蛇皮の品質 - 二胡弦堂


骨董屋の玄関  蛇皮の音の傾向は見た目である程度測ることができます。皮は"色"によって個性があります。暗い(必ずしも黒ではない)一見古そうに見える皮はふくよかな音で鳴ります。明るい明亮な皮は明るい音で鳴ります。暗い皮は中古品を廻したような印象がありますが音は魅力的です。これは蛇皮を使う楽器であればいずれも同じ傾向の筈です。しかし現代ではほとんど全て中庸の色合いのものになっていますので、明亮、或いは暗い皮を見かけることはないと思います。

 蛇皮は品質によってランクがあります。蛇の個体の大きさと、どの部分の皮であるかなどの目安があります。ですが最近では楽器に十分適したものしか使っていないようです。養殖で必要十分な数があるからと思います。鱗の大きさで品質を判断することはできません。

 養殖はベトナムと言われ、生育状況などが動画サイトにアップされたりすることもあります。バッグや靴などにも使用されるのでかなり需要があるようです。野生のものは国の管理に基づいて捕られています。雲南省に政府のライセンスを持った職人?がおり、制限した上で捕獲しているようです。ミャンマーは陸続きなので産地はほぼ同じと言えますが、こちらでも捕獲されています。天然は運動量やいろいろな要因で養殖より優れているとされ高級な楽器に使われます。蛇皮にはおおまかに2種あり、陸蛇と水蛇があります。水蛇は高額ですが素晴らしい音が鳴ります。鱗が小さめの傾向があります。ベトナムや中国南方の少数民族地域では蛇料理店があり、特にベトナムのメコン川流域に多く見られます。これは陸か河の蛇なのかよくわかりません。食べたことはありませんし店にも入ったことはありませんが皮は売られて料理店にはないでしょう。路上で男らが群がっている奇妙な光景が時々見られますが、割って入るとマムシ売りだったりします。警察が来ると皆一斉に走って逃げますので一応一緒に逃げさせてもらってますが、どうして逃げるのかわかりません。おそらく生き血を飲ませるのが違法なのではないかと思います。調理された肉なら大丈夫のようです。

 蛇皮は分厚い方が高級とされる傾向があります。しかし現在は薄いものはほとんど使われていないので昔は透けるように薄いものもあったとご理解いただければ十分と思います。近年では裏から日に透かして厚みを調べる購入者というのはすっかり見かけなくなりました。薄い蛇皮尻尾に近いもの、厚いものは遠鳴りし、頭に近い部分、薄い物は身近で美しく鳴る傾向があります。そのため現代では尻尾の方で厚みのあるものが良しとされますが、古楽器は頭に近い蛇皮を薄くして張っていました。ですから何を以て良しとするかは考え方次第です。整った美しい蛇皮が優れているという人もいますが、そういう皮は蛇の胴の中央付近から採られますから、これもまた1つの見方です。

 蛇皮の楽器は中国から琉球に伝えられ、これが倭人に伝わった時に猫の皮に変えられました。蛇皮が手に入らなかったからではないでしょう。日本人は地の果てまで行っても欲しい物を買う民族です。倭国には竹がたくさんありましたが、煙管に使う竹はラオス産が最良とみるや、船を派遣して積極的に輸入したといいます。蛇皮の生産地も同じような地域ですから買えなかったとは考えにくいです。要らないから買わなかったと考えるのが妥当と思われます。猫の皮は薄いので破れやすいデメリットがありますが、質を徹底して追究する倭人にとって「何が美しいか」が絶対的に重要なので何度も張り替えて使い続けました。祇園の茶屋のような空間で演奏するには遠鳴りする楽器は要りません。むしろ近距離でいかに魅力的に鳴らすかが重要だったので、そうであれば蛇皮は分厚すぎたのかもしれません。一方、琉球は芸能が国策だったのでより広いところで演奏することが想定されていたと思われ、また蛇皮は国内で採れたこともあって、大陸から齎されたまま継承されてきたものと思われます。

 二胡の蛇皮の厚みや位置などによってどのような傾向の音になるかは大雑把な参考に過ぎず、特に名工が作ったような作品は蛇皮が厚かろうとも至近距離で美しく鳴るし、厚みの要素だけを採っても一律に判断することはできません。それでもこれらを前提の上で意図的に薄く工作された蛇皮で鳴らすとやはり格別な魅力が感じられます。昔の中国庶民の使っていた二胡の蛇皮が薄かったのはこれが理由かもしれません。古楽器の蛇皮はことごとく薄いです。2000年代前半ぐらいまではベテランの製作者で極薄の蛇皮を使って制作していた人もいましたが、今はほとんどなくなりました。玄関と犬現在では薄い蛇皮の二胡というと本当に安価な楽器だけになってしまっています。

 昔の二胡は現代では当たり前になっているような立派な蛇皮はほとんどありませんでした。現代は養殖して管理しているので立派なものが作れますが、昔は天然でした。大蛇を仕留めるというのはかなり困難なことで、ほとんどは小さい鱗でした。現代の基準では考えられない安物感のあるペラペラ皮で、ところがこれが驚くほどの美音を響かせていました。透き通るような薄さだったため蛇皮の中央は駒の圧力のため大きく陥没しているものが多くありました。しかし後代の安価な粗悪品とは明らかに違っていました。昔の二胡は皮の真ん中が駒の圧力で凹むのは当たり前だったので、そうなってきたら駒は楕円に変えるなどのノウハウがありました。今はあまりそういうことはされていません。そのような状態でも張り替える人はおらず、それで一生使い、所有者が亡くなったら親族がゴミ屋さんや骨董屋さんを呼んで引き取ってもらって、やがてそれを古楽器マニアが買います。ゴムみたいに我慢がならないほどに陥没するわけではないし、まずやっぱり音質面で捨てがたいのです。ただ現代の皮で同じ原則が当てはまるかどうかはわかりません。定期的に張り替えるプロの奏者もいます。

 ここまでで、蛇皮の特徴について扱ってきましたが、それでも良し悪しを見た目から判断することはできないと思います。一見チープな皮が悪いとは限らず、外見は非常に立派でも冴えないものもあります。これだけは本当にわかりません。実際に鳴らす以外に品質を測る方法はないでしょう。