カザルスはこの本が出版された時はすでにかなりの年齢だったので、弟子がインタビューしそれを活字にするという方法で編集されました。類書では、演奏芸術はこうあるべきという観点から述されたもっと前向きな著作も当時すでに幾つもあったので、その引用も含められながら、重い内容に対して幾らかの距離を置いて、これまでの経験を淡々と語るようなものでした。
全体の中でカザルスがこれまで一緒に仕事をした演奏家について様々な感想を述べているのですが、この人とは全てにおいて考え方が合ったとだけ記述されている人は2,3人でした。何が合ったのかといった難しいことは話していません。一方で合わなかったというネガティブな方向の話もほとんどありません。敢えて挙げれば2箇所あります。カザルスはチェリストなので、ある演奏会の練習で彼はチェロで参加していたのですが、その時の指揮者はボールトでした。さらに名が挙げられていないバリトン歌手もいました。その歌手はボールトの言う事の全て逆を行い、カザルス翁が見たところ、それはわざとでした。それでどうだったとか、そういう難しいことも書いてありません。自伝なので、そういうことがあったと言っただけで次の話題に移っています。だけど話したということはかなり気になっていたのでしょう。どちらが正しいとかそういうことも言わず、ただ単に、歌手はわざとやっていたと言っただけでした。他方、カザルス翁からこの人とは合ったと指名されている人が少数いるということは、言及はしていないものの合わなかった人は結構いた、また合わせようという気がないのに合わせに来ている人をこれまで多数見たということを言外に示していることになります。なぜなら、誰とでもそれなりに普通に合うのだったらわざわざ合う合わないは言わないし、特定の人に関して「この人は大丈夫」的にはっきりお墨付きを与えるような言い方はしない筈だからです。
しかしおそらくですが一般的には「誰とも合わない」「合う人はいない」が普通かもしれません。なぜなら100人いれば100通りの考えがあるわけで、他者とピッタリ合う方が不自然だからです。そのため世界共通化された教育システムが作られ、常識が育まれて、そのことによってとりあえずある程度は「合う」感じになっています。それでも基本に関しては「合う」というに過ぎないので、明確なビジョンを持ったしっかりした人が互いに演奏するということだけでもとても大変なことです。それなのにカザルスはそれでも問題が全く発生しないことがあると言っています。違いはなんなのか? よく言われるのは教養だとされます。ある楽曲に対し、自分自身の考え方がある、しかしそれ以外の考えは全く理解できないとなると、おそらく誰とも合わせられません。相手が極めて器用で、言わなくても考え方を完璧にわかってくれる神のような人物なら可能ですが、それは難しいことです。アンサンブルは対話なので、人の演奏を聴くことが何より重要になってくるので、それができないと、実際言語の会話でも聴くということができない人はいますが、演奏でもそういうことがあるということです。お互いに一定のインテリジェンスがないとそれなりにまとまることもありません。だからとても難しいことです。
もう一つ重要と思ったのは、カザルスの考えでは若い演奏家は性急に都市に行って演奏会を開かない方が良いというものでした。それは招かれたりした場合ではなく、自分でホールを借りて主催することなどを指して言ったものでした。おそらくカザルスの長い人生の中で彼自身が自分で興行したものはなかったし、その必要もなかったでしょう。貴族か企業、投資家、後には政府、国連などが持ちかけてきたものばかりで、自伝の中でもそういう人が来たからOKした、或いは断ったと言っています。または共演で呼ばれた時ぐらいでしょう。
ということは、売り込みはしないということになります。若い演奏家は全く世に知られていないので、何もしなければそのまま、であるにも関わらず、自分から売り込んではならないと言っています。声が掛からなければそれまで、ということなので結構厳しい考え方です。しかし演奏家で生計を立てるのはもっと厳しいので、声が掛からないぐらいならもうダメだと、その時点で諦めなければならないということを言いたいようです。確かに世の中の不条理もあるとは思いますが、それを超えたところにいないと難しいということです。世界には優秀な、あるいは優秀とされていても何も残っていない伝説的な人もいますが、それだったらそれもそれまで、何もなければ結局はそこまでなのではないか、ということだと思います。
しかしカザルスは、バッハの無伴奏の録音は自分で決めて録った筈です。EMIで録るまで20年以上推敲したと言っています。この楽譜はカザルス自身が古本屋で発掘したもので、それまでは失われていました。世紀の発見でした。ですから、それを世に紹介する意味で、最良の演奏を、という目的もあって収録した筈です。そういうことであれば、自分から行動、ということもあるのかもしれません。