個人によって能力があるのでどれぐらい練習が必要なのかはわかりません。それよりも負担がない方が重要かもしれません。
楽器は何でもまず初心者の極簡単な作品があって、それができたら次に行くのですが、そこでこの「できる」というのがどういう状況なのかというのは人によって見方が違うと思います。単に音を伸ばすだけの極めて簡単な練習課題がある場合、それが「できる」というのは究極的にはプロでも難しいので、エクササイズとして1時間やるとか、京劇の琴師はやるらしいし、放課後のブラスバンドはとにかく長く音を伸ばす練習を繰り返しています。演奏の安定に大きな影響があって重要だからです。これができるということなのだと、そこで初心者にもそれを課し、何年もそればかりやっている凄い教室が実在すると聞いて驚いたことがあります。だから、そこの生徒さんは何も演奏できないのです。こうなってくると、表題の「たくさん練習しなければならない」のだろうかということになってきます。
当然、優秀な先生はこのようではないので、それらの先生方が制作している一般に販売されているメソッドはきちんとしたものがほとんどです。何事も初心者の最大の問題は、できることが少なすぎてつまらない、ということなので、この問題をクリアせねばなりませんから、その辺りを考えてあります。ですがそれも使い手次第です。これがまず目前の課題になるのですが、先生と生徒が同じ認識でなければ、うまくいかない状況になります。
つまり生徒が、基礎練習は重要、だと。手を抜くのは良い教師ではないと考えるなら、上述の基礎練習を何年もやることになります。だからこういう教室もあるのでしょう。もっときちんとメニューを考える教師は良くないからやめて、そういうところに行きます。先生と生徒がそれなりの水準にないと、進歩性はほとんど生まれません。
ベターなのは初心者でも演奏できるわかりやすい作品を複数やることで、まずは慣れることです。そのため基礎練習はなるべく素早く飛ばします。いい加減でも良いのでしょうか。良くないのであればどうなりますか。後から問題点が露出します。それからやり直してはいけないのでしょうか。そんなことはない筈です。大抵は教えなくても本人が気になってきます。それから戻った方が意味のある練習になります。ですがそれもある程度で打ち切ります。次に進みます。また問題になってきます。戻ります。生徒さんが何のために練習をしているのか明確なので伸びやすいのです。それで優秀教本はそういう設計になっています。それも若い人は早いので飛ばしながら進んでも十分です。とにかく早く上に上がらないとよくわからない状態が長期化し、諦めることになりやすくなります。
それともう一つは先が見えるかというのが重要です。現在地の把握です。最終的にはどういうところに向かい、今はどこなのかということです。これがないとモチベーションが下がり気味になります。
時に、かなりの難曲があって、初心者がこれをやりたいのだと、これだけで良いのだと言ってくることがあります。それは応じるべきです。一見無理なのですが、本人はそれが一番やる気があるのです。そのため結構いける場合が多いとされます。そしてこれが結局最も進歩が速いです。無理か疲れてくると、途中で休止して違う作品というのも本人次第で構わないと思いますし、ただこれはあまりない、大体はいけるか直ぐにやめます。
真面目に教本で一から行きます、というのが一番時間がかかり大変です。特にやりたい特定の作品もないので何でもいい、ということなら尚更です。ただ、全く最初から練習もしないのは、これも大変なので、それで昔の練習本は結構早く初期練習を抜けるように作られています。
そして一番速いのは、蒋風之の曲集です。とにかく如何に速くここに入るのかを考えないといけません。