中国伝統音楽の学習 - 二胡弦堂


 音楽作品には演奏の難易度がありますので、二胡についても学習の便宜のために水準が規定されています。二胡学会において多くの作品が考級というもので1~10級(段)にランクされています。これは技術的水準のみによるのではなく、芸術的水準も考慮されています。いずれも具体的には「適切な演奏法の習得」のことを指しているのであって、それは精神面や感性といった要素も確かに含まれますが、それらは技術面(或いは"ロジスティクス"、または「土台」)が整っているという前提で成立するものであり、芸術面において必要な技術とは即ち知識(これもロジスティクス)のことです。楽譜には音が並べられており、その通りに音を出せば良いわけではないのはどこの文化圏でも同じですが、ある音楽を規定するものは何なのかを理解するのは知識なのです。つまり技術と一言で言っても、練習によるものと学習によるものの大まかに2種類あるということです。考級では練習曲と楽曲で分かれていますが、それ以外に技術面と芸術面でも分けて考えられており、それは練習曲と楽曲の両方に含まれています。

 技術は意図した表現を具体化するために必要なものであって、それ以外の何かではあり得ません。芸術面に目を向けるなら技術についても考慮することになります。どちらか一方しか考えないということは(そういう人は常に存在はするものの)基本的には適切な姿勢ではないでしょう(技術をあまり重視しないままに巨匠になってしまったり、一方でテクニックだけで飯が食える人もいたりするので難しいところではありますが)。このことを踏まえながら本稿では芸術面を中心に扱います。つまり芸術面を満たすだけの最低限の技術にまで入りますが、それ以上はやらないということを常に把握しておいていただきたいということです。技術については中国の練習曲集で良いものが多く、習うにしろ独学にしても壁は自分自身の努力であって基本的に指南は不要、必要なら教室に通うでしょうし、それよりも自分の努力でどうにもならないことをここで扱おうということになりました。(注:初心段階も独学は難しいので教室に通うべきでしょう)。しかし本稿ではロジスティカルなあらゆるものを扱うのに何ら躊躇いはありません。

講座分類

 軍事には、戦術と戦略があります。似ているようではありますが全く違うものです。戦術はまず兵の訓練から入ります。戦略は偵察が基本です。やることが最初の段階から全く違います。いくら壮大な戦略を構築しても兵を適切に訓練していなければ戦略を忠実に実行することはできません。いかに強大な兵力を有していてもただ前に出るだけでは勝つことはできません。我々は譜面と対峙した時に音1つ1つの扱いに注意を払い、美しい響きを生み出すことに注力しますが、それが全体の概念と一致していなければ、結局何が言いたいのかわかりません。独りよがりなものになってしまいます。全体の構成(アーキテクト)がいかに優れていても細部のディテールを無視すれば全体の構成感が伝わらなくなってしまうし、部分のパーツの劣化は全体の質も下げてしまいます。視点は常に部分から全体へ、全体から部分へと向かう必要があります。高いところから常に俯瞰しながらも、神(精神)は細部にこそ宿るという原則も忘れることはありません。演奏家は多種多様な兵力武器、そしてそれらを扱う方法を多数有して、あらゆる表現を可能にしなければ、結局のところ、何をやったらいいのかわからない、ただ音符をなぞるだけになってしまいます。どのような戦略を描くのかはあなた次第、しかし兵站(ロジスティクス)が十分でなければ、つまり供給に問題があれば、適切に表現することはできません。一方、どのような戦略を構築するのかは、どのようなロジスティクスを必要とするかに通ずるものがあります。100万円出せば絶対に良い楽器が買えるかもしれない、しかし世間の監督は100億円出してスーパースターを獲得しても自身の戦略に合致していなければ彼を機能させることはできません。楽器の獲得オペレーションという誰でもやるであろうこと1つ採っても、その人の格とか限界が表れることがあります。ヴィジョンがなければ、一体自分にどんな準備が必要なのかも皆目見当がつきません。何もわからない、何も決められません。非常に価値があるであろうものを軽視することもあり得ます。戦略はない、戦術もわからないのは致命的です。また常にあらゆるものが揃っているわけではありません。冷蔵庫を開けてとりあえず今あるもので何ができるか的な状況に直面することもあり得ます。一方、じっくり腰を落ち着けて取り組めることもあります。とりあえず学ばなければ何もわかりません。本稿の目的とは即ち、ロジスティカルなもの全て、そしてそれを扱うアーキテクチャを味わうことです。創造性というものが果たして必要なのかは場合によりけりでしょうけれども、何れにしても土台があっての話でしょう。土台が充分であれば、自分は当然のことだけしかやっていないように思っていても、それは充分に創造的な仕事になっているものです。

