明清旧料というのはどういうものでしょうか - 二胡弦堂

 


 老紅木の良材で「明清料」というものがあり、高く評価されています。評価というと表現が少しおかしいかもしれません。なぜなら中国ではこういった要素はあまり重視されていないからです。でも日本ではこの単語には相当な重みがあります。

 明清料という言い方は、この名が示す2つの王朝が相当な長さに及んだことを考えればかなりいい加減な表現です。写真の例で明代と清代の材の違いを比較して、もう一枚の方で明代の材の表面を見ていますが、清代の材はせいぜい100年ぐらいであろうというところなのに対し、明代の材は6~700年ぐらいあります。しかし孫文による革命以前の建築や木製の制作物に使われた材全般を指してこう呼んでおり、一定の指標にはなっています。清朝は1912年までですので、100年以上前ということになり、こういった材を取ってきて製造された「百年旧料」と彫られている二胡もあります。このような古い材を使って作られた二胡は価値があるとされています。

 材木市場において、楽器用と家具用では購入される材の基準は違う筈です。家具に使われた材で楽器に転用できるものは非常に少ないと思います。それで明清料とされた材を使った、主に家具などから取材されたという材を使った二胡は本来であれば慎重に見なければならないものです。二胡は楽器ですから、部位によってどんな材をあてがうかは違ってきます。それを家具などの単板から取ってきたもので作ったというのであれば、それが確かに良い材であっても楽器としてはどうかということにもなりかねません。家具に使ったものがほとんど楽器に適するかというとそれは絶対にないと思います。ただ建築の柱に使ったようなものは二胡に十分使えると思います。明清料でも良し悪しはあるだろうと容易に想像できます。

 中国人はこういう理由で明清料に対して慎重な見方をする傾向があるのかもしれず、日本人はよくわからないからわかりやすい基準を求めて、こういうものに信頼を置くのかもしれません。

 明清料を使った二胡は一定の評価を受けるに値しますが、そのことよりももっと重要な点があるので先に確認すべきことはあると思います。植物は学問的に分類整理されていますが、あらゆる植物がその分類にはっきり収まるわけではありません。だからといって楽器に極めて有用な材を「無名だから」という理由で却下するのは無意味です。そういうことで紅木とか老紅木というあいまいなカテゴリを作って、そこにいろんな材を含めています。これは材の種類というよりもカテゴリを指しています。黒檀というものもありますが、そこに含められるのはほとんど植物学上の黒檀ではありません。黒いので楽器に使うのは全部黒檀カテゴリに入れられているという意味です。あまりにいろんなものがあるので、良材とは何かを見極められることがすごく重要です。(二胡古楽器の木材の材質には、どんなものがありますか?を参照して下さい)。

 明清料でもいろいろあるということになりますから、材を見極めることは必要です。明清料でなくても、明清料より良い材が見つかることもあるだろうと思います。最近製材されたものが質が劣るということは必ずしもないからです。スペックはほとんど参考にしかなりません。直に1つ1つ見ないと判断は下せないと思います。