「Q&A」二胡についてのご質問 - 二胡弦堂


 本稿は絹弦、二胡、そして中国音楽についての大雑把な関連知識を扱います。

 開店当初の小店は二胡絹弦のみを扱うショップだったので本稿の内容は絹弦に関することだけに限定されていました。最近でこそ中国でも絹弦は少し使われるようになってきていますが、この頃ではほとんど忘れられた存在だったので、どうしてもある程度の説明が必要だったからでした。聞くところによると中国絹弦の日本での販売は小店が最初ではなく、以前は他店で販売されていたものの店主の老齢で閉店したと、それから少し経って小店が販売するようになったということのようです。こういう経緯で、小店が販売し始めた頃にはすでに絹弦を使ったことのある方も一定数おられました。そしてその閉店したご老人と小店のスタイルが個人経営であることなど共通点があったので、小店の店主もとうに定年を過ぎた有閑階級と勘違いされ、気軽に質問する皆さんの攻勢を受けることになってしまいました。開店当初はご質問の回答に丸一日を要す程で、ついに観念してコンテンツを絹弦以外にも徹夜で拡大せざるを得なくなりました。これでようやく質問は激減して一息つけました。さらに皆さんからの要望で「これも扱え、あれも扱え」というご指示をそのまま伺っていましたら、いつの間にか現在のような品揃えになりました。

 二胡に絹弦を使う場合と金属弦の使用の場合と大きな違いがないことから、絹弦の項であっても金属弦使用者の方々に参考になる部分があるかもしれません。もちろん絹弦と金属弦の相違は奥が深いのでそれらの領域にも触れていますが、しかし基本的には材料が違うだけで同じものなのです。入手可能なスチール弦についてのレポートも載せています。

