中国胡琴音楽古典譜 蒋風之傳承譜を購入いただいた方のための追加情報です。ほとんど更新はないと思いますが、有益と思われる情報をここに記載いたします。
2024.03.08 4度と5度
蒋風之の作品に対する西洋の影響、時にそれを感じることがあるとすれば、原始譜段階での終止形が5度音程の下降となっている場合です。こういう作品は全体的に東洋感が希薄な傾向です。東洋は4度、そのため蒋風之の多数は4度の下降で終止しています。5度は東洋の感覚ではありません。
日本の胡弓は4度調弦、しかし中国の大多数の作品は5度、蒋風之の作品は全て5度です。中国の作品にも4度調弦の作品がありますが、それを5度に変えることはできない、陰陽のような違い、その違いは他の方法では埋められません。4度調弦の場合、外弦の空弦から5度上昇した音は、内弦とオクターブの関係になります。5度調弦であれば倍音関係になりません。そのため5度は比較的明瞭な音になり、一方4度は厚みを増します。
この関係は終止形についても同じことが言えます。ですが、調弦と終止形では意味は異なります。4度調弦の楽器で5度下降の終止はおそらく難しい。その逆は多数あります。
2023.12.08 風雷引 1巻16頁
非常に迷った箇所が52~53小節で、ここは蕭がはっきり聞こえます。これについていくかどうか、行かない方が良いと判断していますが、行く方が良かったかもしれない。小さい4以降はこうです。
その方が54小節への繋ぎにマッチングするかもしれない。好きな方を選んで下さい。これではちょっと華美過ぎると思ったのですが、この方が良いかもしれません。ついでなので付け加えますと、67,91,100小節は波音です。2拍伸ばすのですが、単にまっすぐ伸ばすのではなく、2拍目がわかるようにアクセントをつけます。91の2拍目はこれも蕭について行く方が良いかもしれない。その場合、内5を打ってください。そうすれば次が空弦で同じ5、内外で対称を見せることができます。
2023.12.05 三宝佛 2巻13頁
垫指は1指での大滑音の間違いです。1指の記載の方が正しいです。失礼しました。
ついでなので、それ以降ですが、6は2指滑音で入るという手があります。自然に2指で入ってしまうところですが、録音ではやっていません。それは次の小節の3つの音が1指滑音になるからと思われますが、それでも問題ないので可能、しかしこれは蒋風之的ではなさそうです。ここで大きな表現はない、だけどやり方次第でアリです。蒋風之は65を僅かに滑音で入れています。ほとんどありません。自然に入る程度、指でペタペタ押さない、弦に這うように進むのが基本なのでそうなります。次の32も同様で、あるいは2が微妙に弱い、そのため117小節頭は滑音を使っていません。滑滑の連続ではありませんが、印象だけでもクドいためです。次の2が内弦に行きそうですがそうではない、しかし内弦も選択肢です。それは暗すぎるような気がしますし、3を4指で打音したくないところです。4指は弱い、ここではそぐわないという判断と思われます。よくよく聞くと非常に繊細、しっかり考えると蒋風之が結局正しいということがわかってくるのは不思議なものです。
2023.11.30 後満庭芳 1巻21頁
この旋律は中国各地にあるようで、譜のト書きには江南十番鼓(記載は”梵音”)とあります。ですが、確認すると若干違う、箏曲の方が皆さんが録音を参照される時に良いのではないかということで、長安箏曲としてあります。参照するのはそれで良いと思います。しかし更に調査すると、これは劉天華の作曲ではなく、この譜そのものが道士の中で伝承された原始譜のようです。楊蔭瀏は若い時に無錫にいて阿炳に師事しており、天韵社にも在籍していましたので、その時に手にした譜を提供したのではないかと想定されます。そうであるとすれば、無錫十番鼓とするのが正確で、これも楊蔭瀏提供となります。こちらの方が有力です。劉天華の提供という可能性は低いと思われます。関係することは「第二巻:阿炳編」に詳しいので詳細はそちらに譲ります。
2023.11.22 墊指滑音 2巻iii頁
間違えやすい方法についての補足です。ニ指は4あたりから3に滑音しますが、しかしその前に三、四指が滑音していますのでニは3で待っていても良いのではないかというものです。三指も不要とされる場合もあります。結果として四指のみで5→3で良いのではないかというものです。しかし少なくとも古典においてこのような滑音はありません。墊指滑音においてニ指の3待機というのもありません。概念としては墊指滑音は3本の指で5から3の間を揉むものです。全体としては連動して5→3への滑音になってはいますが、実質は揉弦の一種です。非常に簡単ですので、解説のようなものはほとんどありません。また厳密に正しいやり方なるものもありません。古典において墊指滑音が多用される作品において、使うたびにニュアンスが変わるということさえあります。