昔はそれぞれの工房でバラバラでしたが、毛沢東の大躍進政策で大工場に集められ、これによって技術の集約がなされ、各都市毎の個性が確立されました。北京、天津、上海、蘇州の各民族楽器廠です。またそこから独立した工房も多数あります。
昔の北京二胡は京劇のような音、天津は板胡でした。天津は作っているところが全て無くなりました。今の北京は市内に工場を置くことができないので全て郊外に移転し、河北省の楽器となっています。伝統的な楽器を作る工房は二胡の製作をやめてしまい、より現代化しているところが残っています。そのため、かつての北方二胡の文化はほぼ無くなっています。現代化で中庸となっているので、偏っていないことが好感され人気があります。
上海は敦煌牌で有名で、30年代租界時代の妖しい雰囲気、また上海料理というと甘いですが、そういうものが混じり合った独特の個性があります。それと比較すると蘇州は伝統的な中華のサウンドです。
人工の蛇皮は、雑味がない、綺麗なので、味わいに欠ける傾向があるとされています。その分、簡単に綺麗な音が出せますから、初心者か、プロの奏者が使う傾向です。演奏旅行で移動が多い場合、蛇皮のコンディションに悩まされることがあるし、人間より楽器の方が時差ボケのようなもの、時差がなくても土地が変わったら馴染むのに時間がかかったりしますので、そういう心配が要らない人工皮が使われています。
古楽器は古典を手がける場合は理想的なものです。
製作家の場合は楽器を鳴らして音を確認したりはしません。この写真のような感じで確認します。二胡の場合は新琴の段階では音は硬いし、本来のパフォーマンスではない状態での出荷になります。新琴の音には変わるものと変わらないものが混在しています。そこを判断するのは二胡奏者の技術の1つですが、それでもそれは実際に演奏しての確認になります。こんな風に皮を弾いたりはしません。これは訓練が必要だと思いますが、いずれかの技術を身につけておくと、二胡の現物を見た時に判断がしやすくなります。
二胡という楽器は、値段と音質が比例しないと言われます。どんな楽器でも多かれ少なかれこのような傾向はありますが、二胡の場合は顕著であるとされています。もちろん一般的な基準はあり、紅木よりも紫檀の方が良く価格も大きな開きがあるなど、一応の目安となるものはあります。それにも拘わらず、紅木の方が良かったということも珍しくありません。
これには回答や結論の類は存在しないという考えもありますが、それは確かに一理あります。しかし原器と呼べる物があれば比較が容易となり評価がしやすくなります。西洋東洋共にこの基準となる楽器があります。かといって基準があるからそれがすべてだとは言えないことも確かです。それでもとりあえず、まずは西洋の基準について考えてみることにします。
バイオリンでストラディバリウスというイタリア最高の名器があります。音の魅力に関して言えば、このバイオリンより良いものはもっと他にあります。ストラディバリウスは音が硬いです。およそ聞き惚れる音というには、ほど遠い感があります。以前にテレビで、2把のうち高級な楽器はどちらかを当てるという企画をやっていました。ほとんどの出演者は安価な普及楽器を選択し、最後に専門家の回答を聞いてショックを受けていました。しかし楽器を提供した先生によるとその評価は間違いではないという・・・名器はホールで鳴らさないと美しく鳴らないと。どんな使い方をするかによって何を以て適切とするかが違うということのようです。プロ演奏家は演奏する環境が似通っているので基準も同じようになりますが、アマチュアはもっと複雑で多様な要求があるので、そのための基準を見いだすのは難しいかもしれません。
スペインの有名なチェリストでパブロ・カザルスという人がいます。彼は「なぜストラディバリウスを使わないのですか?」と聞かれた時に「自分にはもったいない」「自分には合わない」と言って拒否したと言われています。資金が無かったからお断りしたわけではありません。カザルス程になってくると無償譲渡を受けるのも容易なので「無料でも要りません」と回答したことになります。カザルスの美観は狂っていたのでしょうか? 彼の代表作の1つにバッハの無伴奏チェロ組曲があります。これを聞いた多くの人は、美しいとは思わないようです。彼はキャリアを通して1把のチェロのみを愛用しました。これは弦楽器の最高の産地であるクレモナの楽器ですらありませんでした。彼には自分の理想とする音がすでに自分の中に有り、それが明確だったので他人の評価に左右されなかったのです。ところが現在ではカザルスがヴェニスの楽器・ゴフリラーを使っていたということで、チェロに関してはストラディバリウスよりもゴフリラーの方が上であるなどと言う人もいます。
名器は音色が必ずしも魅力的とは限りません。魅力的な音を得るためには中音域の密度を高めねばならず、そうするとレンジが狭くなります。高音と低音が出にくいということになります。一方、レンジを広げると音の密度が薄くなります。名器はこのバランスを考え、一見不可能という領域まで踏み込んでいるところが評価されています。中域だけ鳴らせば、名器より安価な楽器の方が美しく鳴る場合が多々あります。これは単純な例ですが、このような相違は複雑にいろいろあるので、もし個人的に拘りがあるなら、いわゆる名器よりも個性的な楽器の方が良いことになります。
音楽の視聴者と演奏家の音の概念は異なります。視聴者は音色、耳障りの良さのようなものに重きをおきますが、演奏家はそのようなものよりもとにかく表現したいものが表現できるかの方が遥かに重要です。そのため、演奏家の立場にならなければ理解できない音があります。上述したストラディバリやゴフリラーは演奏家基準からとても素晴らしい楽器です。反応が鋭敏で明快です。しかし一般視聴者の目線では、そのようなものは演奏技術に過ぎません。それぞれの異なる立場で判断しています。そのため、自分自身が全ての立場にならなければ音はわかりません。