手が小さいので楽器には不向きでしょうか? - 二胡弦堂

 


中国の茶店。このような店で二胡を聴くこともできる。  ショパンは子供のように手が小さかったと言われています。手が小さいとショパンの曲は非常に難しいのでどのように演奏したのか謎めいていますが、実際に観察した人のレポートによると、ショパンの演奏はまるで手のひらが鍵盤を覆うようであったようです。離れた音を同時には押さえず、すばやく押さえていくので鍵盤を覆うような印象があったのだと思います。

 ジャズピアノの巨匠ホレス・パーランは、右手の薬指と小指が動かず、その他の8本の指のみで演奏していました。

 一方、京胡は恐らく小さい手の方が有利で小指は基本的には使いません。ところが梅蘭芳の琴師だった王少卿は京胡を拉くにはあまりに指が大きすぎたと言われています。音の間隔が狭いので、押さえている指を退かさないと次が押さえられなかったと思われます。京胡は弦に指で軽く押さえ接触面積はあまり大きくない方が良いです。指が太っていると不利なことが多いですがそれにも関わらず現在まで残っている彼の録音からデメリットは感じられません。

 これらは特殊な例かもしれませんが、一応不可能ではないと結論を出す理由にはなります。また、努力もすごく必要になってくると思いますので、もう少し現実的な方向で考えたいと思います。

 二胡の場合は千斤を移動できるので、これを下げれば演奏しやすくなります。時々千斤を高めに取るのを好む人がいますが、この目的は高音域で音程を取りやすくするためというのが1つあります。しかし千斤を高めにとって全音程が合うなら、千斤を下げても合うでしょう。音域も変わりません。高胡や板胡は二胡よりもっと千斤の位置が低いです。標準より低いかもしれない、などの心配は必要ないと思います。千斤を上げると弦の張力が高まりますので音程は全域において合わせやすくなります。それによって弦の寿命が短くなりますが、それでも構わず使っていくという人はいます。音も硬くなるので西洋音楽向けにはなります。千斤を下げると張力は下がるのでその分音程は不安定になるというのはあると思います。結局標準の39cmあたりが良いので、できればこの標準の高さを維持するのが良いと思います。寿命を長くする目的と、表現力をより得るために千斤を下げるということはあると思います。

 私は二泉弦を使わずにバイオリンのGを得るため、棹がケースに納まらない特殊な長さの二胡を使って千斤を一気に上げて演奏していたことがあります。これぐらい上げるなら幅広い音域を得る効果はあります。孫文明の弾楽は千斤を外して演奏します。これは作曲者の録音が残っていますし、動画サイトでは現代の演奏家が演奏しているものもありますので参考に見ることができますが、特に問題なく演奏しています。千斤はなくてもだいじょうぶかなと思える程です。確かになくても良いと思います。しかし開放弦は使えません。千斤を外した開放弦は独特の響きが出るので弾楽ではこれを逆に利用しています。弦の角度がずれてくるのでこの対策も必要で、ここに頭を悩ませるなら千斤を付ける方が良いということになってくるので、千斤はやっぱり有用ということになるのかもしれません。二胡に千斤が付いている主要な理由は外弦開放弦の善用にあります。内弦とは響きが違うことを利用した古典作品は多数あります。しかし西洋音楽を演奏するならこの考え方は不要なので、千斤の位置を上に拡大していこうという方法は有効だと思います。千斤は中途半端に上げても何も意味がないので、そうするぐらいなら低めに押さえてそれに慣れた方がはるかに良いと思います。しかし音楽学院関係者は千斤を上げるのが大好きです。西洋音楽の演奏には逆に千斤をかなり下げる方法も有ります。これで内弦開放弦にGを取りますが、外弦の開放弦は使いません。非常に音程の間隔が狭くなりますが、これが演奏できないなら板胡も演奏できないと思います。