一般的には、舞踊の音楽だからという理由だけでは、演奏上の特別なアプローチは無いかもしれません。しかし音楽に対する捉え方は舞踊家と音楽家では異なるため、伴奏は器楽作品のように演奏することはできません。まず音楽が鳴り、それに合わせて踊られるので、音楽家の方では主観的に決めてしまっても困ることはありません。このような無理解と配慮の欠如があった場合、バレエでは舞踊団からオーケストラへの要求が厳しくなることがあり、しばし紛糾するとされます。音楽家は舞踊について知識がなければ適切な伴奏はできません。
音楽にはアーティキュレーションがあります。説明をwikiから引用しますと「音楽の演奏技法において、音の形を整え、音と音のつながりに様々な強弱や表情をつけることで旋律などを区分すること。アーティキュレーションの付けかたによって音のつながりに異なる意味を与え、異なる表現をすることができる」とあります。これが音楽家の演奏に対する見方です。とにかく「音のつながり」を重視し、言い方を変えると「旋律をどのように歌わせるか」という観点で考えています。舞踊家は全く違う捉え方をします。極端な言い方ではありますが、ビートでぶつ切りになっている方が良い、ビートが主役で旋律はお飾りでも良い、なんならビートだけでも構わない、という感覚です。演奏は旋律が流れます。舞踊は一歩一歩の積み重ねです。もしその一歩ずつを曖昧にし、泥棒のように這うように歩くとそれは舞踊になりません。流れるように走る、これも舞踊ではありません。流れる旋律に対して一歩、そしてまた一歩とキメていくのは簡単ではありません。さらに、感情の揺れ動きで不規則変化などされると、曲の終止部ではテンポが変わる部分もありますが、全体的にエモーショナルになられると美しい舞踊になりません。無感情なビートでも構わないぐらいなのです。そのため、プロが伴奏に特化して演奏や録音したものは、音楽鑑賞にはあまり適していません。舞踊脳で聴かないと鑑賞できません。
舞踊についてのしっかりした知識を得るのは簡単ではありません。音楽は100年以上前から録音があり、楽譜なら数千年の歴史があります。しかし舞踊にはありません。記録が容易に残せるようになってきたのは8ミリ以降、もっと容易になったのはスティーブ・ジョブス以降ですから最近のことです。失われた舞踊は数多くあります。音楽には数え切れない程の不滅の演奏があります。しかし舞踊にはほとんどそういうものはありません。ですから舞踊を理解するのは音楽とは違う難しさがあります。中国の舞踊は21世紀に入ってからニューヨークで復興の努力がなされてきて、中国舞踊というものが確立されていますが、純粋な中国の古典ではありません。古典として残っているのは主に武術です。カンフーや太極拳として残っています。しかしこれらと音楽との関係は希薄です。宮廷音楽の録音は残っていますが、宮廷舞踊は残っていません。
舞踊はほとんど凡ゆる文化圏に有史以来存在するとされています。しかし欧州の舞踊に決定的な影響を与えたのは、ジンギスカンとその子孫がユーラシア大陸を征服した時に伝えた舞踊でした。それ以前の舞踊がどのようなものだったのかはわかっていませんが、プラトン「法律」の記述によると、戦士を訓練するための舞踊、女性の優雅な身のこなしを身に付けるものの2種が主で、その他、酔っ払いのような儀式の踊りもあると書かれています。目的意識があったことがわかります。娯楽の要素が強い男女が対になるものはモンゴル人以降で、そこからバレエ、社交ダンス、ワルツなどが発展しました。古代社会の場合、男尊女卑の意識がありますので、男女が対という概念は発想が難しい、通常の環境ではなかなかこういう形にはなりません。しかしモンゴル人は広大なユーラシア大陸全体で戦争していましたので子孫を増やすことが奨励されていたと考えられます。ですからこれも当初は目的意識があったことがわかります。このようにして欧州に伝播した初期のものを総称してコントル・ダンス(カントリー・ダンス)と言っています。農民の娯楽として根付き、風紀を乱す等の理由で度々禁止されるも、徐々に宮廷に入りワルツとなりました。それが英国宮廷に入って発展したものが社交ダンスです。しかしコントル・ダンスの雰囲気をより色濃く残しているのはバレエの方です。イタリアのメディチ家からフランス王室に嫁いだカトリーヌ・ド・メディシスによって伝えられたダンスは、ルイ14世がパリに王立学校を設立し、王自らも端役に出演するなど強化に努めたのがバレエの始まりです。ルイ14世が太陽王と呼ばれているのは、最初にメヌエットを踊った人物が王自身で、その時に太陽神アポロンに変装したことに由来すると言われています。
フランス領ハイチでの独立運動でキューバに逃れた人々によって踊られたコントル・ダンスは現地のリズムと融合し、ハバナ風ダンスを意味する「ハバネラ」となりました。キューバはスペイン領だったので、ハバネラがスペインに齎され、3拍子のフラメンコに2拍子のハバネラが取り入れられました。スペインでは南米由来の2拍子を全て「タンゴ」と総称します。フラメンコの発展とは無関係にもう1つの支流が発生し、それがアルゼンチン・ブエノスアイレスで高度に発展、これもタンゴと呼ばれています。どちらもタンゴですが、関連性は薄いとされています。アルゼンチン・タンゴの方は4拍子で、南米黒人のミロンガ(2拍子)、欧州のワルツ(ヴァルス;3拍子)も加わりました。
