二胡が上手になるためには、たくさん練習しなければいけませんか? - 二胡弦堂


二胡の進歩には時間が必要  どんな楽器をやるかとか、または楽器などやらずに他の何かをやるとか、或いは何もしないとか、それは人それぞれです。また二胡をやると決めた場合でも目的や目標など人それぞれです。二胡を10年やっていても、ほとんど上手に拉けないという人もいるかもしれませんが、本人が良かったらそれでいいし、御本人は満足しているのかもしれません。基準は人それぞれだからそれでいいと思います。しかしそれと同時に老師の方も指針を持っているべきで、そこは互いにコンセンサスがとれているべきだし、それぐらいの信頼関係がなければいろんな意味で難しくなると思います。

 ここでどうしてこういうことを話題にしたかというと、自分自身の進歩に不満を持っていてどうしたらいいか、二胡を教えていない弦堂に質問する人が結構多いからです。質問先がどう考えても間違っているのは明白ですが、弦堂から「不満だったら教室を変えればいいんじゃないですか」と言われたけれど実行した人もまたいないと思います。理由は言えないが「今の教室をやめたくない」という人に弦堂が「老師を選ぶのも才能のうちで、他者の責任ではない」と言いますが弦堂の言うことを聞いた人はまだ一人もいません。当然です。こういうことを弦堂に質問する時点で解決を求めてはいないからです。明らかにどうしようもないところに敢て質問しているわけですからね。これだと単なる愚痴の域を出ないし、そもそも全国の生徒の皆さんというパトロンが金を出して支持しているわけですから何か問題があっても自業自得、しっかりしたものを支持しなければなくなるわけで中国在住の弦堂には関係ない、弦堂よりパトロン衆の方が明らかに力を持っている状況下で物申すのはおかしいから、ニコニコして話を聞いているだけに終始していたというのがこれまでの経緯です。一方で老師の立場側の方からもいろいろ聞くこともまたあって、こちらは一転して真面目ですから、弦堂も個人的意見と断った上で少し雑談したりしていました。こういうお話を聞き始めてすでに数年に及びますが、ちょっとまとまってきたのでここで扱おうかと思った次第です。

 二胡の場合は中国の方で1~10級(段)という風にレベルの段階が決められていて、この曲集をそのまま練習に使ったりすることも多々あります。レベル分けはわかりやすいし、重要な曲が含められているわけですから避けるのは賢明なことではありません。ところが、考級試験は受けないからという理由で拒否する生徒が結構います。試験を受けろとは誰も言っていないにも関わらずです。中国曲をやりたくないからそういうことを言っている場合が多いですが、中国曲をやらなくて何をやるのでしょうか。日本の有名演奏家がテレビとかCDでやっている曲をやりたいとか、日本の民謡をやりたい場合が多いようです。あまりに多いので日本で制定されている考級は思いっきり気を遣ってこの方面の要求に答えています。素人が上から見ていろいろ意見するから中国から来られた先生方が困っているんじゃないですか。これはありがちな一つの状況です。

 初心者は一級から入りますが、なかなか上手く演奏できるようにはなりません。それで何年も時間がかかっているという人もいます。しかし1級の課題曲を人前で演奏できるぐらいになろうと思ったら最低でも中級ぐらいの能力がないと難しいと思います。つまり1級の曲を美しく演奏できるようになってから2級に行くんだったら、もうそれぐらいの頃にはもっとレベルは高い筈で、そこまで上がるのに1級の曲だけで努力をさせられるというのは拷問か? ちょっと間違っただけで始めからやりなおしで、最悪の場合、一緒に拉いている老師の方がうっかり間違っても始めからやり直しで延々数ヶ月とか、こういう教室が結構あるようです。こういうことだから生徒が「中国曲はやらない」とか「考級はやらない」と言うようになっているということは可能性としてあると思います。こんなだったら、自分が拉きたいと思っていた曲だけ要求してそれだけやった方がましだと思っても不思議はありません。だけどその前に、あなたの老師はそういうやり方とか老師の進めるやり方で本当に進歩したのか考えた方がいいです。そんなやり方で先生にはなってないと思います。さらに周りの生徒さんを見て、先生の言った通りのやり方でやらず、好き放題にいろいろやっている人の方が進歩が速いということもあると思います。そうすると信頼感の問題も発生してきます。

