練習量 - 二胡弦堂


二胡の進歩には時間が必要  ピアノのバイエルは初心者が最初に使う練習本ですが、ほぼ全ての練習生が「どれぐらい練習すべきか」を心配するので、ある程度進んだところでコラム欄を設けて説明しています。1度にたくさん練習するよりも、1日に10分と書いてあります。10分で充分という意味ではなく、忙しくてもこれぐらいはお願いしますという意味です。

 1つの作品の演奏で、または練習曲の演奏で「できる」というのがどういう水準なのかは、状況によります。極端な話、初心者がある練習曲をプロのように演奏できないから先生が全くダメと認定し、できるようになってから次に進まねばならないと判断したとします。練習生はそればかりを練習して5年でプロレベルに到達したとします。そして次に行きます。これで良しとして、何年も音を伸ばすだけをやり続けてそれしかしていない教室も実在すると聞いたことがあります。背景がわからないのでなんとも言い難く、参加している人々が満足していればそれで良いと思いますが、通常このようなことはないものです。では、先生が頃合いを判断するのかと言えば、それも結構難しい要素があります。仮に先生の判断が全て正しかったとしても、生徒が複数いれば進歩にバラツキが出て足並みが揃いません。このような問題があるので、学校というところは強制的に前に進みます。1年生はここまでと文科省が決めています。誰かが全部わからなくても関係なしに前進して終了します。

 教室に通っている場合はそこの方針に従いますが、独学の場合は自分で管理する必要があります。習っている方が恵まれています。幾ら練習しても間違っていたら意味がないので、この点でも習っている方がはるかに良いです。そのため何でもそうだと思いますが、最初は特に先生がいる方が良いと思います。最初はとにかく何もかもが新しいので自分でやっていくのは大変です。そうしますと教室のペースがあるので、練習量は自ずと決まってきそうです。

 そうしますと独学の場合であれば、とにかく進むことを重視すれば良いように思いますが、単にやみくもに前進して良いかというとそういうわけでもありません。ある程度、収穫があれば次に進むことになりますが、最初はこれで結構うまく行くケースが多いと思います。進んでいきますと途中で難しい壁があって、それが時間が経ってもなかなか克服できないから、そこで頭打ちになって、前進もできなくなるということがあります。おそらく誰でもあるのではないかと思います。習っていてもあります。必要なスキルセットがあって、その中には難易度があるので、手っ取り早いところから埋めていき、可能な限り向上するよう努力するのですが、それでもその中の一部がなかなか克服できないということです。それがないと上にいけないという肝心なものだった場合、少し困ることになります。しかしこれぐらい状況を明確に判断できていれば、ほとんど解決しているようなものです。先生がいれば尚更です。ところが、原因がわからない場合もあります。一体何をやればブレイクスルーするのかという。これも結構誰でもあると思います。死角か、それに似たようなものが結構点在していて、それが見えにくいというものです。また、こういうことは一切考えないという人もいます。そういう人はかなり練習する傾向があります。たくさん経験してそのうちわかってくると。これも一理あります。どういう課題に向き合っているかによって、適切な対応は変わってきますので、何が正しいかはケースバイケースです。法則性もあるので、ベテランの先生なら経験でわかっていて、対処しやすいというのが習っているメリットと思います。

 練習の量とはまた違うのですが、何十年、生涯という長い取り組みの中で、進歩をどのように観るのか、世阿弥著「風姿花伝」第一章「年来稽古条々」に書かれていますのでご紹介します。対象の読者は、能の家元です。トップを教育するためのものです。筆者が父・観阿弥から受けた教えを書き記したものでした。当時は寿命が短かったということもあるのですが、父が52歳で亡くなったので人生を50歳までとし7つに分けて成長過程を説明しています。重要な部分は20代と30代ですが、順に辿ります。

 訓練を始めるのは7歳とあり、これは現代の小学入学ぐらいに相当します。現代の義務教育では6歳より文字を教えますから大体一致しています。この頃は、子供の自発性を伸ばさなければならない、とあります。もし親があまりに厳格だと模範的なコピーを覚えて単に良い子になるだけとなり、考えて行動しなくなるというような警告があります。個性を重視する情操教育は、これぐらいの年代では問題なしということのようです。もうこのあたりの年齢で教育が失敗していたら、その子はほとんど望みがない、第一段階で脱落ということになります。能には舞台出演があります。子供を晴れ舞台の一番に出演させるなと警告があります。自分が一番だと勘違いするからです。3,4番手で訓練せよとあります。もうこの時代からゆとり教育が否定されています。

 次は、12,13歳とあり、中学ぐらいです。この年代の子は、姿や声も美しい、と書かれています。いろんなことを覚え、大人と同じようなことができるし、かわいらしいから賞賛を受けるとあります。結構ですが、その時限りの魅力に過ぎないとあります。周囲の声に耳を傾けて自信を持つのではなく、基本に立ち返って、黙々とやるべきことにコミットするよう訓練せよとあります。

 17,18歳。これぐらいになると、幼さが消え、何をやっても賞賛を受けられなくなり、苦しい時期に入るとあります。華、魅力を失います。外見は大人なのにレベルは低いからです。どれだけ誹謗中傷されても、地道に訓練できるかが試されるとあります。

