長年、二胡に携わって来られた方々においても絹弦は難しいと言われる方が少なくありません。演奏者の問題が顕になりやすい面があるためですが、それゆえに生徒には絹弦を義務付けている老師もいます。上達が早いためです。もう一つの違いは、指の押さえ方です。何が正しいというのはないのですが、音色の美しさを追求すると鉄弦は指先で押さえ(西洋の影響)、絹弦は指の先と腹の中間になる傾向です。中国医学ではここから気が放出されると言われています。かなり慣れてきますと、鉄弦を気の放出ポイントで押さえて絹弦のサウンドに変えることができるようになったりします。しかし異なるのはこれぐらいで、基本的な使用法という観点から見ると鉄弦との大きな違いはありません。
四胡という楽器は弦が四本になりますから、指を寝かせて平行に押さえます。まるで弦を握ったような押さえ方ですが、二胡もかつてはこのような奏法だったと言われています。これでは換把が難しくなりますが、基本的に第一把位でしか演奏しないのでそれほど問題にはなりません。しかし換把は後代の曲ほどではないにしてもある程度はありますので、その場合はこのままの押さえ方で構わず滑ります。ここから離れて現代の奏法に変わっていった時期というのは劉天華以降だということがわかっています。おそらくその少し前から変わっていった、劉の師で周少梅と彼の友人で盲目の孫文明による二胡という楽器そのものの改革ぐらいの時期と考えるのが妥当なように思えます。
これも西洋の影響だったのかまではわかりませんが、彼らが西洋から多くを取り入れていたことは知られています。つまりここで言う現代的奏法とは、指の先で弦を押さえる一般的な奏法ですが、しかしこれも昔からあって、具体的には奏者が旋律の処理において狙う表現によって指を当てる位置を微妙に変えていたようです。孫文明は録音が残っていますが、そのように演奏しているのが確認できます。
文献によると過去の奏法は1指は現代と同じです。2指は第二節の根元付近で抑え、3指は第二節で押え、4は現代とほぼ同じですが23指が違うのでそれに応じた位置になります。4は指の腹で押えます。おおまかにこういう掴み方です。つまり14指はだいたい同じで、23指は現代とは異なっていることになります。一方、現代奏法は全部同じ押さえ方にして粒を揃えています。そこで基本的には現代奏法で通しておいて、あるポイントでは指の腹を使っていくような奏法は戯劇であれば現代でもあります。このように指のどの部分を使うのかは、これも1つのテクニックだったというのは孫文明の演奏を聞くと理解できます。これはどの弦を使うかは関係なく、古曲と現代曲で演奏法の考え方が少し変わります。現代において古い奏法が失われたり否定されているわけではなく、考級試験作品には古曲も含まれています。二胡は東南アジアにも伝播しましたので、中国以外でも老人で古い奏法の人は今でもいますし老師が年配者であれば若い人でも古い奏法で演奏する人はいます。東南アジアの音楽は広東・潮州が起源ですので潮州音楽の資料を当たりますと左の写真のような押さえ方が出てきました。図13は全ての指を指の腹で押さえています。音色は力強く、渾厚とあります。しかし指の運行には不自由さがあるので採用箇所は選ばねばならないとあります。図14は1,2指は指先で、3は先か腹、4は第一或いは第二関節目の腹で押さえるとあります。この押さえ方は実用的で小指に力が得られるとはいえ、比較的遅い曲に採用されるとあります。使う指4本は元々粒が揃っていないので、どの指で押さえるかで音色が違うのでどの音をどの指で押さえるかが重要になってきます。
絹弦と鉄弦では弓の速度が少し変わるように思えます。弓の規格も違っていて、絹弦時代の弓は76cm、現代は83cmが標準で、この7cmの差は有効幅ではかなり大きく変わります。
下の写真を見ると、上が76cm、下が一般的な83cmの弓ですが、有効幅で見ると1割ぐらい短くなります。毛は両端で固定されており、その辺りを省いた中央の部分が7cm減ると視ると、短い弓は一定の音量の長音を響かせるという発想自体がない作りということがわかります。しかし現代では絹弦でも普通に83cmを使います。それで76cmの感覚で弓を擦った時になかなか全弓が使えない、中央の安定的な部分だけを使うことになります。旧来の76cmだと弓の中央から端も使っていくので音量は不安定になります。この不安定感がないと表現が平たくなってしまう、ネガティブな意味で西洋音楽みたいになってしまいます。弓の端と中央の張力が違うことで出てくるムラがないと往年の名手のような表現はどうしても出しにくくなります。旧時代の演奏を真面目に考えた時には重要な要素です。弓は長くなっていくと、それは安定指向であることを意味しています。表現力を重視する古い奏法に向かうと弓は短くなります。