二胡より大型で低い音が出る「低胡」という楽器があります。定義は大雑把で、二泉胡を指して言う人もいれば、中胡、各種大きさの違う大胡を指す場合もあります。低胡という言葉の概念自体が、二胡より低域を担当するという意味があるので、合奏を念頭において言及されることが一般的です。二泉胡と中胡はソロでも演奏されますが、ソロ作品はかなり少ない傾向で、中胡は無伴奏独奏ならモンゴル曲で馬頭琴を模した奏法で演奏されます。楽器に特化した曲という意味では少ないですが、これらの低い音の楽器で二胡曲を拉くのを好む人も多くいます。
平均律を発見したのは中国人でしたが、発展したのは西洋でした。音域によるパート分けという概念が西洋から中国に齎されたのは近代で、レコードを通してだったようです。実際の演奏で実践されたのは外国人が多い上海租界でした。そしてそれが中国伝統音楽の分野にも浸透していきました。そのため大胡の古楽器というと上海の骨董街では出ますが、それ以外の地域で見ることは極めて稀です。戯劇の伴奏で使われていたようです。ここに可能性を見出したのは北京でも同じで、梅蘭芳と琴師の王少卿が、これは随分小さいですが、京二胡(ユニゾンで京胡の低音を補強する)を発明したのは当時の時代の流れだったのかもしれません。
低音は容積と密接な関係があります。空間や材料(金属や木材)の大きさで低い音、深みのある音になります。もっと小さなものでも低音を出すことはできます。例えば携帯があります。確かに低い音は出ますが、打ち上げ花火の深く響く低音を再現するのは困難です。低音の質を物体の容積以外のもので補完するのは、要求されるクォリティのレベルもありますが、不可能とされています。そのように考えると、大胡がそれなりの大きさがあったとしてもチェロのような楽器と比較すると差があるということがわかります。そのため低音部に関してはチェロを使う楽団があります。それでもホールのようなところで鳴らすのでなければ不要と思います。低音が強いのも音がモタれますので、状況次第と思います。
以前はチェロを参考にしたような革胡という楽器もあったのですが、ほとんど普及しませんでした。演奏会においては見た目も大事なので、ある程度の仕立も必要ということで求められていたものですが、どうしてもチェロの方が良かったという結論で定着しているようです。
大胡も非常に魅力的で、比較的小さな場所で鳴らすには素晴らしいものです。しかし現代ではほとんど販売されていません。これは材料の枯渇が原因と言われています。良材で楽器を制作する場合に、中胡でも「大きな材が採れないので作れなくなった。二胡ならいける」と言われることがあります。家具は大きな材料を使いますので木材そのものは取材できるのですが、楽器にはムラがあります。しかも低音の方が選材がシビアです。安価な材料なら作れるのですが、柔らかい材料でしかも低音というのは聞くに耐えない、かなりしんどい音です。これが市場から消えた理由とされています。そのような背景から大胡よりも中胡の方が小さい分、良質なものが手に入り易い傾向です。
中胡は規格がほぼ決まっていますが、大胡は様々な大きさがあります。ですが材料があまりないということなので自由もないように思えます。とにかく板の横幅が足らないのですから、八角の所を16角に、円に近くなりますが、そこから更に異種材料を混ぜても良いですし、高価にはなりますが良材で作れないことはないと思います。
馬乾元では左から二胡、一般の中胡(3.2寸)、3.8寸、4.2寸があります。工房の見解では全て中胡弦が使えます。絹弦も同じです。音域も一般の中胡と同じです。そして鉄弦、絹弦に関わりなくもっと太い弦を入手することもできます。楽器が大きい方がリッチな低音で快適ですが、小さ目の方がすっきりした音になります。うちには幾つかありますが、どれもそれぞれで、これが良いとは決め難いものがあります。低音楽器はそれだけで別の世界があります。呂建華では「大胡? 何に使うの? ないよ」です。