棹が滑りにくい - 二胡弦堂


 上下に換把する時に、手が棹に密着し移動しにくい、特に高音から低音に移動する時に楽器が持ち上がって困るということがあります。

 三味線は「指スリ」「指掛け」という編物を手に取り付けて滑り易くしています。どうしてもということであれば、これを転用すれば良いと思います。しかし楽器の持ち方が全く違うので、二胡では非常に演奏しにくくなります。滑りにくいというのは、ほぼ握り過ぎなので、そういう道具で解決という問題ではないとも思います。

 中国南方は高湿度なのでニスを使っているものがあり、中にはピアノのように厚みのあるものもあります。広州の楽器街では、各店で独自の研究があり、自社のニスがいかに音響的に優れているか店頭に記載があるのをよく見かけます。おそらく西洋弦楽器のニスには独自性はなく、どこもある程度決まったメーカーのものを使っていると思いますが、最初はこれを転用し、やがて独自に調合したりと模索しているようです。湿度が重たる理由と思われるので、ニスを使っていることと材の良し悪しはほぼ関係がありません。北方の楽器はあまりニスを使わないか目立たないように使う傾向があります。

 広東音楽が高音域まで使うようになったのはバイオリンが入ってきてからかもしれません。その後、バイオリンを中国胡琴に置き換え直したいという時に、現代のような形式になったようです。ですが広東音楽は胴を腿に挟むので棹の滑りの問題はありません。このため遠慮なく様々な試みができたのかもしれません。そしてやがて広東とは事情の異なる中国全土でも同じ傾向となりました。ですが、棹の滑りの問題はほとんど提起されていません。

 古楽器は現代二胡より1/3ぐらい軽いものもありますが、古い奏法では換把がなかったので問題になっていませんでした。しかし楽器がそれほど変化のないまま、第三把位まで達するようになったので、楽器が持ち上がってしまう問題も時にあったかもしれず、現代の二胡は琴托に錘が入っています。それでもこれはある程度後代になってからの改良なので、音域が広げら始めた頃はまだ古い形式の楽器のままでした。また教育が強化された時期でもあるので奏者には子供も多数でした。ですが明確に問題が指摘されたという記録はありません。統計を採っていないのではっきりとは言えませんが、古典の奏法自体に技術的に難しくする滑音はほとんど使っていないように思います。もしここで難しくなるようなら錘を入れても楽器が浮いてしまうと思います。

 それでも日本は湿度が高いから特別なのでは?という意見があるかもしれません。それでは広州独特の気候をご紹介しましょう。ここは年中雨が降る亜熱帯地域です。周辺の香港や珠海方面と比較しても気候が独特で、強い雨を降らせる小さな雲塊が市上空を幾つも巡回あるいは通過しています。これに遭遇すると傘が役にたたない程の激しい雨を突然浴びることになり、こういうものが日に数度はやってきます。スコールのように時間は決まっていないので、いつどこに来るかは誰にもわからず、雨を避けられるかは運と言ってもいいぐらいです。10分ぐらい降りますと行き過ぎて晴れますので、市民は雨が降ると近くの建物に避難します。短い時間でびしょ濡れになるので皆一斉に全力で走ります。こんなところでも一応、天気予報はあります。晴れというのは雨が降らないという意味ではなく、もう少し違う意味で理解しないといけません。こんなジメジメした気候なので、手は汗をかかなくても湿っています。これでも演奏に支障は出ません。「手に汗をかくから」と言われる方は多いですが、手を水で濡らして実験したらかえって滑りがよくなったりします。水と汗では少し違うかもしれませんがそれでも水分は関係ないと思います。あまりに汗が多い場合は多汗症なので受診が必要です。

 ここで特に問題になっているのは、高音から低音への換把ですが、換把の開始時に腕も含めての全体が同時に上昇するということはあまりありません。指は最後です。腕から先に動きます。それから遅れた指を引っ張ってきます。弓法も原則は同じです。ですから問題にならないのですが、速い曲なら難しくなるのかもしれません。仮に腕全体を同時に上げても、胴は弓で抑えているわけですからやはり問題はありません。

 このような奏法の問題を克服するのにより練習を繰り返すというのはどうなのでしょうか。間違った練習は意味がないので、先生の監視が必要ですし、結構大変です。独学は難しいものがあります。そこを解決するために考えたいのは、そもそも二胡の正しい奏法はなぜ決まっているのかということです。それは音楽が要求しているからです。表現上の要求が奏法に影響を与えています。そのため、奏法はめちゃくちゃであっても気にせず放置し、古典音楽をやるとそのうち直ってきますし、これが一番楽で早いです。古典の表現力はかなり強いので、最初の取っ掛かりは音をなぞるだけであっても、それでは満足できず、自然と濃厚になっていきます。その時には奏法の問題は無くなっています。