一般的には、舞踊の音楽だからという理由だけで、他のものとは異なる概念で捉えることはないかもしれません。しかし音楽に対する視点は舞踊家と音楽家では異なるため、舞踊に伴奏するのであれば器楽作品のように演奏することはできません。まず音楽が鳴り、それに合わせて踊られるので、音楽家の方では配慮を欠いて主観的に決めてしまっても自分たちの方では困ることはありません。このような無理解がしばしばみられるのであれば、バレエでは舞踊団からオーケストラへの要求が厳しくなることがあり、しばし紛糾するとされます。音楽家は舞踊について知識がなければ適切な伴奏はできません。
本題から少し逸れますが、声楽に対する伴奏もあります。声楽作品は当然ですが、声が最も重要です。これが引き立てられていなければなりません。そこで伴奏の楽団が密度の高いサウンドを作って団結するとパワーを生み、結果として声のプレゼンスが下がります。そのためオペラ伴奏の楽団は、各パートが分離している傾向があります。それぞれの楽器が単独で独立している感があり、それぞれが固有の存在であることが明確になっている傾向です。合奏というよりソロの集積です。サウンドがすっきりしています。そのため交響楽団と劇場付属楽団はすぐに聞き分けられるほどです。器楽は音が流れ、舞踊は拍、声は分離、という概念の違いがあります。デュエットはどうでしょうか。先日、古典音楽を題材にしたインド映画を見ると、その中で重要な点が3つあると話していました。男女の声質の違いを理解、明確な発声、息を極力出してはならない(口の前に置いた蝋燭の火を消してはいけない)とありました。違いとか明確など区分を重視していることがわかります。息を出さない、声は出すがそれを出しているところで留めて分離、ということです。
舞踊についてのしっかりした知識を得るのは簡単ではありません。音楽は100年以上前から録音があり、楽譜なら数千年の歴史があります。しかし舞踊にはありません。記録が容易に残せるようになってきたのは8ミリ以降、もっと容易になったのはスティーブ・ジョブス以降ですから最近のことです。失われた舞踊は多くあります。音楽には数え切れない程の不滅の演奏があります。しかし舞踊にはほとんどそういうものはありません。ですから舞踊を理解するのは音楽とは違う難しさがあります。現代に復興されている中国舞踊は、純粋な中国の古典ではありません。古典として残っているのは主に武術です。カンフーや太極拳として残っています。しかしこれらと音楽との関係は希薄です。宮廷音楽の録音は残っていますが、宮廷舞踊は残っていません。
舞踊はほとんど凡ゆる文化圏に有史以来存在するとされています。しかし欧州の舞踊に決定的な影響を与えたのは、ジンギスカンとその子孫がユーラシア大陸を征服した時に伝えた舞踊でした。それ以前の舞踊がどのようなものだったのかはわかっていませんが、プラトン「法律」の記述によると、戦士を訓練するための舞踊、女性の優雅な身のこなしを身に付けるものの2種が主で、その他、酔っ払いのような儀式の踊りもあると書かれています。おそらく日本とあまり変わりません。古代社会の場合、男尊女卑の意識がありますので、男女が対という概念は発想が難しい、通常の環境ではなかなかこういう形にはなりません。しかしモンゴル人は広大なユーラシア大陸全体で戦争していましたので子孫を増やすことが奨励されていたと考えられます。このようにして欧州に伝播した初期のものを総称してコントル・ダンス(カントリー・ダンス)と呼んでいます。農民の娯楽として根付き、風紀を乱す等の理由で度々禁止されるも、徐々にハプスブルグ宮廷に入ったものがワルツです。英国王宮に入ったものは社交ダンスです。しかしコントル・ダンスの雰囲気をより色濃く残しているのはバレエの方です。イタリアのメディチ家からフランス王室に嫁いだカトリーヌ・ド・メディシスによって伝えられたダンスは、ルイ14世がパリに王立学校を設立し、王自らも端役に出演するなど強化に努めたのがバレエの始まりです。ルイ14世が太陽王と呼ばれているのは一説には、最初にメヌエットを踊った人物が王自身で、その時に太陽神アポロンに変装したことに由来すると言われています。
