巨匠芸術とは何か - 二胡弦堂


 20世紀末ぐらいから「巨匠の時代は終わった」と言われるようになってしばらく経ちます。要因の1つは、商業主義の蔓延とされます。しかし商業主義が悪いかどうかはわかりません(巨匠たちの時代にも商業はありました。しかし悪い意味での”主義”には問題があるという人は多いのでしょう)。世界の99%以上の人々は、巨匠芸術が無くても構わないと考えているか、そもそも知りません。何を以て成功とするのかは様々ですが、成功する方法は幾つもあるので、巨匠芸術の必要性がわかりません。無くても生きていくのに全く問題はありません。

 確かにその通りなのですが、一旦巨匠性の輝きを目の当たりにしてしまうと、その眩い重味がまた様々な反応を引き起こします。それは自然であるため、簡単に見えることがあります。自分のことはわかりにくいとは言われますが、ある意味では意外とわかっているもので、全く及ばないと思う人もいるでしょうし、過去に違う選択をしていたら「もしや自分も達していたのかも」と思って後悔することもあるのかもしれません。価値は認めつつも、権益を守るために排除するような問題は多数あります。巨匠たち程、迫害されてきた人々も珍しいでしょう。

 まず「巨匠芸術とは何か」を定義します。1つ明確なのは、それが才能ではない、ということです。考えてみてください。世界に天才は幾らでもいるし、そこには子供も多いのです。しかし歴史上、巨匠に到達した人は、数える程しかいないのです。しかも学校にすらほとんど行っていないような人が巨匠と呼ばれたりします(学習は極めて重要ということも強調しておきたい。だがそれは学校に限りません)。天才の場合、色々と有利なこともあるのでしょうけれども、こと巨匠を目指すことに関してはアドバンテージにはなりません。致命的と思える身体障害があるのに巨匠になった人さえいます。

 巨匠芸術の最も際立った特徴は「常識の集積」であるということです。普通とか、普遍の純度が高いということです。だから巨匠たちの話を聞くと誰もが「ああそうか」となりますが、自分ではわからないのです。高純度でなければ、答えが見つからないからです。集団の中でどれぐらい際立っているか、ではなく、その全く逆なのです。全てが正しく普通なのです。だから誰でも目指せるのです。しかし人間が、全てにおいて普通ということはあるでしょうか。これが究極に難しいのです。しかも巨匠らは非常に個性が強いので、表面的には最も普通から遠いところにいるように見えます。しかし彼自身の中では、全てが普通なのです。本人は個性を消しているつもり、というより自分は見ていない。預言者のように正しいことだけを布教しているのです。なのに色んな人がいます。常識は正しい、だけど組み合わせは無限だからです。そこが人間の深淵な奥深さでしょうね。

 あらゆる「正しい」が積もりに積もって、それが建築群になった時、圧倒的な説得力を帯びるようになります。ということは、間違いがあるとその分は劣化します。ミスは問題ないのです。間違った思考ではないからです。哲学が全て正しくなければなりません。彼らは老化して体が動かなくなっても、そこにいるだけで音を変えるぐらいの強烈なオーラがあります。重要なのは考え方だからです。正しいというのは、それぐらい得難いし、空気をも変えるぐらいの力があります。

 ならば、徹底的に問題点を洗浄すれば良いのではないでしょうか。それは、努力したことのない人が言うことです。たった1つの些細な問題点、これを改善するのに1年かかることはザラで、5年とかそれ以上もあります。むしろ、簡単なものほど難しいものはない。基本的な部分に苦しめられます。見た目が難しいものは意外と大したことがないケースが多いものです。練習しておけば良いから。だからそういうものは大体の人ができたりするのです。基本的なことはとにかく軽視されます。

 まず、基本的な部分のスキルセットを把握することが重要です。アルゼンチンは世界最高の巨人を何人も送り出している国ですが、まだ存命の中では、女流のマルタ・アルゲリッチがいます。ショパン・コンクールで世界に衝撃を与え、そのショパン ピアノ協奏曲第一番を超える演奏はまだ生まれていないとされています。

 圧倒的に成功しましたが、御本人はそう考えず、すぐに学生に戻りました。しかもアルゲリッチほどの結果を出せない先生のところに戻りました。必要なスキルセットが埋まっていないので、その欠けたものがわかる人のところに戻ったのです。判断基準が人の評価ではありませんでした。重要なのは「どれぐらい正しいか」でした。勉強はできる時にしておかないと、上に上がってしまったら誰も教えてくれません。間違ったことをしていても、人々は偉い人がやっているから正しいのだろうと考えます。だけど、歴史上の巨人たちと比較されると明確に劣ります。目の前にしっかりした人が現れるだけで圧倒されます。それが嫌だから、レコード会社のゴールドの輝きに魅了されるのではなく、もっと価値のある輝きを求めて先生のところへ戻ったのです。学校の義務教育は、人間としての常識を身につけるものですが、全て教育とは常識を培うものです。常識の集積、その組み合わせ、その美に人々が魅了されるのです。