さて、コントルとはどういう意味でしょうか。直接的意味は「対する」なのですが、初期のダンスは男女が向かい合っていたのでそう呼ばれていたのかもしれません。コントラプンクトというのは対位法のことで、2声以上の旋律が平行して鳴らされる場合の方法を示すものです。コントラティエンポ Contratiempoは、フラメンコにおいては主拍子とは異なるタイミングで鳴らされる手拍子や足を打つタップを示し、裏拍子とも言います。概念は対位法とほぼ同じです。
1つの音は2つになった時に音楽になります。1つでは音だけで音楽ではありません。舞踊は単に歩くだけでは舞踊になりません。開くと閉じるを繰り返すのが舞踊です。以下の動画を見ると、脚を開く、閉じて重ねるが繰り返されているのがわかります。片方だけでは舞踊になりません。
これはブエノスアイレス街頭のパフォーマーで、曲は2拍子のミロンガ、舞踊はタンゴとバレエの折衷という珍しいものです。基本構成は左から右に流れるもので、一段落したところで左端に行き直していますが、バレエの場合は歩いて向かいます。つまり休止を置きます。歩行は舞踊ではないからです。しかしタンゴでは単に移動という概念はありません。そういう休止の取り方はありません。端から直線はありますが、端に行き直して直線というのはありません。端に歩いていくというのはありません。これは正式なバレエでもないため普通に歩くのでもなく移動しています。舞踊そのものは60%以上はタンゴという印象です。ですから開く閉じるの対称が明確です。
舞踊に不滅の価値を持つものはほとんどありません。なぜなのでしょうか。音楽も舞踊もその人の生き方が反映されます。音楽の場合は反社会的であっても成立しますが舞踊は難しい、映像として記録に残して価値あるものと見做すのは難しい、しかし人間、誰しも欠陥があります。音楽は欠陥を抱擁し、舞踊は聖人を求めます。そして男女が対になる舞踊は鑑賞向きではありません。2人だけの世界に入るものです。それを第三者が鑑賞してもしょうがない。ですからバレエは対等な男女対を避けます。男性がサポートに回るなどして対等性を崩します。演出上難しい場合は、極力2人で向かい合うのを避けます。また欧州の民族舞踊を披露するような催し物があります。多くの場合、男性のみ、女性のみの群舞を見せます。ですが、元は男女1対1で向かい合っていました。群舞をそれぞれ向かい合わせると伝承されてきた舞踊となります。このような催し物を見て、本当に伝統舞踊なのかと疑問を持つ人がいますが、違和感を感じさせるのは鑑賞用に演出しているからという理由があります。人数を増やすのも、その方が鑑賞に適しているからです。そう考えると上掲したブエノスアイレスのこの2名が如何に凄いかがわかります。
舞踊において、おそらく最も重要なのは回転です。バレエも見どころは回転で、それを中心に組み立てます。フィギュアスケートも回転が重要です。体操、新体操、何でもそうです。スーフィーダンスに至ってはほとんど回転しかしません。なぜなのでしょう? わかりません。大技は回転です。鑑賞価値があるのも回転なのです。回転にこそ美が詰まっているのです。もし回転を省けばどうなのでしょう? 大きな喪失感があるでしょうね。人間はクルクル回ったら美しいのですか? そのようです。不思議なものです。回るというのは夢があるのでしょう。メリーゴーランドは直進だったらいけないのでしょうか。陸上トラックのように回るものも作られたことがあるようです。土地の活用を考えてのことかもしれません。しかしトラックでは直進中心で、回るというより迂回してまた直進というイメージです。コーナーを回って直進は戦う印象になります。理由はともかく大不振となったのでまもなく姿を消したようです。上下しながら直進する樹脂製の馬に人々が違和感を感じたのでしょうね。ディズニーに行ってアトラクションに乗ります。肝心な部分に差し掛かると突然大きく曲がり、何かを予感させます。この演出がキモだったりします。回転は人を惹きつけます。
回転が多い例を選んでいます。演奏には回転の概念はあまりありません。しかし舞踊に対応するのであれば何らかの意識は必要です。舞踊の回転はブレてはいけないので見た目以上に精密に回転しています。脚が接地しているものであれば速度調整が自在なため、スローモションで回すことも可能で、細かいコマに区切るように止めてまた開始も可能です。それぞれの位置で正確に合わせる必要があります。滑らかに流れるように踊られています。しかし舞踊に「滑らかに流れる」という感覚はありません。見た目は滑らかであるというだけで概念としてはありません。精密な連結が正しいから結果として滑らかであるというだけです。演奏は流れますのでここが大きく違うところです。音楽があまりに美しく流れ過ぎるものは舞踊家には違和感があります。そのため踊るための舞踊音楽は、独特の構成感の堅さがあります。
最初は農村とか酒場の踊りだったところに、天才が輩出されると水準が上がり、高度な即興性を帯び、男女という脳の構造がまるで違う同士が互いを補完するという、そういうものへと発展しました。バレエはコントラ・ダンスに近いため飛び跳ねが多く、猫のように歩きます。タンゴはサッカーとの関連が強く、発祥地のボカ地区の真ん中にあるボンボネーラ競技場の側面には、タンゴを歌うマラドーナとピアノを弾くカニーヒア、バンドネオンを演奏するチームメートの壁画があります。
ここに掲載しているタンゴの例は、いずれも鑑賞舞踊の鉄則を犯しているのに鑑賞用として成立しています。ユネスコが無形文化遺産に登録しています。そして音楽の方も、舞踊が必要とする要素を完全に満たしているのに、音楽の鑑賞用としても成立しています。優れたものは原則を超越するのかもしれません。