優秀な演奏家になるための条件とは何ですか? - 二胡弦堂


周旋。この人のように有名な演奏家になりたいと思う人は多い  楽器を練習して上手に演奏できるように目指すのは多くの人が取り組んでいることなので、世の中には上手な奏者がたくさんいます。しかし彼らよりも明らかに技術が拙い人物がどういうわけか商業的に成功しているといったようなことがあります。それでマネジメントであるとか、コネといった要素が重要であるらしいということを考えたりしますが、ここでは成功というものをちょっと違う観点で見てみたいと思います。すでに世界的な奏者になってもまだ満足しない人がいます。これらの人々の不満というのはほぼ決まっていてそれは「自分の演奏が歴史に残ると見做されていない」というものです。世間的に成功するとすでにいろんなイメージが確定してしまっているし、それにファンが酔っていれば裏切ってはいけないという風にも思ってしまうし、そうすると挑戦ということができなくなってしまいます。確かに経済的には豊かにはなったものの、不遇の内に斃れていった過去の巨匠たちの業績には足元にも及ばないという、あれも欲しいこれも欲しいでどうしようもないですが、それでは結局、不滅の演奏を残す奏者というものはどういう人なのかということを探ってみたいと思います。


 必要とされているのは、これらの要素です。

   1,ユダヤ人の末裔
   2,自閉症患者
   3,音楽一家、或いは家系
   4,幼いときから音楽に親しむ環境
   5,優れた老師の獲得
   6,文化人である

 これらの内、複数の要素を持っている必要があるとされています。1つではだめで、少なくとも2つ必要だということです。では、1つずつ詳細をみていきたいと思います。

 << 1,ユダヤ人の末裔  >>
 世の多くの偉大な巨匠たちがユダヤ人であるので、すでに明白であり疑問の余地はありません。「血は争えない」ということわざが有るとおり、能力の幾らかは遺伝するものであることがわかっています。それでは、なぜユダヤは突出した才能を有しているのでしょうか。

 彼らの父祖の系譜を辿りますと、記録として残っている演奏家として最古のものでは、弦楽器奏者として聖書のサムエル記に記述があるダビデに行き当たります。ダビデはすでに若い頃から王国最高の竪琴の名手として王宮入りしたとあります。以後、彼自身が王位に就き、それ以後にも多くの作品を残して、それらはすべて聖書の詩編に所収されていますが、その美しい詩が後代にまで残されているのとは対照的に、それらの詩に付けられていた伴奏音楽が完全に遺失しているのは非常に残念なことです。これと同様のことは、その子ソロモンによる雅歌、エレミヤ哀歌にも言え、これらの雅な詩が纏っていた衣がどのようなものであったのか、今となっては知る由もありません。バッハやタリスといった作曲家がこれらに曲を付けたものが残っていますが、原典は失われたままです。聖書の歴代誌には、ダビデ時代の楽団の組織がどのようなものであったのか詳細な記録があり、これによると神殿楽士の数は3000人ぐらいだったようです。はっきり記録として残されている音楽の系譜は、このあたりから始まります。西暦前1000年頃です。3000年ほど昔になります。この頃にこれだけの大きな組織を構成できたということはそれまでの伝統のあってのことで、祭司団が楽器を扱う記述はモーセ五書の中にすでに見出せるので音楽の歴史はもっと古かったと考えるのが自然でしょう。

 以後、周辺諸国の宮廷楽団はユダヤから招かれた楽士によって構成されていたことが、各国の宮廷遺跡に残されていたレリーフから明らかになっています。ユダヤが有していた音楽の伝統はすでに古代世界において他国とは差があったということです。オリエント世界のミュージックシーンを支配したユダヤ人はヨーロッパへも広がってゆき、クラシック音楽の歴史はユダヤを抜きにしては考えられない存在となってゆきました。欧州古典音楽は白人の伝統音楽だと思われがちですが実際にはそうではありません。人類学の研究では白人は音楽の能力が最も欠けており、それより上が黒人、最も優秀なのは黄色人種だとされています。インド、アラブ音楽や、フラメンコ、ファドに至るロマ音楽など大きな流れをみれば、それは明白です。

