沈立良は中国の拉弦楽器演奏者で弦堂の老師ですが、他のところでも話は出てくるし、この辺でご紹介しておくことに致しました。写真はご自宅ですが、弦堂はここへしょっちゅう行っていました。演奏しているビデオがありますのでご覧いただけます。
・揉弦
上記とは別に賽馬もあります。
これはだいぶん古い演奏法で、二胡は楽器そのものが時代によって変化してきたのでそれに合わせる形で演奏法も変化してきていますから、これはすでに過去に演奏されていた方法です。従って最近の音楽院ではこういう演奏法を教えていないのみならず、こうした演奏であれば修正される対象になるようです。主な違いは弓法で、内外弦で右手の位置が奥と手前に移動するのです。しかし現代の奏法ではほぼ同じ位置でないといけません。弓の上げ下げも多くの箇所で逆です。これは弦堂の老師が特殊なのではなく、民間の老人たちも同様の奏法です。
北京で中国電影楽団が設立されたのは 1949年4月で、中華人民共和国建国よりも半年程前です。これは映画やドラマ等々、必要な音楽を提供するために設立されているので中国全土から最高の天才が集められています。その結果、劉明源(liu-ming-yuan:1996年没)が首席となりました。この人物は中国史上最高の弦楽器奏者の一人で,今日でも「神手」とされています。副首席は沈立良(shen-li-liang)となり、この2名で2部ある電影楽団をそれぞれ率いていました。数十年に亘ってこの体制で進められ、新作を劉明源が作曲している間、沈立良は傍らで音を確認し細部を調整していたこともあったということです。河南小曲の一部の処理に躓いた時は、そこを沈が埋めました。劉が喜洋洋を作曲した時は沈がテレビ局に行って初演しました。この両人は、中国近代音楽史で最も重要です。
劉明源(天津人・北方人)、沈立良(上海人・南方人)という違いだけでなく、出自もかなり違いますので、両者は個性が違います。劉は貧しかったため10代の頃から劇場で働いていましたが、沈は上海随一の富豪の出身で、共通点というと年齢が近いということぐらいです。どちらも華やかな演奏でしたが、劉は装飾技法を多用する(左手)のに対して、沈は弓捌きが華麗(右手)でまるで深紅の花びらが砕け散って繚乱の様相を呈するがごときでした。演奏から強いエネルギーを発するのはどちらも同じでしたが、バランスが異なっていました。いずれも中国拉弦楽器演奏の代表的なものでした。
中国音楽は本来、戯劇に基づいていますが、現代では西洋のものを取り入れる研究も進んでいます。この違いが弓の方向にも現れ、音楽の呼吸感が違うものになっている場合もあります。特に文革前後を境に大きく変化しています。これは戯劇に基づいた旧来の奏者が西洋音楽を否定しているということではなく、実際演奏する場合もありますが、新しい奏法は主に音楽院内で研究されてきたのでその関係者が身に付けているものです。現代ではそのどちらも接することができる状況です。それでも旧来の奏法において第一線で活躍していた奏者の映像は珍しくなってきているので、本稿でビデオを紹介しました。中国拉弦楽器の演奏は書における筆捌きと同じく、曲線と置きといったような東洋の美が反映されています。おおまかにはそういった特徴があります。
沈家は元々上海大司教だったので自宅にクラシックのレコードが大量にあり、子供の時にそれらを聴いて育ったようです。日曜になると自転車に乗って豫園に行き、現在では伝説とされている江南絲竹の巨人たちの演奏を聴いていたようです。銀行員だった陳永禄が煙草をくわえながら演奏し、灰を服の上にボトボト落として、火が唇に迫っているのに構わず演奏し続けるのが気になったというような話を伺いました。沈家は現在の上海万博跡地の広大な敷地全面を占めていましたが、その様子の資料を見せていただいたのと教会はプロテスタントだったということだけ老師から聞いています。日本との関連性について質問しましたが話しませんでした。その部分は飛ばして後に共産党によって土地が接収されたという話はしていました。そこで独自に調査するとこれは歴史の闇の部分ということもあるし現代の世界体制にも大きく関係する内容なのであまり詳しく話せませんがかなりおおまかに言うと列強が清国を支配していたのはアヘン交易のためで、日本は満州国、その他の地域は英国が事実上支配しており、イラクの財閥・サスーンが田舎町に過ぎなかった上海の街を整備して現在見られるワンド付近の豪華な建物はほとんどすべて同財閥による建築と言われていますが、こうして麻薬貿易の拠点を築き、中国全土に張り巡らされている英国情報機関MI6の後ろ盾で勢力を保っていたとされています。やがて英国の影響力を排除して支配を拡大したい日本軍が上海にも進出し、1941年、日本の情報機関・上海海軍武官府特別調査部がサスーンの本部がプロテスタント教会(つまり老師の家)の地下にあることを突き止めて急襲しました。当時の上海特別調査部の記録によると、地下のサスーン事務所からは英国MI6の中国エージェントの名簿、秘密結社フリーメーソンの祭壇、儀式の用具が発見されたとされています。ワンド付近の建物は残っているしその界隈は現在でも銀行業が所有して営業していますが、一方で教会(老師の家)は破壊されているというのはこういう背景があるようです。歴史から消されたのだと思います。
沈の演奏は独特のサウンドを持っています。沈の楽器を使ってだれでもこの音が出るわけではありませんが、楽器自体が改造されていますので少し違った音が出るのは確かです。胴が少し小型になっていますが、そのため割りと高い音が出ます。ほんの僅かの大きさの差ですが、これがだいぶん違います。二泉胡は二胡よりも胴が2mmほど大きく、これだけで結構な差がありますが、沈の楽器は逆に小さくしていますので、二胡と二泉胡の差ぐらいの違いはあります。このことも注意点に含めて聞いてみて下さい。
中国 北京市 小西天 文慧北路26号电影乐团新宿舍2-1207
〒100082
沈立良
☎010-6223-2334
136-6113-2463
弦堂の老師・沈立良は2019.07.22晩に東京板橋で演奏会に参加します。世界華人音楽家協会の招待によるもので4曲演奏します。
1つは吴颂今の老乡见老乡という歌曲を老師が器楽に編曲したもので、先日作曲者を呼んで確認した映像がありますので以下にご覧いただけます(中央が作曲者の吴颂今で左が老師、右が老師の奥方です)。故郷に帰省した喜びを歌った他愛のないものですが、近年若い人が親を顧みないとして政府が問題視しており、新年には帰省するようにと公共広告が打たれるぐらいです。そのため、このような歌が結構作られたりしております。
さらに作曲家・許鏡清の臨席にて西遊記<猪八戒背媳婦>も演奏します。
ホテルに入って楽器を確認しますと高胡の琴頭が取れています。弦堂がボンドを取りに行き戻ってきますと、皆さんがよくご存知のあの専門の方もこられたので直してもらいます。息子さんにも手伝って貰います。弦堂に「あなた直せるんでしょ?」「いいえ、できませんよ。やったことないし」「ちょっと壊れたらすぐに高い楽器買うんでしょ?」などと迫害され、老師はというとお構いなしに撮影します。弦堂はさらにその後ろで撮影します。「まだ直接演奏を聴かせていただいたことはないのですが」と反撃に転じると「チケットを買ってもらわないといけない」と言って高らかに笑っておられました。