老師に「弓をもっと大きく使うように」と言われるのですが、どうしたらできますか? - 二胡弦堂

 


 これは演奏者がどういう状態にあるかで見方が変わってくるでしょうね。まだそれほど親しんでいない曲であればある程度は手探りになるので、そこで弓の使い方が問題視されることはないし、既に十分理解して暗譜すらもしている曲で弓を十分に使えていなければ改善すべきということになるかもしれません。それでも大きく鳴らせない環境では弓をしっかり使うことはできません。

 弓は中央が安定しており、端は固定されているところに近くなるので固くなります。そこで中央だけを使うというのは結構拉きやすいものです。これが悪いかというと、それはかなり難しい問題のような気がします。端の硬さを表現に善用する場合、無闇に全弓を使いたくないという方法論は成立するように思えます。しかし中国にはそういう概念はないようです。その理由も同じで、端の特徴を充分使っていくような、そういう奏法が伝統的になされてきたからです。京劇用の76cmの弓は極端に中央の安定部がなく、そもそも安定などは考えられていません。音楽は流動するから。これだけ短いと全弓を使わざるを得ない、弓が十分に使われていないという問題自体が発生しません。この伝統が今に残っているのですが、現代の長い弓ではかなり感覚が違うのは確かだと思います。それで本題のような問題が発生します。

 この問題は何が正しいのかはわかりませんが、中華の伝統では必ず弓は全体を使うべきということになっています。しかし興味深いことに、年配者はこの問題に無頓着です。現代の進歩した教育制度が整備されてから言われるようになった問題だと思います。

 弓を全体を使っていくというのは、それがデフォルトである状態というのは、かなり推しの強い表現になってしまって、全く良く聞こえないということがあります。しかしこの種の演奏を録音すると全く悪くありません。印象がだいぶん違います。おそらく録音とかPAというものが出てきたことと、全弓を使うことは関連があるのかもしれません。もちろん全弓を使わない演奏が録音した時に悪くなるということではないのですが、とにかく録音すると何でもそれなりにまとまってしまいます。これが中国音楽でコンプレッサーが使われてこなかった理由なのかもしれません。

 弦堂個人の見解では、常に全弓を使うべきだとする奏法は疑問ですが、しかし現代中国式の考えにもそれなりに根拠があります。いろんな考えがあるのかもしれませんが、それでも二胡で京劇音楽を鳴らす場合は、大きく全弓を使わなければおかしくなるなど、様式も考慮に入れなければなりません。