フランス領ハイチでの独立運動でキューバに逃れた人々によって踊られたコントル・ダンスは現地のリズムと融合し、ハバナ風ダンスを意味する「ハバネラ」となりました。キューバは当時スペイン領で、本国から短期間移住していた作曲家のセバスティアン・イラディエル(Sebastián Yradier:1809~1865)がハバネラを使って「ラ・パロマ(La Paloma)」を作曲しこれが国際的に広まったことで認知されました。晩年の「エル・アレグリート(El Arreglito)」はビゼーが「カルメン」に借用したため、現代ではこちらの方がよく知られています。このようにしてハバネラはスペインに齎され、3拍子のフラメンコに2拍子のハバネラが取り入れられました。スペインでは南米由来の2拍子を全て「タンゴ」と総称します。別の支流はハバナからメキシコ湾の対岸にあるニューオリンズで発生したジャズで、リズムには共通点があります。さらに別の支流はアルゼンチン・ブエノスアイレスで高度に発展、これもタンゴと呼ばれています。スペインのタンゴとの関連性は薄いとされています。アルゼンチン・タンゴの方は4拍子で、南米黒人のミロンガ(2拍子)、欧州のワルツ(ヴァルス;3拍子)も加わりました。このように考えるとハバネラは、音楽と舞踊の関連において最も重要な革命的変化だったことがわかります。
舞踊は拍の区切りの明確さが重要ということでした。しかし人間の動きは機械のようではありません。時間的な長さが揃っていれば踊りやすいかというとそういうものでもありません。規律ある歩行が必ずしも舞踊ではないのと同じです。ワルツとハバネラのテンポ感覚は紙に記載できないため、一般的にはここに掲載している譜のように表記され、大きな特徴としては赤丸のところを長くします。1拍目が長くなります。演奏者が実際のテンポ感覚を理解している必要があります。歴史的に定着した舞踊のテンポは重要な原則が似通っているため、人間の身体の動きとして理想的なのかもしれません。1拍目が強調されることによるビート感が必要です。
さて、コントルとはどういう意味でしょうか。直接的意味は「対する」なのですが、初期のダンスは男女が向かい合っていたのでそう呼ばれていたのかもしれません。コントラプンクトというのは対位法のことで、2声以上の旋律が平行して鳴らされる場合の方法を示すものです。コントラティエンポ Contratiempoは、フラメンコにおいては主拍子とは異なるタイミングで鳴らされる手拍子や足を打つタップを示し、裏拍子とも言います。概念は対位法とほぼ同じです。
1つの音は2つになった時に音楽になります。1つでは音だけで音楽ではありません。舞踊は単に歩くだけでは舞踊になりません。開くと閉じるを繰り返すのが舞踊です。以下の動画を見ると、脚を開く、閉じて重ねるが繰り返されているのがわかります。片方だけでは舞踊になりません。
これはブエノスアイレス街頭のパフォーマーで、曲は2拍子のミロンガ、舞踊はタンゴとバレエの折衷という珍しいものです。基本構成は左から右に流れるもので、一段落したところで左端に行き直していますが、バレエの場合は歩いて向かいます。つまり休止を置きます。歩行は舞踊ではないからです。しかしタンゴでは単に移動という概念はありません。そういう休止の取り方はありません。端から直線はありますが、端に行き直して直線というのはありません。端に歩いていくというのはありません。これは正式なバレエでもないため普通に歩くのでもなく移動しています。舞踊そのものは60%以上はタンゴという印象です。ですから開く閉じるの対称が明確です。
