音楽理論 - 二胡弦堂


音楽理論 西洋と中国の音楽理論について

 音楽理論は難しい学科で、音大でも最も不人気な科目だと言われます。音楽とは"音を楽しむ"と書きますが、楽しみを始めておいて何かに苦しむのは如何なものか、そしてそれを説明するとなるとこれがまた結構大変なのです。弦堂自身は最初独学でやろうとし、本を三冊買ったところでついに諦めましたが、考えてみるとこれは音楽理論なのですからやはり"理論"なのであって、答えが明確にある筈のものなのにそれがよくわからないというのはおかしいのではないか、確かに部分部分ではわかった気になるのですが、そのうち何をやっているのかも皆目わからなくなるという謎の多い、理論的とは思えない理論を提示され続けて頭が混乱する、そういうものなのです。遊園地で鏡の空間を進んでいくだけの建物に果敢に入場し、あちこちで散々頭を打ってようやくゴールで吐き出されるという忌まわしい体験を楽しまれたことのある方もおられると思いますが、こういうのは数分で出てくるから良いのであって、例えば週一回で一年間とかそれ以上の学習を課されてしまうとむしろ気分が悪い、それぐらい自分が向いている方向もわからなくなってくるという、まだアインシュタインの方がわかりやすいであろうと思える程の難解な学問が音楽理論というものなのです。そういうものを弦堂が本学習項でトップに置いているというのは、大変な苦渋の選択だったと、できればこれが一番パスしたかったものだったのですが、それでは済ませられない、どうしても避けられないであろうと思ったので、やむなく設置することにしたものです。

 1つどうしても気になるのは、割と二胡で演奏活動をやっておられる方も少なくないと思うのですが、音楽の専門教育を受けたことがないというコンプレックスを抱えているという例があると思います。色々求めてもキリがないので、そのままで生きていくしかないのですが、音楽理論をやれば必ずしも音大に行く必要はないでしょう。こういうことを言うと学歴のある人から批判されますが、過去の巨匠たちで、現代だと結構問題になっている自閉症とか対人障害というか、そういった問題で小学も行けてない人が割といるのですが、彼らの場合、大体が音楽理論は家庭教師から学んでいるのです。それ以外に対位法ぐらい、後ピアノとか、それも結局ろくに弾けずに大きくなったりとか、それぐらいしか教育は受けていないのです。大学が非常に価値があることを否定するわけではないのですが、行っていない人間が無教養とかランクが落ちるということは間違いなくあり得ないことです。学校に行っていない人から名門を首席で卒業する人まで幅広い層から満遍なく出てくるのが巨匠というもので、成績はずっと中間だった人もいます。しかしそれでも音楽理論を理解していない人材は確実にランクが落ちます。それぐらい決定的な要素だと思ってください。素人と専門家の境目はすなわちここであると言い切っても良いと思います。大真面目に死に物狂いでやってください。

 音楽は感性からでなければ導き出せない結論もあります。もちろん感性だけでも創作はできるのでしょうけれども、その一方で理論からでなければ導き得ない結論もあります。理論だけでも創作はできるでしょう。何が必要なのでしょうか。理論と感性とは随分違うものです。その両方が求められた時に、この2つの相反する要素をどのように一致させるのでしょうか。簡単ではないと想像できます。人間には得手不得手があります。例えば、右脳と左脳は役割が違うと言われ、割と一方より他方の方が発達しやすい、どっちもかなり強いというのは難しいとされます。どちらか片方に寄った方が簡単だからです。だけど片方のみしか発達していなければそれはバランスの取れた人間とは言えません。周囲に、感情でしか行動できない人間、或いは頭の硬い、理論でしか物事を把握できない人間というものが図らずも身近に存在したという経験をされたことのある方は少なくないと思いますが、そこまで極端でなくても人間というのは何がしらバランスが欠けているものです。非常に平衡が取れているというのは、一見水のように普通に見えますが、それは大変なことです。それを学問的観点で要求するというのが音楽理論なのです。本稿で解決できるのかわかりませんが、ともかくやってみようということで設置いたしました。本学習欄は中国音楽の学習のために設置されています。その過程で頻繁に理論と感性が同時に一定水準要求されるということがあります。それでどうしてもこれを最初にやらねばならないだろうということなのです。

 本稿は中国拉弦楽器専門です。それで音楽理論を扱うにしても中国の理論だけ扱えばそれで良いと思います。しかし、元々中国にはこの種の理論は存在せず、もちろん理論はあるのですが解明されてきておらず、また整理されたメソッドもない状態で近代に至り、西洋音楽の専門教育を受けた中国人が西洋との比較でようやく中国音楽理論を説明できるようになったという経緯があります(しかし彼らの意見では一番最初にこれを手がけたのは林謙三という日本人だということです)。それで中国音楽理論、中国の和声学はことごとく西洋和声理論との比較になります。そこから抜け出して説明できないかと思うのですが難しいのです。西洋は複雑です。だけど複雑なだけに穴がありません。だから説明や理論も確立しやすいのです。そこから抜き出す形で「東洋はこうである」と言った方がストレートにわかりやすいのです。もちろん、西洋理論は全く知らず、理論教育も受けていないのに中国音楽を作曲する人はいるし、昔の人となると皆そうなのですから、やり方の問題ではないかという考え方もできないことはありません。確かにそうなのでしょうけれども、その場合は大量の音楽に触れて感覚的にわかっていくものと思うし、それだったら本稿は要らないことになります。それも如何なものかと。現状を考えた時に和声学は一応やった方がいいのではないかとそう思ったのです。こういう事情でまず西洋の和声学から入ることにいたしましょう。それから中国音楽理論を扱いたいと思います。

