あなたの老師は中国人ですか? 数字譜を123と読んで怒られましたか? はい、怒られますね。「何回注意すればドレミと読むのですか!」と言われます。日本人の老師はどうなんでしょうね。あんまり言わないかもしれませんね。
数字譜は「移動ド」という概念で、主音が何の音であろうとそれはすべて「ド」で考えられます。ハ長調かハ短調であれば1の音程は間違いなくドなので正しいのですが、それ以外はドでない音をドと読みます。間違っているといえばそうなのですが、移動ドではそういうことを前提にした上でドを移動することになっています。例えば二胡で初めに学習するD調15ですが、この1はレです。これをドと読まないと中国人老師からお叱りを受けるので困っている人がいるのです。だけど数字譜を採用している以上、不満があろうともこれはドなのです。だから老師の言っていることは正しいのです。一方で、五線譜を見て演奏する人もいるのでレをドと認識するとややこしいと思う人もいます。そもそも数字譜をドレミで読むのは子供教育の観点で発明されたものなので、専門家になってくると合わない感覚が出てくるのかもしれません。でも中国人は問題ありません。もうこれで慣れているからだろうと思います。日本は西洋教育から始まっていますので慣れないのでしょう。
西洋音楽では和声法を学びます。ハ長調、ドレミファソラシドを基準にします。和声法の学習ですから、ドミソ135と和音を作ります。ドが根音で上に音を倍音の配列で2つ重ねます。そうすると奇麗に響きます。この和音は何と読むのでしょうか。「ドの和音」とは読みません。「1の和音」と言います。同じ道理でソシレ572だったら「5の和音」です。イタリアのものだからなのか、ローマ数字で「I」5だったら「V」と書きますが、以下わかりやすいように数字のままで続けます。主音のドは別の調だったら別の音に変わります。和声学ではどれが主音かがとても重要です。それで主音を根音とした和音を1の和音と読み、音程が何かという以上に音階のどの位置の音であるかを重視します。絶対音程ではなく相対音程が重要です。古典派ぐらいまでの音楽には数字付きの通奏低音があります。根音は五線譜で示し、和音は数字で表します。つまり1の和音なら1を五線譜で表し、35を数字で表記という道理ですが、35は基本形なので省略し、基本形から変化したものだけを数字で表記します。こうした経過を辿っては数字譜の1を主音と考えるのは簡単でわかりやすいのです。また一方で数字表記は全く音楽を学んでいない人にとってもわかりやすい、わかりやすいだけに1をドに換えるのが慣れないのです。結果、日本人は皆、どのような立場かに関係なく慣れない。二胡をやっていたらD調から入って次にGそして次といろいろやりますが、その都度、1の位置が変わります。しかし「ド」は話が違うのです。そもそもドと1を区別するために1なのだから。
中国人がドレミとしたい理由としては、指が1234だからということもありそうです。指遣いが重要なので言及が多い、混乱を来さない配慮としてドレミなのかもしれません。ドレミを使ってもまだ混乱しそうなので、ほとんどの場合「1指」などと必ず指を明確にします。言語が違うとロジックも変わりますので、その違いは確実にありそうです。日本では「123は123」で良いと思います。
中国古典譜を数字譜から五線譜に換えるのはかなり無理があります。五線譜は絶対音程で、数字譜は相対音程だからです。相対的位置が非常に重要な中国古典で五線譜だと考えることが増え煩雑になります。すぐ読めないんです。逆にピアノを数字譜はきつい。東洋音楽では様々な記譜法がありますが、数字譜は一番合理的と思います。そのため、いつまでもなくならないでしょう。