中国胡琴芸術博物館レポート - 二胡弦堂


 中国・江蘇省徐州市に二胡専門の博物館があります。どうして徐州? わかりません。弦堂:徐州に胡琴博物館があるらしいな。中国人:どうせろくなものはないよ、とこういう会話をあちこちでやった後、それでも行くことにします。中国では人が作ったもので良いものはなかなかないので観光というと自然が人気あります。自然は本物ですから。しかし胡琴博物館、なかなかおもしろかったです。

 徐州・雲龍公園に入りますとすぐにこういう標識があります。50mぐらい行くとすぐ右手にあります。

 これが入り口です。入場は無料で開放されています。

 入り口正面にはこういうレリーフがあります。

 入り口をくぐって正面にはこれです。もうすぐにわかります。阿炳です。阿炳というのは何でこんなに影響力を持っているのでしょうか。小澤征爾が中国に客演した時に二泉映月を聞いて涙を流したからなどと言われています。そして小澤は録音も残しています。小澤は何で中国でこんなに影響力があるのでしょうか。彼が満州国・奉天生まれであるということが何らかの心理的影響を与えているものと思います。しかし中国では満州国は「偽満州国」です。それでは小澤が北京育ちということが関係あるのでしょうか。小澤はかつて幼少時に護国寺街に住んでいたことがあります。梅蘭芳は護国寺街1号、弦堂はかなり前に137号(ここはホテルで今でも投宿することがあります)に住んでいたことがあります。ちなみに1号と137号はどちらも端です。楽器街や京劇院もあるし、どうしてもこの辺になってしまうんですね。さらに徐州と阿炳の関係? 中国に行くと、物事を深く考えてはいけないのかな?と思うことしばしばです。中国人は何も思わないのでしょうか。そんなことはないようです。

 この人の銅像であれば、それがどこにあろうとも違和感はありません。

 楽器展示室がありますので早速進入します。ここに「魂」とあります。中国は漢字の文化なので、一文字のみで本質を表すということがあります。これもその一つだと思います。「神韻」という言葉もあります。魂は表現者の内奥を表したものであり、その結果として表出されたものが神韻です。中国では万象を集約して1つの結論を導き出そうとするところがありますが、西洋ではそうではないのであまり魂などという言葉は使いません。西洋で魂が宿った演奏が少ないからではありません。むしろ非常に多いですが、それらは「有機的な響き」「血が通っている」などと言われます。魂という語は相当な状況でなければ使いません。情熱、白熱、発火など、より本質に近いと思える言葉を当て、魂はその中の1つの選択肢に過ぎません。もちろん熱いものだけではないのでその逆もあってそれにも魂が宿っている場合がありますから表現はより多くなります。演奏家の思いがあまりに表に出過ぎているけれどそれでも魅力あるものは、崩壊一歩手前とか、綱渡りなどと一見批判的な表現で説明し「崩壊しようとも、それでも愛さずにはいられない」などと持ち上げたりします。手品師のようにあれもこれもで繰り出して評価自体がエンターテイメントになっているのが西洋で、東洋はシンプルに1つの言葉で自然に還ります。しゃべりすぎを潔しとしません。確かに芸術の本質は世界共通ですが、アプローチが変わると違った特質のものが生み出されます。こういう東洋と西洋の大雑把な違いは興味深い点です。

 中国胡琴の種類を紹介するコーナーです。

 中胡はなぜか馬乾元です。

 中央には貴重なものが展示してあります。

 様々な材料の紹介です。ほとんど王国興作です。

 50~60年代に甘涛が使っていた二胡です。

 張鋭が使っていた二胡です。この人はこういう少し変わったデザインのものが好きなようです。

 奚琴です。二胡の原形とされています。

 有名演奏家から提供された二胡のコーナーです。赤い鼻息を吐き出している二胡も張鋭の提供です。

 これも張鋭の二胡です。

 1983年作の王根興です。張韶が22年使っていたものだとあります。

 王国潼が10歳の時に使っていた二胡とあります。

 呂建華もあります。

 他にはパネルとか書籍音像関係の資料の展示があります。そういう建物が公園内に点在しています。園内は老人が屯しています。二胡を演奏している人ですか? 全くいません。それよりカードで博打です。もうこれぐらいの規模、中規模ぐらいの都市になると二胡を売っているところを探すのも簡単ではありません。やはり改めてここに胡琴博物館があるのは謎に感じられます。おそらくですが中国的思考で考えると、ここが北京と江南の間にあるからだと思います。