なぜ日本人が中国民族楽器? - 二胡弦堂


子供が二胡を演奏して通りゆく人に餞別を求めるのは珍しい  これはよく西洋楽器をやっている方から、幾らか批判と侮蔑すら込めて言われることがあります。ここに来られた皆様もこのような反応に直面したことがお有りかと思います。人それぞれいろいろな考え方があるので反論したり訂正する必要はありませんが、自分自身で正しい見方を知っておくことは良いことです。

 「民族音楽」という言葉があります。これは、ラテン系の言葉では「エスニック」と言います。エスニックという言葉自体は異民族の文化を広汎に指すものですが、では誰から見て異民族なのでしょうか。

 音楽の発祥は中東で、かつては政治的にも文化的にも中東が世界の中心でした。アケメネス朝ペルシャ帝国がマケドニア王(欧州)アレクサンドロスによって滅亡した時、覇権は欧州人(ギリシャ人)に移るも主要地域は中東のままでした。やがて植民都市の1つに過ぎなかったローマが優勢になり、古代世界を支配下に収めました。しかし思想・教育の面ではギリシャが最先端でした。ローマの子弟はアテネへ留学し、共通語はギリシャ語、オリンピア競技(後のオリンピック)もギリシャで行われました。しかしギリシャ人が世界の覇権を得たのはアレクサンドロス以降のみで、それも幾つもの諸侯に分裂したものでした。ギリシャは政治的には常に西のローマとその後継王朝、東はオリエントの諸王朝の影響下にありました。中世にはイスラム系、後にモンゴル系、そしてオスマントルコに至る時代には、アジアが世界最先端の科学技術と高度な文明を有しており、やがて東ローマ帝国が滅ぼされ、スペインまで征服されるに至りました。それでもオスマントルコの官僚支配者層はトルコ人ではなくギリシャ人を起用し、皇帝親衛隊イエニチェリもバルカン半島人で構成、全てキリスト教徒でした。アジア優勢の流れはまた逆転し、ヨーロッパの僻地にある英国が産業革命によって力をつけて世界を征服し、欧州が最も文明的で先進的だと見なされるようになりました。ギリシャ・エーゲ海で開発された航海術がなければ、大航海時代はありませんでした。しかし世界のあらゆるものを規定した古代ギリシャ人自身は成功せず滅亡。現代ギリシャ人は別の民族です。その背景となる理由としては、ギリシャ各都市国家が独立を保ちやすい地形にあったとされ、ギリシャ人が全体として決して一致することがなかったためとされています。しかしだからこそ、世界の諸帝国にとって脅威とはならず、常に尊重されたことで潜在的な力を発揮し、長く歴史の中心で活躍することができました。このようにして見ると、覇権国の東西に関わりなく、古代世界では常にギリシャ人とその文化教養が背景にあったということがわかります。この太い骨格がオリエント・ローマ世界の基準になり、現代の欧米中心主義をも支えています。その骨格から見て傍流のものはマイナーと見なすという道理になります。究極的には非ギリシャ的なものが「エスニック」となります。

 さて本題の、日本人がなぜ二胡を演奏するかという点に注意を向けねばなりません。しかしこれを特殊なことと見ること自体が特殊ではないかと思います。なぜなら、雅楽やその他日本の伝統音楽は、中国から伝来したものだからです。ギリシャ文化を中心に考えると、東はインドまでが1つの世界。西は大きく南北アメリカも含まれます。西側ではこの範囲が文明世界という見方が主流です。東南アジアはインドと中国の強い影響下にあります。中国=日本の文化的集団は世界的に独特。世界は今、ネット社会になっていますが、それは英語が世界。中国語と日本語は"鎖国"しています。独自の世界があります。ネット世界は事実上3つの国で構成されています。

 この隣り合う、独自の文化圏を持った中国と日本ですが、その交流の歴史はどのようなものなのでしょうか。最も古い証拠は、奈良時代の正倉院の宝物で、唐の楽器が幾つも収蔵、今なお中国と日本の研究者の関心を集めています。この頃に日本の伝統音楽の基礎が作られたのかもしれません。

 その次に歴史的に明確なのは江戸時代に渡来した明清楽で、当時の日本人は中国語を翻訳せずカタカナにして歌っていたと言われています。これを「唐音(カラオト)」などと呼び(この延長でカラオケという語ができたのかもしれません)楽譜や本も多数出版されて人気があったとされています。楽器は輸入だけでなく国内生産も行い、特に安価だった胡琴と月琴は広くもてはやされました。この流れは幕末から明治にかけて続き、後の戦乱によって休止がありましたが、その頃ですら梅蘭芳の来日公演などがあり、その後大陸の政治的混乱によって閉ざされるも、冷戦後にまた再び文化的交流が始まったことは自然なことだと思います。現代は流通が発達しているので、中国だけでなく、世界の音楽を取り入れることができるようになりましたから、中国音楽はその内の1つに過ぎませんが、東洋拉弦楽器の伝統を色濃く残している点で、中国胡琴は貴重な存在なので、特に重要なものではないかと思います。