自然保護の観点から蛇皮を使った二胡を演奏するのに抵抗があります。 - 二胡弦堂

 


 個人的には蛇皮を使った楽器に対して何も感じていなくても「他人の目」を意識すると全く考えないわけにはいかないということはあると思います。プロの演奏家や教室の先生の場合は特にそうだと思います。「二胡の蛇皮について質問された時にどのように答えれば良いか」と考えると悩ましいかもしれません。今の時代に毛皮のコートを着るというのは、肩身が狭くなっています。それと同じような理由で、蛇皮を使った楽器を使うのは抵抗を感じる場合があります。そこで自然保護や動物愛護の観点から二胡を使用することについて考えてみたいと思います。

 自然保護に関してはまずいろんな考え方があるということを理解する必要があります。菜食主義者は、肉は食べないし人によっては魚も食べませんが、彼らの一部は動物愛護の観点からそうします。しかし肉食は、必ずしも種の消滅に至るわけではないので構わないという考え方もあります。インドのジャイナ教では、蚊も殺してはいけないとされています。もし誤って蟻を踏みつけていたということがないとも限らないので不慮の過失について日々神に許しを請うという人もいるようです。鯨を保護するためにあらゆる暴力的な手段を使っても良いという考え方もあります。漁業において水揚げ量が減っているといったような状況の場合に、特定の種が乱獲で減っていて、それだったら購入を控えようかということもあれば、一方でこの産業に携わっている人のために購入し食べ続けるという人もいます。難しい問題です。

 あらゆる自然愛護はジレンマを抱えています。高尚な精神と狭量さは表裏一体です。どんな判断をしても良い部分と悪い部分があります。

 動物愛護という一種の思想は、地球が汚染破壊されてきて21世紀は水の争奪で戦争が起きるとか、地球は人の住めない所になる、という警鈴が鳴らされるようになってから、ますます大きな問題として扱われるようになってきました。現代の愛護活動は、インドで牛を殺生してはいけないとか、また別のところでは猿を大事にしないといけない、ある国でかつて「生類憐みの令」なるものが公布されたといったような事とは全く別次元のものです。20世紀の人口爆発以前は、地球の破壊という観点からは愛護については考えられていませんでした。それどころか "地球が破壊" という概念自体がありませんでした。地球は大きすぎて破壊は困難でした。終戦時に広島を視察した米国の科学者たちは「50年は植物の生えない不毛の都市となるだろう」と予告しましたが、これが完全に誤りだったのは多くの人の知るところです。地球は強力な浄化能力があるので、破壊は非常に難しいのです。それでかつては、地球が破壊されているという状況は想像すらし難いものでした。(注:局地的な環境破壊は古代からあり、アラブの砂漠化も環境破壊が一因であったとされています。)2000年前に書かれた聖書の最後の書にハルマゲドン前夜の状況が予告されている下りがあって、そこには天の長老たちが神に対して報告するこういう言葉が書いてあります。「地を破滅させている者たちを破滅に至らせる定められた時が到来しました」。これが書かれた当時、読んだ人は何のことか意味が分からなかったと思います。現代人は「漫画のセリフか」と思うかもしれませんが、意味が分からないということはありません。このことは、自然環境についての問題がかつてない程に大きな規模になって難しくなっている、そして知らぬ者はいない程に明らかに地球が破壊されていることを示しています。

 二胡は蛇皮を使います。使う前に大蛇を仕留めます。もしこれが悪であれば、牛や豚、鶏も屠殺するのが悪となります。しかし牛は食べるし、人が生きてゆくために消費するのだから構わないと言う考え方があります。しかし蛇皮の取得は国際法で規制されている絶滅危惧種を屠殺します。ところが実際には大蛇の肉は食べられていますし(旅すると観光客にさえ振る舞われます)漢方にもなるし、皮も有効に使っており合法的に養殖しています。養殖は規制対象になっていませんし、規制されたものでも国家の管理のもとにある程度の狩と漁が容認されています。(漁は海ヘビですが、これも規制対象かどうかわかりません。こちらの方が良い音が鳴ります。)蛇皮を批判する前にこれらの状況をよく考える必要があります。

 もう1つ、矛盾している状況について取り上げます。木材についてです。大蛇は数年かけて育てれば良いですが、材木は数年では育ちません。本物の紅木は成育に100年以上かかります。これは保護しなくて良いのでしょうか? 蛇皮はCITES(通関書類)が必要ですが木材には要らないのでしょうか? これを読んで「なるほど、その通り!」と納得してはいけません。これにはしっかり理由があります。2つあります。

 1つは、多くの二胡に使っている材木は国際規制品目ですらないので取り締まれません。というより、取り締まる理由がそもそもありません。この事実は衝撃的に感じられるかもしれませんが事実です。しかし取り締まった方が良いものもあります。印度紫檀はインド政府が外国への運搬を全面禁止しています。これを二胡として製品化して中国から日本に運ぶのはどうでしょうか? これはインドから持ち出すわけではないので合法かもしれませんが、ワシントン条約関連の国際法上はどうでしょうか? グレーな感じはありますが、実際この部分で規制を掛ける意味があるのかどうかという疑問もあります。蛇皮と一緒に許可を取ればいいので、規制の意味が全くありません。いずれにしても、希少品目を使うことには変わりありません。蛇皮よりこちらの方が大きな問題です。

 2つ目の理由ですが、二胡の木材に規制を掛けるなら、西洋の楽器、バイオリンやギターも対象になってくることと関連があります。これらの高級楽器はアマゾンでしか採れない非常に貴重な材を使っています。もし二胡がプロの奏者ですらCITESの取得が必要なら世界の西洋弦楽器奏者や楽団は皆、CITESを取らなければならないということになりますし、これがフェアなやり方です。しかし国際法というものは欧米中心に決められています。矛盾は常に孕んでいる物ではありますが、できる限り矛盾はない方が良いので、本来CITESを掛ける必要があるのか疑問がある蛇皮にのみ規制を掛けて木材には掛けないというトリック的なやり方で進めていると考えられます。中国の国益を考えたら、二胡に規制は掛からない方が良いです。それで中国海関(税関)では「二胡ですか」「そうです」「お通り下さい」と言うやり取りをするだけでチェックは一切ありません。ところが日本に着くと対応が険しくなり簡単には通しません。

 前に私がアポなしで、ある工房に遊びにいった時に、そこにはすでに先客がおり、私はその人物がよくテレビに出ている有名な政治家であることを知らなかったので、普通にしゃべっていました。おもしろいおっさんだと思っていました。おっさんは以前に象牙だけで作った中国楽器の楽団を率いて日本に乗り込んだことがあります。その時に税関で長時間足止めを喰らい、あちこちに電話してたいへんな思いをしたと言っていました。当然こういう楽団が演奏旅行する時にはしかるべき機関をすでに通しているので足止め自体は非常に不自然です。中国の有力者が帯同しても足止めさせるぐらい日本は不快感を持っています。(おっさんは中国首相になったので、最近は全く見かけません。)

 話を戻しますと、蛇皮は心配ないです。それより木材について、自身の二胡の材を気にした方が良いです。「本来規制を掛けられる程、価値のあるものか」と。