名師作の二胡には本物と偽物があるようですが、どのように見分ければ良いのでしょうか? - 二胡弦堂

 


 結論から先に言いますと、音を聴かないとわからない場合が多いと思います。

 偽物というのは本物にそっくりに作ります。現代の二胡は規格が決まっており工作機械などを使って作られていますし、機械はどこの工房も同じようなものを使っているわけですから、どの工房の二胡も外観はほとんど同じです。だから偽の二胡を作るのに特別な技術などというものは有るはずがありません。本物も偽物も外観上の違いはほとんどありません。他人の銘を入れておけば簡単に作れます。はっきり違いを示すものがあるとすれば、それは音以外にありません。(もっとも、その特定の工房の作品をよく知っている人であれば、外観ですぐにわかるでしょうね。)

 いわゆる本物でも多くの二胡は弟子が作っています。それである工房の作品の音として知られているものは実際には弟子の音である場合は多々あります。それでもその工房の作品が良ければそれで良いと思います。100%すべてを自社の工房で作っているということも稀です。弦軸などはそれだけを作る専門の工房があります。製作家はプロデューサーのようになっているところもあります。偽物というと本人が全く関わっていない作品ということになると思います。

 二胡や中国以外の物も含めて、それらの価値基準は一般の消費者や素人が決めるということはありません。例えばバイオリンを買う場合、ショップから「これは幾ら、これは・・」という風に価格を提示されます。そうすれば購入検討者は価格相応のものに違いないと考えてそれを1つの基準にして選択します。価格の理由は「200年前の楽器だから」とか簡単な来歴を教えて貰い、その程度の情報で納得します。これが間違っているとか価格相応のものでなかったとなると大問題となり、詐欺であるとかそういう話になってきます。なぜならバイオリンの場合は、業界的に価格水準が確定しているからです。だけど二胡の場合は販売店によって価格基準はバラバラで組合的なもので統一されていません。値の設定は自由なので購入者が納得すればそれが幾らであろうと問題ないということになりがちです。

 中国に於いては偽の方が本物を上回るということがあります。中国には茶を淹れる素焼きの急須で「茶壺」(cha-hu)というものがあります。この優れたものは昔から高額で取引されてきたので、30年代の上海の骨董商は優秀な職人を雇ってコピーを作らせていました。コピー職人の多くは後に大師となりました。その中で最も成功を収めた顧景舟は、晩年に海外の美術館のカタログを見て、明代や清代の巨匠の作品として展示されている茶壺の幾つかは自分の作品だと言いました。その証拠に蓋を開けて中を見るとどこに傷があるのか全部当てることができると言いました。それらはすべて正確に確認されました。顧景舟はなぜ晩年になってこういうことを言い出したのでしょうか? 彼の作品はすでにその頃、最高額で取引されていたから迷惑を掛けないと思ったのかもしれず、自分が生きているうちに本当のことを言おうと思ったのかもしれません。長年、顧景舟の作品は安値で取引されてきました。しかし晩年には価値が認められたので幸せな方だと言えるかもしれません。多くの巨匠たちは死後に認められます。中国の場合はこういうことがしばしばあるので、本物と偽物という概念が希薄です。有名ということにこだわらなかったりします。事実、無名でも優秀な二胡制作者はいます。

 しかし製作家によって固有の個性があって、質だけでなくそういう要素も求める場合は、必ず特定の作者のものでなければならないということがあります。そこを偽ると、その偽が如何に優れていようとも偽は偽であって受け入れられるものではありません。だけどブランドだけで何の理解もなく買ってしまうと写真の例のようなものを掴まされます。しかもこれは胡涵柔のところに持ち込まれたようです。「本物でしょうか?」とか聞いたのでしょうね。胡女史は「声を失った」と言っておられます。実際、如何に胡涵柔が優れていようとも自分には合わないという可能性もあるわけで、何となく有名だからという理由で買ってしまう、安いから買ったのだとは思いますが、まあ、今更後から言ってもしょうがないですが、そのものをよく知らなければ買うべきではないでしょうね。

 米国の大富豪でウォーレン・バフェットという爺さんがいます。世界富豪ランキングトップ10の常連なのに、小さい戸建てに住んでいるらしいです。自分の投資会社からは年俸5000万(これは円なのかドルなのか忘れましたが、少ないという話だったのでおそらく円建てでしょう)しか貰っていないということなので、資産はほとんど会社にあって、それらに興味もないらしいですが、そういう仕事好き人間がいます。(勘違いのないように言っておくと弦堂は自分にしか投資しないので爺さんとは一切関係ありません)投資家というと素人から見ると金の亡者ですが、爺さんによるとそれは投資ではなく投機であってほとんどが失敗に至る、相応しい投資スタイルは幾ら儲かるかを見るのではない、何十年先でも社会から必要とされているものを生み出しているか否かで投資先を決めなければならない、というものであるようです。さらに爺さんはいつも同じことしか言っていないのに、何で自分のセミナーに多くの人が集まるのかわからないとも言っています。セミナー参加は数十万の費用が要るらしいので、儲かって暇な人間がウロウロしているんじゃないですか。爺さん言う原則は楽器を見るのでも同じでしょう。その楽器の価格が幾らか、どれぐらい有名かで判断すると、確かにそれもある程度の真理を示すものであるし、投資にしても金の計算だけで利潤を得ている人もいるでしょう。しかし外面的な要因ではなく、企業そのもの、楽器そのものに判断を下さないと、本当に確実な結果には繋がらないだろうと思います。