黄龍山5号坑芝麻段壺 - 二胡弦堂


黄龍山5号坑芝麻段壺
175cc ¥21,000 売切
黄龍山5号坑芝麻段壺
135cc ¥32,000 売切
黄龍山5号坑芝麻段壺
215cc(緑茶用) ¥32,000
黄龍山5号坑芝麻段壺
215cc(白茶用) ¥25,000 売切


芝麻段  zhī má duàn

 日本だと朱泥に価値がありますが、中国では段泥が中心です。段泥の主要なものが本山緑泥で、この泥と他の泥が天然でモザイク状に共生しているものも指します。芝麻段は本山緑泥と紫泥の共生鉱で、紫泥の含有量が多くなると底槽清があります。芝麻段は緑茶や白茶系、或いは普洱生茶用として非常に合いますが、中国は元々、現代でもこれらが主なので、昔から段泥が珍重されてきたのは理解できます。ですが、後発の烏龍茶にも合います。紅茶のような発酵茶は色が濃くなってしまうので避けられる傾向ですが、本山緑泥は発酵茶にも合うので色が黒ずんでしまおうが構わず使う人はいますから、芝麻段のような緑泥の含有量が多いものでも使えます。

 緑茶と白茶にあまりに相性が良いことから専用として製作者の方から指定してきているものもあります。しかしどちらも古典的な壺型で、専用とする道理はありません。緑茶は容量の半分前後で使うことが多いので約150cc以下の使用範囲になります。口が広く底が浅いので蓋碗に近いオープンな形で、湯を注いだ時に蓋をしないこともある緑茶特有の淹れ方に対応したものです。湯温の低い、時間をかけて抽出する傾向の緑茶にはこの形状が良いです。この型は清代・邵大亨が創始し、民国・顧景舟が完成させました。一方、白茶専用の方は球体に近い形状です。龍珠(小さい球状に固めてある)や餅茶(20cmぐらいの大きなせんべい型に固めてあるものを崩して使う)などに対応して撹拌されやすいようにということなので、散茶(固めていない茶葉のまま)であれば緑茶用でも構わないかもしれません。しかし白茶専用は口が狭く温度を保ちやすいので散茶でも白茶用の方が良いでしょう(少々神経質過ぎる気もしますが)。同じく普洱生茶も白茶用の方が良さそうです。

 175ccは、清代・陳曼生発祥の型です。135ccは、これはもっとも普遍的な型と言えるでしょう。発酵茶は溢れさせての灰汁飛ばしをやったりしますが、不発酵茶はないので容量は少し大きめになります。緑茶の淹れ方はまず茶器を湯で温めるまでは共通ですが、その後、先に湯か茶葉のどちらを先に入れるかで2通りあります。茶葉を先に入れたらすでに熱と蒸気があるので香りが立ちます。湯を先に注ぎそこへ茶葉を入れても同じように香りが立ちますが違うものです。それぞれの茶葉の個性を引き出す選択ですが、多分に好みの問題でしょう。

 一般の日本人が抱くイメージでは中国というと烏龍茶ですが、実際にはかなり広範囲で飲まれているのは緑茶で、その保存が効くタイプである白茶も広がってきています。半発酵の烏龍茶は台湾海峡の両岸ぐらい、発酵茶は外国など遠くに運ぶためのものでした。英国に販売していたのが紅茶だったのはそのためでしょう。ですから中国人が段泥に重きをおくのは彼らがまだ緑茶や白茶を飲んでいるからです。

 緑茶や白茶は、緑泥や朱泥でも淹りますが、そこを芝麻段のような段泥に託すというのはどういう違いがあるのでしょうか。緑茶というのは一種の草の香りがあります。大きな違いはこの香りの扱いで、朱泥紫泥は丸く甘くしてしまいます。段泥共生鉱は草の香りを引き立てます。どちらが良いかは一概に言えませんが、別のものとして認識されるのは確かでしょう。大陸では段泥を以て、本山(黄龍山)を代表すると看做しているのは彼らが緑茶を飲むからということも関係があるのでしょう。日本では朱泥が珍重されますが、宜興では朱泥を海外に売って自分らは段泥でした。今でもそういう概念なので、古い骨董で段泥は見つけにくいです。みんな欲しいからです。そういうことで、中国茶用に段泥という方向も挑戦してみて下さい。

 製作者の張杰によると、彼が使用した本山緑泥は黄龍山(つまり現在は湖の)北東岸にある民国期に閉坑した坑道、これは当時崩落があり、事故はなかったのですが危険とのことで撤退してそのまま放置されていたところなのですが、そこから採掘したものでした。この坑道への侵入は今尚危険ではあったのですが、現代の土木技術では重機が使えるので攻め、今では昔よりもより深いところまで掘り進めてられているとのことです。本山緑泥はその過程で出てきたものでした。張杰は特に緑茶と普洱生茶の質を飛躍的に高めると絶賛、しかし彼個人の見解ではなく一般論ですが、残念ながら育ちにくい、つまり輝きが出てくるまで時間がかかり過ぎるというデメリットについても述べています。黄龍山の泥は味わいはもちろん輝きも重要で、味が良くなるだけであれば他地域の泥も使えるのですから、輝かない本山の泥というのは評価が下がるのです。しかし本山緑泥がかなり純粋なものだとすれば、金銀のように不純物がないと輝きが出にくいというのも納得できます。しかし時間がかかるだけなので輝かない訳ではありません。掘った場所によっては若干養壺しやすいものもありますが、これらは多少の不純物が混じっており、こちらも貴重なものがあります。緑泥は時間をかければ玉のようなかなり綺麗な光沢が出ます。普通、光沢は全体に均一に出ます。本山緑泥は光沢にムラがあります。モザイクのようにも見えなくはありませんが、漠然と見ると均一に輝いているようにも見えます。この状態のまま濃くなってきて、やがて枯れた味わいも加わります。ムラもわからなくなってきます。地が明るいので、どのように育てていくかに拘る人もいます。緑茶、白茶、プーアル生茶などが綺麗に染まりやすいようです。

 この坑の緑泥がこういう特徴であればそれはそれでいいと思いますが、そこでこの付近の泥で、つまりそこの地層の上下で他の泥と天然で混じり合った段泥(共生泥)であればどうかということになりこれも調査されました。上の地層には黄金段があり、茶の元々の味わいをストレートに引き出す素晴らしいものだったとのことですが、現代には合わない、人々はなるべく安価な茶を茶壺の影響力で最大限に引き出して味わうコストパフォーマンスを重視するようになったので、これだと緑泥の方がインパクトがあるだろうとの評価になっています。実際、黄金段は捉えがたい、メリットを感じにくい微妙な泥なので、ほとんど出回っていません。ですが、高級茶をやるのであれば素晴らしい泥です。余計なことをして来ないからです。上品に静かに、という感じを体感できます。深い地層の方には芝麻段が見つかりました。これは輝きが出やすいです。大した利点では無いようにも思えますが、しかし一旦芝麻段を体感すると、茶人がどうしてこうも輝きにこだわるのかわかります。