二胡製造の概要 - 二胡弦堂


故宮にある西太后専用の劇場  人間の健康は骨が重要と言われるのと同様、楽器は棹が重要ですが二胡も例外ではありません。二胡の響きの一部は棹を伝って上へ抜けます。そのため昔の名工の作品は、上へ徐々に太くなるように作ってあります。ラッパのような構造です。千斤を一度巻いてしまうと上に上げるのが難しいぐらい角度がつけてあります。しかし単純な目視では、この太さの変化は僅かなものです。古い楽器の棹の断面の多くは丸で、その他の形状は少ないですが、いずれにしても太さを変化させています。蓄音機のラッパやトランペットの朝顔などの場合は、付け根の金属は分厚いですが、ラッパは段々薄くなるように加工されています。すでに1930年代に米国AT&Tベル研究所でラッパの厳密な音響計算に関する論文が出ています。共振率を計って厳密に計算しています。

 棹を立てている角度も大抵まっすぐではありません。少し前方、皮の方に傾斜して立てています。琴胴に対して垂直には立てていません。しかしこれも僅かです。これは現行の多くの二胡もこのようになっていますが、そうでないものもあります。

 琴頭の形状は由来がわかっておらず、鳳凰の首を象ったもの、月などの見解があります。形状としては他に龍、回紋、如意などがあります。これによっても音が変わります。なぜなら、下から昇ってきた響きが琴頭によって放たれるからです。龍頭は厚みのある音で鳳凰はすっきりした音になる傾向があります。二胡の棹の長さによってこの部分に響きが達する時間が変わります。棹が長いのは時間がかかります。サウンドは厚みのある濃厚なものになりますが、行き過ぎるとボヤけた音になります。棹が短ければ響きはスリムですが、すぐに抜けてしまい琴胴の後方から放たれる音に消されて響きの面では味がなくなります。昔は様々な感覚でいろんなものが作られていました。現代二胡は研究され規格が決まっています。二胡の琴頭のいろいろ古楽器は最大公約数的な作りではないので非常に主張が強いものもありますが、現代では極端なものはなく適切なバランスの範囲で様々な個性のものが作られています。

 胴も堅い紅木を使うのですが比較的柔らかい部分を使っています。黄花梨は非常に締まった材なので、組む際に接合部に柔らかい材を薄く挟むなどの方法で加減されていることさえあるほどです。材の厚みや内部の構造は古い楽器では考慮されておらず、単に板を貼り合わせただけのものが多くありますが、現代ではかなり繊細で、特に蛇皮に接する部分は音の特徴を決めるぐらい重要です。

 花窓は非常に軽い材を選び紅木は使いませんが、現代では違う考え方もあり、立派な材料のものを装着しているものもあります。北京二胡で比較的多い印象です。

 継承されている場合、作る人が変わっているのですが、出来上がったものは全く変わっておらず、その一方で別の工房では個人がやっているのにしょっちゅう変わっているところもあります。中国の子供非常に有名な製作家が引退か死去していて、その子供とか孫、或いは弟子らが代わりに制作、看板は師匠のまま、そのため師匠がまだ製作していると勘違いするような例もありますが、このようなところで品質が全く同じ、名声が衰えていない工房は幾つもあります(変わってしまっている工房もあります)。外部からどんな圧力を受けても一切変えない、市場で日の当たるところを歩けず、深い谷を進もうとも絶対に変えない人たちがいます。小店は北京では建国門国際郵便局から商品を日本へ発送します。そこに行くと、いつも入り口で日向ぼっこをしている職員がいて彼は「君、私の親族から二胡を買いなさい」といつも言っていました。最初は相手にしていませんでしたが、やがて根負けして「電話番号を下さい」と言いました。電話をすると、宋廣寧の工房だったので驚きました。しかし跡を継いでいる息子は「我々は二胡は作らない」と突っぱねました。それを聞いて理由はすぐにわかりました。なぜなら小店は以前北京で若手の天才制作家を見出し、彼は河北省に工房を持っていましたが、彼からも同じことを言われていたためです。宋廣寧工房が理由を言わないので「それでは」と断った上で「二胡楽界が皆、西洋の方を向いておかしな方向に進んでいるからでしょう」と言いましたら「そのとおり」でした。楽界に対して相当な不快感で、伝統を堅持している楽器以外作らないと決めていました。それができるぐらい実力もあったのです。一族でこれぐらいの姿勢で哲学を堅持しておれば音は変わらないでしょう。

 変わるのがいいのか、そうではないのか、一概には言えませんが、いろんな努力があってサウンドが保たれています。小店の考えでは「どちらもあり」です。どちらか片方だけは寂しいかなと思いますね。