二胡の教本は何を使ったらいいですか - 二胡弦堂


 まず教室に通っておられる方は、そこで使っているのが最良だと思わないといけません。生徒には老師や教室を選択する権利がありますが、その決定にはそこの教室のカリキュラムや文化を選んだことも含まれるからです。一旦決定したことを後で否定するのはおかしいということです。教室はいろんな事柄を先生が決定する権利があるので、生徒は提案はできたとしても口出しはできません(投資していればまた話は違ってきます。学費の支払いと投資を混同すべきではありません)。人間関係の問題もあるので一概に言える事柄ではありませんが、先生が責任を持っているか、投資家から権限を委ねられているという前提は尊重しなければなりません。生徒には教室を選択する権限があるということで、それぞれ立場が異なるのでそこを侵さないようにしないと教本についてもトラブルになることはあります。

 本稿では教本について話すのですが、その前に学ぶということについて触れておきたいと思います。二胡ぐらい難しい楽器になってくると、とりあえず老師は必要としますが、老師から何でも学べるわけではありません。これは老師の限界とかそういう話ではなくて、生徒が自分でやるべきことまで老師がやるものではないということです。そこもやはり教室の運営と同じく領分とか、各立場で責任というものがあります。ある老師は生徒が家で練習してこなかった、練習が足りないとして怒りますが、考え方によってはこれは生徒の勝手で、老師とは言え口出しすべきものではないかもしれません。老師は生徒の進歩に責任を持っていますので練習しろと言いますが、そもそもそこは老師のコントロールできない部分だからそう言う訳で、教授で克服できる分野であったのなら生徒に要求して丸投げは無責任です。生徒の進歩は老師だけが責任を持っているわけではなく生徒にも責任があるので家での練習について口を出すのはやり方にもよりますがまずは越権行為です。教室での教授内容が興味深いにも関わらず練習の意欲がわかない生徒はいないので、練習しない生徒が多かったら老師が悪いです(しかし親の金で習っている生徒ばかりであれば彼らから学習意欲を喚起するのは困難です)。つまらな過ぎて練習する気もおきない、レッスン行けば練習しろと言われる、家に帰って家人から今日は何を習ったか聞かれると練習しろと言われたことしか憶えていない、最悪ですね。腕の良い老師は一切練習しない生徒でも進歩させるので、生徒が自分の見てないところで何をやってようが関係ないです(しかしレッスン中に老師に逆らい指定された曲を頑としてやらないというとんでもない人物とかそういう類いは一定数いたりしますが、そういう極端な例はここでは考えていません。ノーマルの状況を規準に考えています)。練習量と熱心さは比例しません。練習が多いのは何か穿った理由に基づいている場合もあるので、熱心なのは見た目だけで本当は二胡を愛していないという場合はあると思います。逆もあるし、いろんな人がいるので簡単にジャッジは下せません。その人次第ですよ。その人の責任です。そこの責任は老師ではないということです。長年やっていると生徒も私生活でいろいろあります。ある時は熱心に練習していたと思えば、ふとやらなくなったり、それでもレッスンは止めないで来ていたりします。来た時、その1時間だけは二胡に集中します。その1時間の内容がどうか、老師が問われているのはそこでしょうね。「最近練習してませんね」というのは簡単ですが、言うより黙っている方に知恵がいる、老師はただ二胡老師に過ぎず、その人のすべてを知っているわけではないし何でもやってあげられるわけではないので静かに見守ることも必要です。その1時間に関しては黙って仕事に徹する、これがいろんな意味でプロというものだと思います。難しいことをこうも軽く言って申し訳ないですが(ぜんぜん問題ない老師は多いと思うので当たり前だと思っている老師も多いと思いますが、こういう問題というのは地味そうで結局一番大事だったりするからできてないと生徒がどんどん減ったりしますね。逆に問題ありの生徒も行くところがなくなったりもするし、こういうところで壁に当っている人向けに考えて貰うために言いました。稀に優秀過ぎてどこに行っても追い出される生徒はいますが、それは別問題なので本稿とは分けて考えます)

 ここからさらに進んで教本の方に入りたいと思います。"1時間の濃密さ"に対する教本のプレゼンスは大きいです。教本も使える本は多いし、これは楽譜だから中国語でも問題ないということで結構選択肢はあるし、何か不満があれば他の本も併用すればいいだけなので、だいたい大きな問題に当ることはない、問題あればそれはほとんどの場合、本のせいではないです。使い方がおかしいです。特に古い教本など見ますと、技巧にも2種あって、技術と伝統技法の2本柱をやっていくような形になっています。練習曲と楽曲を混ぜて並べています。だけど必ずしも練習曲は技術担当と決まっているわけではないですし逆もあります。楽曲から伝統技法を学ぶにしても技術がないとおぼつかないし、技術はもちろん楽曲からも成長していけますが、ある特定の練習曲をやった方がそこは腑に落ちる、もっとイージーに身に付けられるということはあります。楽曲より味のある練習曲もあるので、この2つをを区別して考えるのは現実的ではありません。そこをうまくブレンドしていく、その調合具合を教本というものは誇っているのであって、そこで優劣を争っていたりするものです。それは初心者、初級者は見てもわからないです。二本柱の内、片方しかわからない人にもわかりません。2つが絡んでいるものだから。絡まさないと進歩は遅くなります。ブレンドは結局誤解を恐れず言えば「簡単に素早く進歩することに特化して配置されたもの」であって生徒に苦行を強いる前提ではぜんぜん作っていません。教本とは楽なロードマップを示す、その優劣で勝負しているものですから。だからしんどい教本は見つけるのがたいへんです。テクニックに特化した本でさえ工夫しています。だいたいは一家言あります。何らかの筋は通っています。大昔だと訳のわからんものもあるので、かえって新鮮でおもしろいぐらいです。それさえも言いたいことはあるのですが「これ、一般人にわかるか?教本か?」と思うぐらいの強烈な主張のあるものは古過ぎるものだとありますね。こういうものに限って妙な愛着を喚起させるようなところがあるので困ったものですが。ということで、現代人の我々が奇妙な教本で虐められることはほぼないです。適当に買っても問題ない、そこは安心して良い、しかし使い方にはいろいろあります。ここに精通していれば"1時間の濃密さ"は十分に得られると思います。




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