 考級は目安がわかるから良いというだけで順番にやらないといけないというものではありません。1級の実力があれば、10級の漢宮秋月を装飾無しに拉くことはできます。練習だったら別にそれでも問題はないでしょう。そのうちもう少し上手になると9級の二泉映月もそこそこ演奏できるかもしれません。一方で快弓が要求されるものは無理だったりしますが、このように選べば上位に手を出していくようなことは結構早い段階からできるものです。そこで勢いづいて装飾技法に手を出すと急に難しくなるのでそこそこで諦めます。数曲やって2級あたりに戻るとこれがまた結構難しく、第二把位あたりに進出していく伝統的な方法をやりますので、このあたりがやっかいだったりします。奇麗ではないがまあいいかということで、また上位に進出しますと、少し進歩したためか前よりはましになっています。曲数など増やして積極的に関わっていきますが、またレベルを下げて戻ったりもします。やがてそういうことはやらなくなっていき、重要曲をそこそこ拉くようになります。しかし難しいところはまだまだ残っています。ポイントを確認はしますがそこを重点的に練習曲で努力することはほとんどなく、どんどん違う曲に行きます。練習はどうしても早く潰したいところが出てきたらやりますが、疲れる努力は極力やらずに進みます。そうやって重要曲を漫遊します。だいたい廻るともう一回繰り返します。1周は1年とかそれぐらいだろうと思いますが、これを何年か繰り返したりします。全部をあっさりやるのではなく、自分の問題点が結構出やすい曲の場合は足踏みして1ヶ月ぐらいやったりすることも例外的にあります。こういったやり方が結局進歩が速いので採用している中国人老師は結構多いと思います。しかし生徒が「1曲ぐらいはしっかりできるようになりたい」というような意見を常に言うようであったり、いい加減なやり方だと批判するようであれば、このシステムは採用できないので1曲で何年かかろうがやっていくしかありません。二胡は10級でようやく他人の前で演奏できるとさえ言われている楽器なのに1級の人が1級の課題曲をしっかり演奏できるのはどちらかというと奇妙な感じがするわけで、世間にこういう難しい楽器は少ないのでそのことに無知であることが中国式の訓練を否定することに繋がることがあります。

二胡弦に音程を示す印を入れる  しかしそもそもの問題としてドレミファソラシドもまともに演奏できない場合はどうしたらいいのでしょうか。この部分で教えられる必要のある人はおそらく家に帰って練習したらまたわからなくなると思います。それを避けるために音程に印を入れた方が良いと思います。そういう生徒は空弦のチューニングもできないことが多いので、各教室は生徒に販売するチューナーを仕入れて常に在庫を保つべきでしょう。チューナーを使う練習もレッスンに含めるべきです。このあたりはできれば一番最初か2回目のレッスンで終了しておくべきです。それと早い段階で必ずやらねばならない別のレッスンは「楽器の扱い方」です。弦の交換の方法と千斤の巻き方と高さの設定方法は講習を受けてできるようになっておくべきです。このあたりを他人に任せているようでは、楽器の面倒は見れません。弓の扱い方も知っておくべきで雑音のほとんどの原因が弓であることとか、それはどうしてか、どうやったら直るのかといったことを学ぶ必要があります。雑音が原因で練習が捗らないことが多いのでこの問題は早い段階でクリアにしておくべきです。初級において演奏の技術的な事柄よりもこちらの方がはるかに重要であることが多いものです。こういったことも「技術」或いは必要不可欠な「素養」だと見做しているべきです。こうしたことを教えない教室がほとんど、教えるところを聞いたこともないですが、いずれにしても生徒の楽器の調子がおかしいのに何もしない老師はあまり良くないと思います。一方で特に問題がないのにうるさく言う生徒もいるので関わりたくないと思っている老師も多く、お互いに問題を抱えているような気がしないでもないですが、生徒を放置して進歩しないに留めた方が老師も儲かるとか、そういう下心も関係してくるようであれば結構難しい状況だと思います。二胡から完全に雑音を除くと味を失いますので適度な雑味は必要ですが、生徒にはそういう文化的な素養がないことが多く、しかし言うことは立派とかなってくると老師にも実力が要るし、このあたりはたいへん難しいところです。こういう状況で適切な老師を見いだすのはやはりそれは生徒の側にある程度の才能が求められるでしょう。

 二胡は最初から難しいです。ギターはレッスン初日から、まあまあ人にも鑑賞してもらる程度の簡単な曲は弾けるかもしれません。二胡は到底そういうわけにいかず、何ヶ月経ってもきちんと演奏できなくて、がっかりする経験は多くの方がお有りだと思います。そこで一体どれぐらい練習すれば、多少はまともになるのだろうか、と二胡人生の中で数百回は考えます。素早く結果を出すのを諦めないといけないというところが難関で、その中でロードマップの設定の仕方であるとか、一回一回のレッスンをいかに意味のあるものにするかというのは難しい問題であるという認識が必要です。芸術関係は本来、点数ではっきり進歩がわからないので、努力するのはまるで霧の中を進むようなものがあります。二胡の場合はそこへもう少しハードルが増えるという感じがします。老師になるのを目標にしている場合でも、ゆくゆく直面する難題ですから考えておく必要があると思います。