 和声学の場合、大抵早い段階で、禁則というものが提示されます。音符の並べ方でやってはいけない禁じ手なのですが、実際のところ、作曲においてやってはいけないことはありません。自分の作品なので全て自己責任です。和声学において禁止されている事柄で実際の作曲で使われているものはあるし、もちろんそこに問題はありません。しかし何でも許せば和声学の学習にならないので古典的な響きを求める拘束条件をあらかじめ決めています。実際の作曲では意図があれば濁った音でも使いますが、和声学ではとにかく美しい響きを追求します。かなりがんじがらめですが、学習においては自由があり過ぎるより明確なものが多い方がわかりやすいものです。美しいハーモニーにおいて許されないとされている禁則がどうして存在するのかをよくわかった上でそれを乗り越えるべきであって、何もわかっていないのに自由だけを求めるなら恥をかきます。これはどんなものについても言えると思います。料理なんてものは適当に調味料をぶち込めばできるのではないでしょうか。できます。できますが、基本をわかっている人とは自ずと結果は異なります。自由でいて決してそうではない、そもそも自由というものに対する概念から考え直す必要がありますが、基本がわかっている方が一見不自由に見えてそうではありません。常識がわかっているからこそ新たな創造が拓けます。もっと自由になれます。そう考えると和声学の禁則とは何なのか、禁則が自由をもたらすのか。まさにそうなのです。赤でもない、青でもない、分類し難い梅みたいなものがこうやって色々出てくることに対する精神的な備えが必要です。それで全ては仮定として柔らかく受け止める必要があります。どういうことでしょうか。テレビで辻って所から来た先生が「塩1つまみ」と言いますと、さて、1つまみとはどれぐらいなのだろうと思います。適当なのでしょうか。まあ適当でもいいのでしょう。しかし入ってくる素材は天然のものですから塩加減はその都度素材に合わせたいと思うことはあるし、提供する料理の前後の関係で要求される塩味については明確なイメージがあるかもしれませんが、それでも塩は1つまみです。多分音楽より料理の方が難しいですが、塩1gと言われないと安心できない、わかった気にならないというのは、それはつまり何もわかってはいないということなのだと、そういうことは音楽でも結構あると思います。人間何でも知っている訳ではありませんから、別に何かよく知らないことがあってもそれが問題にはなりませんし、そうだからこそ日々学習なのですが、知らないことに気がついていないのは致命的な問題です。

 尚、本稿では楽典はやりません。楽典を学んだがわからなかったという方は完全に諦めて下さい。二胡は数字譜なので五線譜がわからない人でも演奏できます。五線譜がこれ即ち楽典なのですが、この五線譜をまず拒否する方もおられると思いますが、こういう方は(まだ何も始まってはいませんが)静かに終戦をお迎え下さい。そういう方にとって本欄の記載は玉音放送のごときものでしょう。それから西洋の和声は属七の和音までやることにします。とりあえず東洋の和声が重要ということと、そこまで行けばやはりネット上の情報でそれ以上のこともわかるだろうと思うからです。和声の基礎部分が難しいのではないかということです。確かに書いてあるものはいっぱいあるのですが、整理されすぎていてかえってよくわからない、わかってもわかった気にならないことが多いのです。それで実際にどうやって音を組むのかというところを重視したいと思います。つまり、あるメロディがあったらそれに和声をつけたい、違う楽器を追加したいということは現実的にありますよね。それで和声学をやって書いてあることはわかるものの、実際どうやったらいいかわからないということが多いと思います。そこを埋めようということです。和声学で使う譜の場合は硬いので、同じやり方のままで何でもはやらないでしょうけれども、しかし基本的な道理はわかってないと何もできかねると思います。理論を習得していれば、プロの譜を見ても意味はわかると思います。それではとりあえず先に進みましょう。


A01 始めに 楽典から和声学への導入 2017.04.08
A02 和音進行 正進行と変進行 2017.04.09
A03 二声 ソプラノ課題を2つ 2017.04.10
A04 四声 内声を追加 2017.04.11
A05 短調 長調と違う点の確認 2017.04.13
A06 様々な調 バス課題で確認 2017.04.14
A07 第一転回型 六の和音 2017.04.16
A08 例題 5つの長調と短調 2017.04.19
A09 第二転回型 四六の和音 2017.04.24
A10 属七和音1 七の和音 2017.12.09
A11 属七和音2 短調で 2017.12.10
A12 復習 課題を幾つか 2017.12.10
A13 なぜ5声と7声は混在しているのか 5音階の意義 2018.11.03

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