全てを好き嫌いで判断する - 二胡弦堂


 すでに日中関係が悪化してどれぐらい経つのかわかりませんが、皆さんは日本人の多くが嫌っている国の楽器をやっている"変な人"です。しかもこれだけ長期化しているので、現在二胡を奏する多くの方は日中関係が悪化してから始めているという状況になってきているのではないかと思いますのでなおさら"変"です。"変な人"が集まり過ぎている。だけれど、それでも表題のような問題が生じることもあります。

 二胡奏者か或いは何の楽器をやっているかに関わりなく、楽器を演奏する以上は演奏する曲を選択することになります。その時に何かの録音物や動画を見たり楽譜を読んだりして新しい曲を探すことがあります。その時に決まって「これは好きじゃない」といったような感覚的好みで物事を判断することがあります。好き嫌いがあるのは普通のことですが、常に全てに対してとなると問題なので、我々は小学以来、学校教育で文科省が重要だと決めた、しかし個人的には「好きではない」科目も強制的に履修させられ、常識ある社会人として生きていけるように訓練されています。これを「我慢を強いる」ものだと見做した人は子供の頃に当った先生が良くなかったのでしょう。

 生活していくために嫌いなことも我慢するということはあるかもしれませんが、趣味はどうでしょうか。これができるようになったら、人生で"我慢"というものをほとんどしなくて良いでしょう。考えてみますと、そもそも知らないから好きでもないわけで、そこにミステリアスな何かを求めるとそれは必ず見つかります。だから好き嫌いとか我慢というようなそういう話がまず最初に出てくること自体が不自然なことです。ソクラテスによる「無知の知」と呼ばれる理論がありますが、自分の知らないことに目を向けるのは教養の表れであって、これができなければ本質的な意味で進歩はありません。好きというのはある程度知っているから好きなのであって、未知のものがすでに好きであるということはありません。なんとなく自分の守備範囲の中だけでやっていれば、それ以上の拡大はなく、視野が狭くなります。

 ここに来ている人は二胡奏者の方がほとんどですが、そうであれば自分の知らないことにも取り組んだ人なので、かなり立派なのか、そうでなくても少なくともこの点、理論上ではありますが幾分かはましな状態にあることになります。しかも敵視されている国の楽器をやるに際して「好き」でやり始めたのかどうかわかりませんが、少なくとも"狭い"人でないのは確かです。そこまで達していて、楽曲を選ぶ段階で好き好みを言うのはおかしいですが、実際には誰しもそういうことはあります。人によって環境が違うので、たまたま守備範囲の中に二胡を受け容れる余地があったというそれだけだったら何ら立派なことはありません。自分の周囲には好きなものが、そのエリアの範囲外にはよくわからない嫌いなものがありますが、実は内心では範囲を広げたいと思っています。もう思っていたらほとんど問題ない筈ですが、だけど実際にはどうして良いかわからない場合が多々あります。「征服よりも支配の方が十倍難しい」という言葉があります。新しいことに取り組むのは簡単ではありませんが、それを自分のものにするのはかなり難しいことです。完成させる目標から逆算して"侵攻計画"を立てないと失敗するので難しいのです。その計画は対象物をよく理解していなければなりません。知らないものを得るのに、その前に知っている必要があるのですか。そうです。だから難しいのです。それで老師が必要なのですが、それでも本人の考え方が間違っていれば老師もどうしようもありません。

 ある人がアインシュタインに、

Einstein remarked that creativity is all about asking the right questions. When asked what he would do if given one hour to save the world, Einstein replied that he would spend 55 minutes to understand and formulate the problem, and 5 minutes to execute the solution.

 大きな危機、例えば地球の滅びが迫っていて、持ち時間が一時間有るという場合、どのように創造性を発揮しうるかと質問しました。

Einstein said,“The formulation of the problem is often more essential than its solution…. If I had one hour to save the world, I would spend the first 55 minutes defining the problem and the last five minutes solving it.”

 その答えはこのようなものでした。2回答えていますが、一段目では「問題を理解し公式化するために55分、解決を実行するのは5分」。二段目では「定義するのに最初の55分を費やす、問題を解決するのに5分」。一時間しか持ち時間がなければ、全部の時間を使って解決に全力を上げないといけないのではないでしょうか。二胡は時計のように正確に音程を合わせるべきか?違うようです。何と!問題の把握に55分も使うようです。いやいや、危機が迫っているのは最初の0秒の段階で、もうわかっているでしょう。違うのです。「知っている」から始めるのではなく、「知らない」からスタートします。そして知るために55分を使います。そうであれば行動は5分で十分ということです。どういうことでしょうか。

 アインシュタインの例を具体的に補強しましょう。神が地球を滅ぼすことにします。そして人類に対して「一時間後に地球は滅びる」と告げます。テレビを点けると、すでに東京都庁が崩れてきている映像が流れています。死者も多数出ている模様です。渋谷の自宅から、どうやって郊外に避難するか考えなければいけません。しかし切符は買えません。知り合いのJR社員に電話して横流ししてもらい何とか東京からは逃れられそうです。切符が買えないという人がたくさんいて東京駅では暴動も発生しています。自衛隊が天から舞い降りてくる軍隊に応戦しています。それでもやがて東京は壊滅します。もう時間は5分しかありません。しかしある少女が世界にこう問いかけます。「どうして神様は怒っているのでしょうか」。その時、世界の人々は戦ったり争ったりすることが誤りだったということに気がつきます。人々は互いに助けあうようになります。神は地球を滅ぼすことを後悔します。そして終末時計はついに最後の1分を差します。世界の人々は静かに見守ります。1分、2分・・5分経ってもその針は動きません。時に、問題の根本原因を見いだすのは簡単なことではありません。それゆえ、アインシュタインは持ち時間の大半を、理解し定義するために使う必要があると考えました。ソクラテスは無知であることをまず理解することが重要だと考えました。孔子曰く「知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これ知るなり」。

 あらゆるものを好き嫌いで選別していく考え方は傲慢で忌むべきものです。自分が皇帝になって森羅万象にジャッジを下すような行為です。この克服はとても難しいことです。ゴキブリは好きですか? 受け容れろと言うのですか? これだけ上からジャッジを下しても良いですか? 世界から消えてなくなって欲しいです。こういったことが1つあると、2度目、3度目もあります。それが物事を理解することから遠ざけるということです。好き嫌い以前に、あなたの家の隙間を塞ぐ方が余程有益です。ゴキブリが好きで研究している人もいますが、そういう人でも家の隙間は塞ぐでしょう。中国曲で時に理解しにくい作品があるかもしれません。しかしそれは魅力があったから紙に印刷され外国人である我々にも入手できるようになっています。それは何なのか? それを理解するまで最後の5分に達することはできないでしょう。