二胡は暗譜して演奏した方がいいのでしょうか? - 二胡弦堂


 時々「暗譜していないとプロとは言えない」という人がいます。それぐらい楽曲を理解していないと専門の演奏家とは言えないということのようです。しかし、記憶していることと理解していることは別問題だと思います。この2つがどうしても別だと思えない人は暗譜するべきということで結論としたいと思います。個人が決断すべき問題ですから。それでも「すべての演奏家は必ず暗譜すべき」という主張もあるので、これには反論しておきます。

 私の老師は他人の作品は憶えていますが、自身の作曲作品はよく憶えていません。わからなくなってから譜子を確認して「ああ、そうだった」と言ってはしばしば演奏を続けます。理解が足らないのでしょうか? というよりこれはある意味「努力の不足」だと思います。自分の作品はよくわかっているので、その作品に対し、何らかの努力は必要ありません。もう完成した時点でよく理解しているからです。しかし他人の作曲作品はよく読まないといけないので、これは憶えているのだと思います。これは、記憶と理解が全く別物である例の1つです。しかし作曲家というのは自分の作品をなかなか記憶できないもので、この下にネットの記事を貼ってありますが、ストラヴィンスキーの初期の葬送曲が失われていてそれが見つかったということが書いてあります。12分の曲なので小品ですが、すでにストラヴィンスキーが存命中に失われていて、作曲者自身もわからなくなっていた、しかもご本人が自身の最高傑作だとまで言っている作品なのに記憶していなかったので困っていたという、最高に好きなのに憶えていなかったのか、というそういう状態になっていたわけです。モーツァルトの最高傑作は間違いなくレクイエムですが、"20世紀のモーツァルト"とも言えるストラヴィンスキーの最高傑作も葬送曲であるらしい、それが見つかったという素晴らしい話ですが、記憶については考えさせられるエピソードです。

 ドイツの巨匠 オットー・クレンペラーが晩年に行った演奏収録DVDが幾つも販売されていますが、それを見てみますとクレンペラーは譜を忘れて、間違えてはしばしば苦笑いしています。どこまで演奏したかわからなくなり、時々、楽譜の前後をめくって箇所を捜しては続けています。それでも演奏自体はオーケストラが行うので、間違ってニヤニヤしている老人を無視してどんどん正しく進んでいきます。普通人間、自分の映像が収録されるとなったら、少なくともその時ぐらいはまじめにやります。自分が死んでも半永久的に残る訳ですし、こういう醜態を幾度も晒したものに堂々と販売許可を出したな、と本当に呆れます。幾らインド人とか中国人がいい加減と言っても、映像収録ぐらいは一応きちんと臨むと思います。ところがドイツ系の、それもユダヤ人がこういう仕事をやったとなると驚きを通り越します。驚きはそれだけに留まらず、これらの演奏は20世紀最高の芸術だと見なされていることです。幾ら譜を忘れても、クレンペラー以上の仕事ができる人はいないのです。理解しているとはまさにこういうことを言うのだと思います。記憶とはやっぱり違うと認識させられます。

 記憶できるということは立派なことなのかもしれませんが、それよりもっと大事なことがあると思います。譜を見ると音楽の流れが失われやすいということはあるかもしれませんが、優秀な演奏家は譜を初見で演奏しても流れは失われません。譜子を見ないで演奏できることにメリットがあるのは確かですが、それが絶対条件なら評価に値しない巨匠たちも出てくると思います。

 それでは、どうして「暗譜すべき」といったような見解が存在するのでしょうか。

 日本では古来より音楽は盲人が携わっていて、その最高位は検校(けんぎょう)と言い、以下多くの地位は盲人が努めていました。その時代には「まだこの曲はお前には早い」「まだ教えるのは早い」というようなことがあって、それは盲人の場合、暗記が命だったことと関係がありました。忘れることは失業に直結するので、確実に1つ1つ押さえることが肝要で、そのため師匠が順序や学習の進行を管理していました。それで「これを学び切らないと次にはいかない」といったようなことや、うっかり譜を忘れると食事が与えられないということもあったのです。中途半端にやっておいて、また復習しても良いという甘い考えでは生活していけなかったのです。もしこの原則を現代の学習者に当てはめるのであれば、それには明確な根拠が必要です。それはおそらくないでしょうね。我々は昔の盲人とはあらゆる状況が違いますから。健常者は、1級の人であったとしても10級の曲をやってはならない理由はないでしょうね。演奏はやってみたけど無理ということはありますが、それだったら一旦止めて、そのうちまたやればいいです。別に漢宮秋月をやって雰囲気が出なくても、その人が拉きたいなら勝手にすればいいし、学習はしたものの中途半端で投げ出しても、別に何の問題も発生しません。またしばらくしてやり直しても良いわけですから。忘れても書いておけばまた読み返せるし、演奏できなければ仕事がなくて崖っぷち(という人は目が見える人でもいるかもしれませんが)基本、そういうことはないですから、盲人と同じことをやる必要はないでしょうね。こんなことを考える暇があったら、どうして盲人にしか見えない音楽の世界があるのか? それはどうやったら健常者にも知覚できるのか? といったことを追求する方がよほど進歩すると思います。暗譜しても盲人が見えるものは見えてきませんが、目にたすきをかけて生活すれば同じものは見えるかもしれません(医学上の理由でお勧めは致しかねます)。






二胡弦堂
創業2008年 二胡弦堂