正統的な二胡 - 二胡弦堂


 二胡は蘇州の発祥で蘇州二胡が標準的なものと考えられており、その理解で間違いないと思いますが、状況は比較的複雑です。

 シルクロードの終着点は蘇州で絹の生産地、二胡の弦も絹でした。楽器もシルクロードを伝ってきたもので、経済的に豊かだった蘇州に行き着き発展したと思われます。ですが蘇州を含め、周辺の江南地方は清朝初期に民族浄化で全滅しています。「千里無人」と言われるほどの虐殺を受けました。その後、雲南省から移植した人々が移り住んできました。ですから古くからの江南地方の二胡の伝統はわからなくなっています。また清朝乾隆年間には二胡は禁止となったので、新たに二胡が使われるようになったのは社会が混乱した清朝末期でした。胡琴類の楽器は北方にあったので、それが再流入したものと思われます。

 民国期までの二胡は、各地で様々、規格がバラバラでした。しかしそれは江南地方内の楽器でした。他の地方では板胡や京胡、またその他の様々なものでした。やがて常熟で周小梅と孫文明が二胡を改良しました。蘇州の北郊外、現在でも蘇州市の一部です。それから多くの製作家が出、大躍進時代に国営工場に集約されました。全ての工人は工場に移らねばならなくなりました。この時に、蘇州の音が確立されたのかもしれません。

 蘇州の音は、蘇州文化圏の音楽・江南音楽の伝統を受け継いだ音です。江南人の方言は柔らかく穏やかでゆったりしています。その理由は、水路が街中に張り巡らされた蘇州市内で、船の上から言葉で伝達するのに穏やかな話し方の方が声が通りやすいからと言われています。全く同じ理由でイタリアのヴェニスも同じような話し方だと言われています。一般に販売されている江南音楽のCDなどで聴かれる江南音楽のサウンドは、かなり輪郭のはっきりした音で鳴らしています。それにも関わらず江南音楽が独特の穏やかさを持っているのは、一部の音楽的部品(打音など)を遅延させるような技法を使うからです。

 中国・北方(北京、天津)と南方(蘇州、上海)の二胡は琴托の形状が違いますが、南方は胴を六角で作り、北方は六角だけでなく八角も作ります。かつては六角も八角もどちらも南方の二胡でした。八角の古楽器は上海に結構ありますが、北方では見つかりません。都市によって使う二胡の形状が違うので、ある南方の街では八角を使っていたということです。上海の戯劇で六角が使われるので、自然と六角に統一されたのかもしれません。現代の二胡は文革以降の歴史しかないので、伝統的な"正統な"二胡というものは存在しないと考えるのも1つの見解です。しかし個人の製作家がそれぞれの考えで作っていたものであっても、土地に根ざしたものであることは変わらず、それが徐々に統一されていって現代のような蘇州二胡に完成したのであれば、それを伝統的なものと見做しても良いようにも思われます。