棹はブラジリアン・ローズウッドです。これは黄花梨と同じ音がする(見た目も同じですが)良材です。胴の赤い部分と弦軸はインド紫檀です。それを黄檀(パドウク)で挟んでいます。3種の材を使っていますが、これらはそれぞれ1種だけで二胡を作っても素晴らしい音色でしょう。東南アジアのこの種の黄檀は大陸では黄花梨と偽って売っているぐらいで、これだけを使用しても素晴らしいものです。西野先生は続いてブラジリアン・ローズウッドのみでも製作されていますが、本中胡のような混合でも自信をもっておられます。古楽器にもこのようなものがあり、それも参考にして作られたようです。低い音になればなるほど、黄花梨系の響きが合うので、それは主に棹を指してのことですが、経済力が許せばこれぐらいの棹は持ちたいところです。
呂建華さんの中胡も同じ時期に入ってきて、これもブラジリアン・ローズウッドだったので直に比較する良い機会でした。呂建華さんは現代的な作風なのですが、最近は古楽器も研究され深みを増しておられます。明らかに中華のサウンドであることが比較を通して明確でした。一方、光舜堂の楽器ははっきり和の音がします。全然違います。和の音というのは、結局のところ古代中国の音で大陸の研究者も来日して調べるぐらいなので、実際には地域性ではなく時代が違うと考えた方が正しそうです。少なくとも大陸の研究者観点ではそうです。日本の音は大陸の古楽器よりもっと前の音です。
中国にも古い劇場があって観光スポットとして残っているところが結構あります。しかしこれらは古くは豪族のもので、封建時代には庶民が劇場に行くことはなく、市井では芸人の巡回がありました(これはまだやっているので田舎を徘徊していたら偶然見ることもあります。動画があります)。ですから聴衆というものが2階層あったことになります。それは欧州でも同じです。そして互いに影響を与えていました。清末の庶民の底上げ以降、一般市民も劇場に足を運ぶようになりました。これも世界的流れでした。2種類の聴衆だったものがこの頃に1つになりました。貴族と庶民で差があったところがなくなって新しい階層が出たので(民主化?共産化?)、音もこれまでとは少し違ったものになりました。今の我々が体感している中華の音は近代化以降のものです。古い音は日本に残っているとされており、それは落ち着きがあります。奥ゆかしさという現代中国にはない要素があります。懐の深さと品格です。「秘めたるは花」という言葉がありますが、まさにそれです。その代わり、中華には毒があります。日本語の毒とは違うので、濃厚な妖艶さと言った方がわかりやすいですが、そういう日本にないものがあります。ですからこう考えると、この両者のサウンドがまるで異なるというのはわかりやすいと思います。
しかしこの山西省の動画を見ると、日本と中華の違い、もちろん音楽は違うのですが、本質的に大きく変わるかというと、そうとも思えません。違うのですがどこか親近性があるので、わかりにくい感じはありません。毒と言われるようなものは日本にもあるでしょうし、奥ゆかしさは中国にもあります。この動画の演奏は、呂建華と光舜堂でどちらが近いかというと、光舜堂の方がぴったりです。そこで西野さんに伺いますと、製作されている音はお母様の形見の二胡で、製法もそれを引き継いでいるとのことでした。ということは小店が和の音などと言っているのは不見識で、実際には大陸の古来のサウンドなのではないかと思います。一方、現代に中華の音と言っているものは近代の中華の音なのでしょう。現代中華のサウンドであれば呂建華になるし、クラシックなサウンドであれば光舜堂になりそうです。こういうクラシックな音で低音を支えるのは渋いです。玄人芸という印象を醸し出します。中華のより高い音の楽器と合わせた時に特に本領を発揮するように思います。しかしソロでも古典曲は実に味わい深く鳴らします。琴(弦を使う楽器)は元はそういう楽器ですから。現代中華の中胡は高音域と一緒に混じって進む感じ、クラシックは重厚に支える印象です。それにしても動画を見ると、中華の伝統芸能はレベルがかなり高いですね。日本でも文化庁を中心に保存会が残していますが、そういうものと比較すると中華の水準の高さは驚きです。この動画はわかりやすいので、それに対して現代中華の音がわかりにくいということも感じられます。古い中華はわかりやすいです。
本掲載はすでに販売済みのもので比較参考のために残してあります。現在販売中のものはこのリストから探してご覧ください。