 一つの解決方法として中国留学が考えられます。音楽学院(中国では単科大学を「学院」と言います)に行けば宿舎も含めていろんなものが揃っているので割と簡単で、飛び込みで突然行っても入学できると思います(年2回長い休みがあるのでそこは注意が必要です)。しかし音楽学院では技術は学べるが文化人にはなれないということは理解しておく必要があります。つまり二胡科に在籍しているだけで満足すべきかを考えないといけないということです。或いは戯劇学院の方に行った方が良かったのか、民族大学に行った方がいいのか、よく見られるのはそのいずれも同時にやる、音楽学院内でいろいろやるということですが、それとは別の問題として、二胡だけやっていてそれでいいのかということも考えないといけません。いろいろ考えると一番やらなくて良いのは二胡科在籍だったりします。二胡をやっていて二胡科に入らないのは奇妙ですが、世間の様々な分野で大成した人物が若い時に何をやっていたかを調べたら、全く奇妙と思えなくなると思います。

 二胡の素養を身につけるために必要なのは考級で要求されている課題に取り組むことですが、楽譜はあるものの具体的にどうやったらいいのか、これでいいのかといったことがわからないということがあります。そこで動画サイトを活用しますが、素人のいい加減なものとか、音楽学院教授によるDVDコピーなども出てきますが、まともに教えているものはありません(こういうことを言うと中国人中心に「素晴らしい教材を批判している」と言う意見が出ますが、たぶん日本が特殊なのだろうと思います。わかりやすいDVDなんてものは諸外国には作れないですよ。日本人が見ると驚いてしまう、日本の基準で見てはいけないのだと思います。気持ちまで削がれるぐらいのクォリティのものが普通なのでもはや見ない方が良いとさえ言いたい程です。視聴は罰ゲーム的感覚に襲われるという一種の覚悟のようなものが求められます)。これらの映像では、曲の背景などを説明して演奏に入るものぐらいはありますが、結局奏法は教えないか僅かに留めたりしていますので役にはたつことはありません。薄っぺらいというか、そこまでも行っていないようなものしかありません。

 考級に載っているもの以外の曲や載っているものでもいろいろありますが、譜の版が多くてどれを演奏したら良いのかわからないということもあります。つまり1つの曲でいろんな異なる楽譜があって、どれを演奏して良いのかわからないから適当にチョイスすると何か不自然で二胡には合わないように感じられるとかそういうことが結構あります。世間の数字譜は中国の様々な楽器のために使われており、二胡のためだけのものではないのでそういうことが生じ得ます。こういった混乱の原因になるようなものを整理したようなものは僅かしかないと思った方が良いと思います。これは中国だからそういう状況ということではなく、世界の民族音楽の大半が例えば独学のような形式で学ぶのはほとんど無理です。きちんと整備されているものとしては中国では古琴があります。これは極めて文化水準の高い人々の楽器なので編集者も古代中国の賢者であることを考えると不思議はありません。かなり難しいものなので、現状では優れた老師を求めることで習得を目指すしかないと思います。

 二胡奏者が習得しておくべき必須の事柄として考級についてすでに説明しましたが、その他に劉天華や蒋風之(これにも劉天華が含まれる)は絶対に外すことはできません。このあたりの古典奏法については現代ではほとんどやっていないので(一応一般的には「やっている」ということになっているか、蒋風之については「やる必要がない」といった意見が主流でいささか曖昧になっている)という状況なので、それが一体どういうものかさえも明確でないという状況だということは踏まえておく必要があります。真面目に取り組んでいるとアナウンスしている教室が本当にそうなのかわからないこともあります。これはうそとかそういうことではなく、中国人老師運営の教室であればこういったことは普通にあるということで、例を挙げると中国主席が大きな事を言うと米国大統領が横で「実際に実行されるか、それが問題だ。注視しなければならない」と言ったりするようなシーンをテレビで見たりすることがあると思いますが、中国では本当かうそかは後から考えればよく、とりあえず大言壮語を吐かないと面子がたたない(後で真実が明らかになってから面子が潰れるのは問題ないらしい)といった考え方なので、そういうものだと思っていなければならない、外面でまず一発かましてからどうするかという民族なので、最初の一発はパスしなければならないという認識は必要です。だからいわゆる「立派な」ところは一杯あるのかもしれませんが、そこら辺を見極めていくのも個人の問題というのが現実です。それで地に足をつけたような内容に接するのは、環境が成熟してくるまでもう少し待つ必要があると思います。古琴衆なんかは二胡業界の質をバカにしていたりしているぐらいですので、中国でもしっかりしているところはあるのですが、二胡に関してはまだしばらく待つ必要があるということです。




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