 24,25歳。ここで芸が確定するとあります。世間の注目を集めるようになり、名声あるベテランの人々を差し措いて、若さで颯爽と登場し大成功。過大な評価を受けることすらあるとあります。技を極めたような錯覚さえあります。本当に鑑識眼のある人物は、その偽の魅力を見分けるだろうと書かれています。現実としては、これぐらい成長していたら十分と考えるものと思います。決して一人前ではないという意味ではなく、まだ極めてはいないことに注意するように促すものです。成功するのはとても良いことですが、まだ成長段階であることを認識するよう戒めています。一時的な魅力に過ぎないことを悟り、名人らに教えを乞い、稽古に精進せよとあります。永遠の魅力と勘違いすると、それは失う、身の程をわきまえれば一生失わないとあります。物事をよく考えろ、ともあります。この中で「名人に教えを乞え」とあります。ということは、このような若い人に教育できる資格のある人は名人ぐらいということなのです。だからこの若い人の成功は本物なのです。持っている魅力は朽ちるものですが、今は美しく、そして本物なのです。だけど時効があります。

 34,35歳。ここから40までが大成の時期である、とあります。ここで名声を得ていなければ、40歳を過ぎると下降が止まらなくなるとあります。本当の結果が出るのはここだとあります。ここで極めていなければ終わりとあります。もし修正できるなら、もっと前の段階でできている筈だからです。 人は生まれた時から能力に差があります。低IQの人は死ぬまで低IQのままである可能性が高く、逆も同様です。しかしそれは止まっていればの話で、大多数が40歳までの大成に至らないし、そんなに努力もしないので、最大公約数的には生来の能力が重要です。進歩するのであれば、低IQの方が有利かもしれないという意見の人もいます。動物の知能は急速に発達し、人間も女性の方が2年速いです。やがて巨人になるのは学業が優秀でなかった男性に多く、彼らは長い時間をかけて進歩します。一方で、特定分野に特化していてそれだけできれば良いのであれば、生来の才能に価値があるというケースもあります。言語能力など特定の分野は女性の方が優秀です。ストレス耐性も女性の方が優れています。しかし技術、知識、教養、感性など総合力が求められる分野では、高IQだった人や女性には難しくなります。早ければ優秀というわけではないし、能力や感覚に頼ってしまう傾向があるからかもしれません。もっと賢くなるとこういうことはわかるので高IQでも大成する人が出ることもあります。こういう人は社会的に成功しているにも関わらず、隙あらば見習いに戻ろうとする傾向があります。人間は非常に複雑なので、安易にランク付けすることはできません。そのため、年齢でのカテゴライズも絶対と見做すことはできませんが、しかしどこかで目安は必要です。多くの場合、人の価値は30代後半で明らかになるということです。

 44,45歳で、当時は肉体が衰えてきていたようで、後進に譲り、自分は次席に控えろとあります。しかしここまで来て尚、魅力が失われないのはそれは本物とあります。それでもそういう人こそ退くものだと、そういう心こそ、奥義に達する心得、とあります。最後は50で、これぐらいで死んでいたらしい。できることもなくなってきて、何もしない感じになってゆくが、それでも魅力は残るだろうとあります。これが本物とあります。

 この中で興味深いのは「落ちていく」と警告されている部分です。普通、一旦身につけたら、それに関しては大丈夫と思うのですが、本物じゃないものはどれも落ちるのだと・・。上述の道理でいくと、20代までは順調に成長したとします。そこでヨシ大丈夫、これぐらいでいいかなと満足したとします。すると30代半ばで落ちますよ、と書いてあるわけです。怖過ぎる。40ぐらいまで様子を見ないと定着しているかわからないし、失敗していたら低下に歯止めがかからないのです。本当ですか?

 上述の流れでいくと、スキルセットが揃うのは、24,25歳です。卒業して一人前の段階なのです。だけどトップレベルでは1年生なのです。それも順調に伸びてきた人の話であって、多くは脱落しているのです。というより大多数はスキルセットを集めることさえしないのです。人が見ていない、目立たない、わかりやすい評価がつかないものはやらないのです。その中で着実に成長してきた、とても立派な青年なのです。だけどその中からさえ、色褪せていく人が出ると警告されているのです。名人に教えを請うても10年はかかるのです。

 「朽ちない宝」これさえ手に入れれば、ほぼ惰性で伸びていきます。そうでなければ落ちていきます。よく知っている先生方の中には、子供の性格を見て将来がわかる人もいます。これは教育では難しい。性格は変わらないものです。だから熱心な親は早い段階から矯正するのですが、それだけでは曲がったものを無理に真っ直ぐにした感があって良くないので、やっぱり良い環境を求めるのです。良いものを直に体感すると、そのものの持つ魅力がわかるので本人から積極的に正しい方向に行きたがるようになります。そのための学費はかなり価値があります。こういうルートを一度体感すると、他のことにも応用され、その子が社会人になった時にそれは大きな武器になります。一度トップレベルになると、他の分野に移っても途中で崩れたりというのはなくなります。止める場合も判断が速く、また教養の一環で嗜むような場合でも中途半端になってしまうことはありません。

 練習の量というのも漠然としたもので、量というよりは中身の質が大事と思います。だから生まれた国や地域で、同じ努力でも結果は全く異なります。