舞踊に不滅の価値を持つものはほとんどありません。なぜなのでしょうか。音楽も舞踊もその人の生き方が反映されます。音楽の場合は反社会的であっても成立しますが舞踊は難しい、映像として記録に残して価値あるものと見做すのは難しい、しかし人間、誰しも欠陥があります。音楽は欠陥を抱擁し、舞踊は聖人を求めます。そして男女が対になる舞踊は鑑賞向きではありません。2人だけの世界に入るものです。それを第三者が鑑賞してもしょうがない。ですからバレエは対等な男女対を避けます。男性がサポートに回るなどして対等性を崩します。演出上難しい場合、例えば有名なものでは「ロメオとジュリエット」などがありますが、それでも極力2人で向かい合うのを避けます。また欧州の民族舞踊を披露するような催し物があります。多くの場合、男性のみ、女性のみの群舞を交互に見せ、同時に見せる場合も分離していますが、元は男女1対1で向かい合っていたものです。群舞をそれぞれ1人ずつに分け、男女を向かい合わせると伝承されてきた舞踊となります。このような催し物を見て、本当に伝統舞踊なのかと疑問を抱く人がいますが、違和感を感じさせるのは鑑賞用に演出しているからという理由があります。人数を増やすのも、その方が鑑賞に適しているからです。そう考えると、これらのセオリーを犯しても成立させている上掲したブエノスアイレスのこの2名が如何に凄いかがわかります。
舞踊において、おそらく最も重要なのは回転です。バレエも見どころは回転で、それを中心に組み立てます。フィギュアスケートも回転が重要です。体操、新体操、何でもそうです。大技は回転です。鑑賞価値があるのも回転です。回転にこそ美が詰まっているのです。スーフィーダンス(後に北インド音楽となる)に至ってはほとんど回転しかしません。物質の基本組成は螺旋構造で、光ですら螺旋です。ここに根源的な真理があるのでしょう。回るというのは夢があるのでしょう。ではメリーゴーランドは直進だったらいけないのでしょうか。ドイツで陸上トラックのように回るものも作られたことがあるようです。土地の活用を考えてのことかもしれません。しかしトラックでは直進中心で、回るというより迂回してまた直進というイメージです。コーナーを回っての直進は戦う印象になります。理由はともかく大不振となったのでまもなく姿を消したようです。上下しながら直進する樹脂製の馬に人々が違和感を感じたのでしょうね。ディズニーに行ってアトラクションに乗ります。肝心な部分に差し掛かると突然大きく曲がり、何かを予感させます。この演出がキモだったりします。回転は人を惹きつけます。
回転が多い例を選んでいます。演奏には回転の概念はあまりありません。しかし舞踊に対応するのであれば何らかの意識は必要です。舞踊の回転はブレてはいけないので見た目以上に精密に回転しています。脚が接地しているものであれば速度調整が自在なため、スローモションで回すことも可能で、細かいコマに区切るように止めてまた開始も可能です。それぞれの位置で正確に合わせる必要があります。滑らかに流れるように踊られています。しかし舞踊に「滑らかに流れる」という感覚はありません。見た目は滑らかであるというだけで概念としてはありません。精密な連結が正しいから結果として滑らかであるというだけです。演奏は流れますのでここが大きく違うところです。音楽があまりに美しく流れ過ぎるものは舞踊家には違和感があります。そのため踊るための舞踊音楽は、独特の構成感の堅さがあります。
最初は農村とか酒場の踊りだったところに、天才が輩出されると水準が上がり、高度な即興性を帯び、男女という脳の構造がまるで違う同士が互いを補完するという、そういうものへと発展しました。バレエはコントラ・ダンスに近いため飛び跳ねが多く、猫のように歩きます。タンゴはサッカーとの関連性が強く、発祥地・ボカ地区の真ん中にあるボンボネーラ競技場の側面には、タンゴを歌うマラドーナとピアノを弾くカニーヒア、バンドネオンを演奏するチームメートの壁画があります。
ここに掲載しているタンゴの例は、いずれも鑑賞舞踊の鉄則を犯しているのに鑑賞用として成立しています。ユネスコが無形文化遺産に登録しています。そして音楽の方も、舞踊が必要とする要素を完全に満たしているのに、音楽の鑑賞用としても成立しています。優れたものは原則を超越するのかもしれません。