日本で絹弦が今日まで存続してきたのは、日本人が音色に対する執着があるからだとされています。絹の方が気品のある音で鳴りますので、撥で弾くと切れやすいとか、寿命が短いという様々な弱点があっても捨てるまでには至らなかったようです。おそらく三味線文化は京都が最大だと思いますが、この街が新しもの好きであることを考えれば、絹弦が生き残った事実は興味深いものがあります。(一般に、奈良は古いものを保護し、京都は新しいものを取り入れる傾向があるとされています。町屋が無くなってきている問題はその1つと言われています)。良いものを追求すれば、絹弦は残ったということです。朝鮮族系の楽器も絹弦を使っています。西洋ではガットなので(普及しているものは今でもスチールかナイロン系)おそらくスチールがメジャーなのは、中国だけかもしれません。中国は50年代の録音ではまだ絹弦が使われています。その後文化大革命で旧体制の文化を滅ぼし、新しいものを歓迎してゆく風潮の中で登場したスチール弦を受け入れていきました。二胡が屋外での演奏に使われたので、より発音の大きいスチール弦の方が良かったという事情もあるようです。
欧州では、ルネサンス~バロック期には、楽器個々の音が低くチューニングされていたのですが、後に段々とピッチが高くなっていきました。この時期は、大きなオペラハウスが建設されていった時期なので、そのことと関連があるとされています。大きな会場で演奏する場合は高めの音の方がいいようです。ウィーン宮廷歌劇場は当時の基準でもさらに高く、半音は高かったようです。京劇はその最たるものかもしれません。二胡も演奏会用の楽器になっていくに従って、スチール弦のメリットが必要とされていったのかもしれません。
北京では、最後の絹弦の工場は鼓楼付近にありましたが、現在は消滅しています。金属弦の方は、かつては西直門内にあって、現在は郊外に移転しているようです。鼓楼の弦は捜索しましたが、発見には至りませんでした。西直門の工場は現在でも星海楽器という名称で存続していますが、会社自体は広安門付近に移転してここは店舗になっています。西直門の鉄弦は手に入りました。錆があるものもありましたが、幾つか手に入りましたので試して見たところ充分に絹弦を駆逐するだけの質があると思わせるものでした。品格と表現力が高い次元で結実しており、まだ優れた職人たちが腕をふるっていた時代の素晴らしい作品です。このようなものはもう手に入らなくなりました。同じように思っている人もいるのかもしれませんがそのためか、現在の「常青牌」は、これら星海楽器の退役者らが集まって組織された工場で、かなり支持されています。素材にも拘っていますし、中国では日本人に人気があると言われて販促されています。常青牌ほど中国文化を愛して作られた、中国の匂いがする弦はないように思います。しかし工作精度は文革期のものに劣ります。星海楽器の広告に出演していた沈立良によると、弦は高音域に達すると内外弦で音程が5度関係にならず6度ぐらいに狂うので、弦の周りに巻いている極細のワイヤーの巻数を調整して1つ1つ微調整して販売していたようです。現代ではそういうことはやっていないので音が合わない、演奏者が少し指をずらせば良いことだし、それで安価に弦を提供できるならその方がいいかもしれないということでした。材料の質も昔の方が良かったようで、古い弦の方がサウンドに色気があります。
二胡の本場、江南地方は絹の産地なので、今でも絹弦が製造されています。蘇州は水のきれいなところで、古くからシルクロードを通る絹織物を提供してきました。現在では、租界時代に蘇州の日本領事館があった跡地に最大の絹生産工場があります。そこを観光したのが写真です。ここでは絹弦を作っていません。絹弦は無錫郊外で、長い絹弦を吊って乾かせるような施設で生産しています。スチール弦に移行した現在でも、この地方は今も尚、弦の主要な産地で、幾つもの鉄弦が作られています。文革期はメーカーがどれぐらいあったかわかりませんが、いろんなところが毛沢東語録などをパッケージに印刷し製造販売していました。今では主要なメーカーが大量に作っているのみです。かつては小工房が良質の弦を作っていましたが、良いものを作ると他の競合よりもコストがかかり値段も上がるので、どうしても淘汰されやすくなります。
絹弦が鉄弦に変わった主要な理由は、絹弦そのものが中国伝統の、文化大革命で"破壊"しなければならないものの対象だったということだけでなく、絹弦の発する音も除き去らねばならない対象だったということです。サウンドの要求は制作される作曲作品の要求と関わっていますから、中国で作曲される音楽も伝統を脱したものでした。西洋音楽の要素を急速に取り入れていった過程で絹弦はミスマッチになっていきました。それにもかかわらず絹弦はそれ以降も細々と生産が続けられ、練習用に適しているという理由で使われたり、古楽器には合うということで使われたりしていました。そうして徐々に需要が増して現代に至っています。