 1つ1つの小さなことに目を向けると、それ自体は大したことがないものというのはたくさんあります。譜のある箇所で何かの装飾を入れるとします。それがその音楽にとって基調をなすものであれば効果は大きなものになります。しかしそれは誰でもできる些細なことであるのがほとんどです。その理由だけでそういうものを軽視する人はたくさんいます。自分で能動的に何かを生み出したことがなければそうなります。その結果に至った概念や風格、視点が非常に重要なのに結果だけパクればとりあえずそれなりのことはできるので、それで何か問題でも?という感じになるんですね。ご本人がそれで良ければいいのでしょうけれども、何でも白黒はっきりしたものだけ食べて何も考えないのであれば、それでは創造的な仕事に至ることはありません。航空機にはウイングレットというものが付いています。主翼の先が上に跳ね上がっているだけのものです。航空工学の専門家が如何に燃費効率を高めるかを考えて自然界に着目したことで発見された原理です。ただこれだけで大幅に燃費が向上したと言われています。簡単なことです。しかし人類は未だ自然界から航空工学の要諦を学び切ってはいません。小さな鳥はほとんどエネルギーを消費せずにフライトするので、飲まず食わずで何千kmも渡りをします。しかも移動中に空中で睡眠までします。米航空宇宙局(NASA)とマサチューセッツ工科大学(MIT)がウイングレットを可動式にして燃費の70%削減に成功したと発表しました。自然界が叡智の結晶であるがゆえに可能になった機構です。人間が考えるようなことはすでに自然界にあります。そしてそれら1つ1つは小さなことに過ぎません。だったら真似をすればそれで良いのでは? その通りです。そこは問題ありません。航空工学の専門家は自然界を見て、どうしてこんな簡単なことで驚異的なことを成し遂げられるのか根拠を詳細に研究し、背後にある膨大な知識に感銘を受けます。本物は単純化しますので、シンプルで誰でもできるように見えます。何でもできるのです。しかしその中で何を選択し、如何に組み合わせるかは、そしてそれによって何を創造するかは、教養が関係します。それは理解の深さです。ヴィジョンが重要です。その小さなことの積み重ねを軽視すれば、大きなことを成し遂げることはできません。特に上手に演奏できる人にとって一見努力とは無縁な小さな理解は重要ではないと考える傾向がありますが、本当にそうなのか改めて考えていただきたいと思います。

 この分野に立ち入った場合「地方色」というものは避けられません。二胡は江南の楽器だったので江南の音楽を理解せずして二胡をよく識っているとは言い難いものがあります。しかしこれは古い考え方で、よりインターナショナルになっている今時、江南というワードすらも滅多に出てこなくなっています。そこを「インターナショナル」も一分野、江南も一分野と看做せば、広い中国ですからもっと様々な音楽があるということになります。これを「分類」に整理しました。音楽の伝統的な奏法は必ずその地方の特有の楽器と関連していますから、そこを二胡一把で通そうとするのは無理があるところを可能な限り二胡を使おうということなので、目指す表現があった上で作られている本来の楽器を使わないことから何らかの表現上の齟齬が発生します。その辺りは踏まえた上で進めますが、時折、入手しやすい楽器の場合はそういうものを使っていきたいと思います。




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