二胡は未完成ですか? - 二胡弦堂


 二胡はまだ改善の余地がある未完成の楽器だと考える人がいます。これは誤りです。ですが道理もあります。

 まず大前提として、二胡は中国音楽を演奏するために発達したものです。そのため中国音楽を理解しなければ二胡は理解できません。当然のようにも思われるのですが、異なる事情もあります。世界の民族音楽は大きく衰退しているにも関わらず、二胡は比較的演奏人口がいます。それは西洋化などわかりやすさを追求した面があるためです。しかしそれが全てになってしまうと、そこから二胡を視た場合、不完全なものに見えます。指板がないため音程の安定感はバイオリンに劣ります。その代わり無伴奏で演奏しやすくなりますがその利点を活用できる人は多くはありません。人によってはバイオリンより二胡の方が優秀です。自由の幅が広いためです。このような相剋は他の楽器でもあります。欧州のトランペットは音程が安定した優れたものでしたが、アメリカに渡ったら不安定なものになりました。なぜならジャズではソロ中心になるからです。

 もしバイオリンと二胡を比較するのであれば、二胡に代えて高胡の方が良い、西洋音楽を演奏するのであれば二胡よりも高胡の方が適しています。バイオリンの代わりとして開発されたものだからです。広東省ではバイオリンもまだ使われていますが、曲によって高胡に持ち替えられるような使い方がされていて、今や高胡の方が中心になっています。純粋に1把の単体の楽器として見たら高胡の方が表現力が豊かだからです。楽器の構造上そうなります。しかし合奏になるとバイオリンの方が有利です。

 バイオリンは詳細に製造上の細部が決められており、二胡はそうではない、まだ結論を出す余地が残っているということも言われます。バイオリンも他の楽器と同様、工房によってサウンドは異なります。そしてクレモナのオールドが優れているとして追いつくために研究しています。まだ途上と言われていますが、そうであれば未完成です。しかし現代ではオールドとほぼ遜色ない、見分けがつかないと言われるぐらいまで進歩しています。しかもそれらは中国製です。二胡は少し状況が異なります。名工においては、確かにあらゆる細部が設定し尽くされており完成しているといえます。mm単位でコンマ以下まで指定されています。少し変えると音も変わるので譲れない部分が多くあります。しかしバイオリンと異なるのは、工房によって設定が異なっているということです。例えば、北京式と蘇州・上海式の二胡はずいぶん違います。違いますが1つ1つのモデルは完成しています。それは寸法ではない、別の要素が完成しているからです。

 これは二胡だけに留まらず、弓とかその他のものもそうですが、すべて一定の結論に至っています。すべて根拠があります。中国製のすべての製品が劣るわけではありません。中国製は必ずしも評価は高くありませんが、壊れない現代製品を作っているのも中国です。あらゆる予算設定に対応して何でも作るというだけで仕事はできるのです。東の島国が凄すぎるから評価を下げるのであって、島がなければ中国は世界トップを争っている筈です。元々中国も職人の国であって、彼らもまたその血を受け継いでいるからです。すごく少ないが優秀な人もいるということです。少なくとも二胡に関しては疑った見方から入るのは好ましくないと考えます。完成度に関して言えば二胡とバイオリンはほとんど変わらないと言えます。