なぜ数字譜? - 二胡弦堂


 東洋音楽では広く数字譜が採用されていますので東洋の発明のように考えられていますがそうではありません。これは五線譜が初心者にわかりにくいという弱点を克服するために、フランスの思想家 ジャン・ジャック・ルソーが発明したものです。ルソーは優れた作曲家でもあり、音楽の分野でも啓蒙に熱心でした。ところが数字譜は五線譜より低レベルなどの批判を受け主流にはなりませんでした。ルソーはこれらの批判はすべて間違いだと反発しましたが、友人の作曲家ラモー(こういう作品を書いていた人です)の批判に対しては正しいと認めました。それは「細かく素早い旋律では目がついて行けないので気を遣う」というような内容でした。五線譜は視覚的なのでまとめて捉えられるが、数字譜は1つ1つ目で拾わないとわかりにくいというわけです。東洋人は元々、漢字を縦に並べた譜を使っていたので、数字譜のデメリットは気にならなかったと思われます。

 二胡の音楽も西洋と同じドレミを使っています。この音階も西洋から輸入したのでしょうか? そうではありません。西洋ではピタゴラスが音階の法則を発見してから2000年間、転調のスマートな方法を見つけられず、古代音楽は和音は綺麗に響くが主音を変えられない問題を克服できずにいました。しかし1584年、明代の学者 朱載堉が著書「律楽新説」の中で、数学を駆使して導き出した「平均律」を発表し、当時中国に留まっていた宣教師らが欧州に紹介してこれが標準になっていきました。

 中近東で発祥した音楽は東西に伝播しましたが、こうして見てみると、その後互いに影響を与え合いながら発展したことがわかります。現在では二胡演奏用として数字譜と五線譜の両方が使われています。しかし主流は数字譜です。東洋拉弦楽器の奏法は多岐に亘り非常に複雑なので五線譜にすると装飾記号が見にくいからかもしれません。また概念が絶対音程ではありません。工夫次第では五線譜でも見やすい表記が可能なのかもしれませんが、五線譜は紙のスペースを多く消費し数字譜はコンパクトなのでよりメリットがあるという点も影響があるかもしれません。

 18世紀にバロック音楽が中国に持ち込まれ、これを中国人が自分たちの流儀で演奏法や楽器までいろいろ変えて演奏していた歴史があるのですが、これは現在フランス・パリで研究が進められています。その譜が見つからないので復刻された演奏から書き取り、二胡で音や奏法を確認したことがありますが、この時にもこれは数字譜でなければならないと思いました。基本はバロック音楽なのですから五線譜でも問題なさそうですし、むしろそちらの方が合いそうです。ところが"中国式"に演奏するということになると数字譜の方が演奏しやすいのです。

 「聴松」の30~47小節あたりで内弦と外弦を繰り返し行き来するところがあります。内外弦のどちらを使うかははっきりあらかじめ決まっており、だいたいの楽譜には指定が書いてあります。これは2本の弦の音色が違うことを利用して、内弦を弱音、外弦を強音で演奏し、この切り替えを急に行わずに海の波のように、ゆったり行き来していきます。この演奏方法は二胡演奏の特徴の1つを示しています。

 このような演奏方法は西洋音楽には似たようなものはありますが中国独特の感覚で、京劇などの中国戯劇にも同じようなものがあります。海の波のような大きな浮き沈みが曲の中にあって、それが表現の1つの手法になっています。速度や音量の強弱も伴います。この方法は西洋音楽とは全く違っています。この東洋の間の取り方を観る時には、西洋音楽の常識を完全に捨て去る必要すらあるほどです。

 これらの感覚を演奏に反映させるには五線譜では演奏しにくく感じられます。五線譜はピアノの鍵盤のように、均一な音程という概念ですべての音が並んでいます。しかし中国音楽では、数字譜の同じ1や5でも曲の前後の関係で読み取り方が変わってきます。それが五線譜ではわかりにくくなってしまいます。数字譜はそこまで読み取るのが容易です。装飾音もより東洋の方が複雑なので、五線譜では表しにくいということもあります。