 いささか神経質な事柄ですが、かなり重要なのではないかと思いますので、あらかじめこれも考えてみて下さい。本ウェブサイトに書いてあることはいささか複雑な内容もあって素人向けでないものも結構あります。徐々に学んだ方が良いことも思い切って書いてあります。外国のこういったものはなかなか学びにくい背景もあるのでやむなく書いてあるものもあります。この書くか書かないかといったさじ加減にはいつも注意を払っていますが、誰でも読めるところに書いてある以上、誤解による問題発生は避けられません。特に学び始めたばかりの方が驚くような情報に接すると都合の良いところだけ抜き取って解釈してしまいがちですから、そういう状況への配慮が必要です。混乱があった時に弦堂内の一部が削除されての情報減少は幾度も経て現在に至っています。すでにいろいろ知っているとバランスを取って情報を咀嚼できますので段階を経た上で学ぶということが必要ですが、一旦ネットで何かを貼ってしまうとその辺りは配慮できません。これはネットによる一方通行の限界を示すものでしょうね。それで皆様におかれましては、そういう問題点があるということで注意してご覧下さい。
 十分理解したつもりになって各販売店の商品にクレームをつけるといった行為は特に謹んで下さい。二胡関係の物品は日本人仕様にはなっていませんが、そういった相違の99.9%以上は日本人の方がおかしいということを知っておいて下さい。日本人は中国から学ぶ気はほとんどありませんが、中国人は日本から学びたがっています。そこに付け込むと妙な日本仕様になってしまい、実際それで悪くなったと感じられることがあったりもします。それで弦堂では皆様の商品に関するご要望はほとんど工房に伝えていません(もちろん正当なものは伝えますが、伝えない場合でも弦堂の方から皆さんに反論させていただいていますので理に適っていれば伝えることになると思います。しかしこれまで弦堂の反論に返答が返ってきたことは一度もありません。そもそもわかっている人は初めから何も言いませんからね。こういうやりとりで知見を蓄積するのは良いことではあると思いますので思ったことを何でも言うのは結構なのではないかと思います)。かつてジョッブズが「顧客の意見は聞かなくていい。彼らの考えるさらに上のものを提供するべきだ」と言ったと言われていますが、中国楽器の製品はすでに日本人の考える上を行っているので全く同じことが言えるのです。もし理解不能なものに接した時に「これは何かあるのでは?」という疑問を持っていただきたいと思います。
 そういうことを身近に教えてくれる老師がいたら前向きになれますが、そうでないことが多いということが知らないうちに自分の中で反発心を宿す結果になり「もう自分のやり方でやる」と決めている方もおられると思います。そういう方には弦堂から1つの言葉を贈りたいと思います「先生を探すのも才能のうち」。結果が悪いのは中国のせいではなく自分だと考えないと前に進めないし周囲にも有害と認識していただきたいと思います。その大変さを幾らかでも軽減するために弦堂のコンテンツはありますが、受取手によってはもっと悪い結果になることもあります。この種の問題があまりにも多すぎるのでこれにて注意喚起を試みた次第です。ネットで勉強します、賢くなります、それでも不安なので弦堂に聞きます、ネットに書いてあることと違うことを言います、イラっときて弦堂に「あなたは間違っている、ここを読んで勉強しなさい」と説教してリンクを送ります。ところがなぜかそのリンク先は弦堂のQ&Aであることが判明します。弦堂は「リンク先を見ましたが、あなたが言っていることと逆のことははっきり書いてますね」と言って奇妙にも自分のサイトなのにスクリーンショットを撮って該当箇所を赤線で引いて送ります。返信はもう来ません。これぐらいの人が時々います。作り話ではありません。結構、肝心なことが全然わかっていない人が多いのです。そういう場合は弦堂の方からお勧めすることもありますが、まず聞いたこと読んだことを家族に確認してから正しいかどうか伺いをたてた方が良いと思います。しかしそういう方は家族からは相手にされていません。気持ちを入れ替えて習慣的に読書をするとか何とかしないとどうしようもないと思います。
 こうした事柄を解決するための方法はコンテンツ提供において常に考えています。皆さんの方でもいろんなものを蓄積する過程で、すべてのものを50%ぐらいで吸収するようにして下さい。芸術関係のものは特に100%か0%のもの、絶対はほとんど存在していません。白か黒ではない、頭の中が二極化していて硬かったら芸術関係はほとんど理解できません。音程は100%確定したものに見えますが、これすらも実はそうではありません。こういう前提だとこうなるかもしれない、という曖昧なものが多数存在します。すべては参考値として提示されます。80%ぐらい重みのある影響力のある論理が、研究が進むに連れて30%ぐらいの比重に急落することもあります。だけど30%もあればまだまだ軽視できません。重視するという程でもありません。バランス感覚が必要で、完全ならあるが完璧はないのが芸術の世界です。完璧は子供でもわかるが、完全の理解はインテリジェンスが求められます。すべての重みは浮動するものであるという前提で掴んでおくべきでしょう。楽譜には忠実でなければならないと言われます。しかし20世紀の偉大な巨匠たちの演奏はミスが多いです。どっちが正しいのでしょうか。そもそもこの2つは全く矛盾していません。楽譜に忠実とはどういうことなのでしょうか。正しく音符を押えれば忠実なのでしょうか。それで満足するのであれば、それは偽りの忠実でしょう。なぜそこにその音が書き込まれているのか、その意味を明らかにすることこそが本当の意味での忠実なのです。だから巨匠たちの演奏はミスが多かろうとも忠実な演奏なのです。配偶者があなたを罵しろうとも愛は疑いないかもしれないみたいな極めて泥臭い話なのです。そっちに行ったらヤバイだろうと思うぐらいの演奏でも愛が溢れていれば、その演奏は不滅と見なされることさえあります。正しい向き合い方なるものは目安であって、絶対ではないことはしばしばです。だからと言って軽視し、これまで過去の人によって蓄積されてきたものを好き嫌いで選別するのもよくありません。柔軟に何でも嗜好せねばなりません。大変難しいことですが参考にしてみてください。


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