 ユダヤ人の東洋への伝播については中国音楽と西洋音楽は、どのように違いますか?にもありますが、中国王朝に関してはすでに最初の夏王朝からユダヤの王国だったとか、始皇帝の鼻は高く鉤形で一般の東洋人のようではなかった、それどころか春秋戦国時代の支配階層はすべてユダヤ人であったいう学説まであるぐらいでいろいろな見解に事欠きませんが、このリンク先に抜粋の翻訳を載せている本を著した石旭昊という人物の研究がさらに大きな衝撃を与えるものだったということで、それについて少し触れておこうと思います。石旭昊は学者が本業ではなく、有名外資系企業の北京支社の社長を務めている経済人です。彼が若い時に祖父から「わしらの石家の始祖は趙国の君主、高祖石勒皇帝である。お前で第 69 代の直系の子孫になる」と言われ、さらに「子孫はユダヤ人」「今お前に話しているこの言葉は古ヘブライ語である」などと様々な伝承を聞かされ、その後30年に及ぶ彼の調査の結果が分厚い本になって出版されています(「石勒皇帝与羯胡人之謎」 中国社会出版社 2011 年 8 月出版)。中国の北方に匈奴(モンゴル系)という遊牧民が住んでいます。匈奴は夏王朝が商に滅ぼされた後、西に逃れた夏後氏の後裔です。匈奴は19の部族で構成されており、そのうちの1つが羯胡人(ユダヤ人)でした。その羯胡人が入植したという最初の土地を地図に示しています。ここは元々「羯室」という土地でした。これはユダヤ人であれば発音がJebusと同じであることがわかったようです。エブスとはエブス人という一民族で時にエルサレムを領有していましたが、後にダビデが攻略しそこをイスラエルの首都に定めました。羯室とエルサレムは土地の形状まで似ていると言います。そして羯室の地理的な位置は様々な憶測を呼びます。中国の民族音楽の発祥地や銀行業といったものはこの付近から出たものです。ユダヤ人が中国の歴史の最初から関わっていたのと同様、日本に対してもこのルートから多数のユダヤ人が日本に入り永住しました。

 このサイトの訪問者は、おそらくほとんどが日本人か中国人だと思われますが、このカテゴリに属する該当者がある程度存在すると考えていいと思われます。


 << 2,自閉症患者 >>
 これは一種の脳の異常ですが、異常性が強いものを分類しているのであって、これが病気であれば人間というのはほとんどが病人であると言えます。なぜならすべてにおいて正常な思考の人間は極めて稀にしかいない、そもそも正常であれば良いのかという問題もあるし、人間というのはなしがしかの偏りがどうしてもあるので、そういうことが得手不得手に表れることがあります。しかしその偏りがあまりにも大きくなりすぎると社会生活にも問題を来しますのでそういった人々を医学的に括って様々な対策を考えています。どの程度で患者認定するのかは難しいところですが、はっきり認定可能な割合は結構多く、学校のクラスで必ず一人はいるぐらいであると言われています。能力の偏りはすでに脳内の血流からして顕著に異常であることもあるとされ、こうしたものを治療できるのかどうかわかりませんが、放置した結果として音楽的な天才が生まれるということも少なくないとされています。もし、お子様が自閉症患者の場合はこの点に留意する価値があります。


 蘇州古琴学会で演奏する女性<< 3,音楽一家、或いは家系 >>
 血統については、ユダヤの項目で説明しましたので割愛します。生まれる前から音楽に親しむ「胎教」という言葉もあり、よく知られていますので説明を省き次へ参ります。


 << 4,幼いときから音楽に親しむ環境 >>
 プロの演奏家の場合は、かなり幼い時から楽器を手にしています。また、親の職業の関係で多くの演奏家と接する機会が多かった人も大成しやすい傾向が見受けられます。早く始める価値は、強調してもしすぎることはありません。しかし巨匠たちの中には学校にすら行っていない人が結構います。自閉症患者が多いためで、義務教育というものがなかった頃は親が学校を辞めさせ家庭教師を付けるということもありました。子供が周囲の学友についていけないからです。当然、音大など行っておらず、それどころか正規の教育はゼロという人は結構います。中卒も小卒(ってあるのか知りませんが)も何もないのです。それでも子供が偉大になる背景には親の教育方針があります。こういう人は子供の時から教育してもらっています。


 << 5,優れた老師の獲得 >>
 よく「自分は人からは教えて貰わない」などという人がいますが、これは物事を軽く考えすぎだと言わざるを得ません。これまで、多くの巨人たちによって培われてきた伝統があって、脈々と受け継がれているところに、人1人の力で幾ら努力するといっても、比較にすらなる訳がないぐらい常識でわかります。ずっと素人でよければ結構ですが、楽聖たちですら他から多くのことを学んだことを忘れるべきではありません。すでにヨーロッパで圧倒的な名声を得たものの、晩年には創作意欲の失われたヨハネス・ブラームスが、ある若いクラリネット奏者の演奏を聴いて、再びペンを取る力を得、死の間際に優れた傑作を残したエピソードは有名です。また、20世紀最高のソプラノと言われたマリア・カラスは、多くの歌劇場関係者の証言によると、一般的な噂とは対照的に「彼女ほど従順で協力的な女性はいなかった」といわれており、すでにスターであった彼女が若い練習指揮者に対してさえ常にそして最も協力的だったことは歌劇場外でも明らかにされつつあり、まさにこの特質がイタリアのオペラ職人たちが彼らの夢と理想を託すのにうってうけの歌手だったのではないか、これが類い希な歌手を生んだ経緯として最近研究されています。

 このように色々理屈を並べても、やっぱり習い事につきものの諸問題を考えれば、人から習いたくなくなるのは、もっともなことです。また、自分にとって良い老師が、本当に良い老師かどうかはわかりませんし、所謂「先生」だけが自分にとって良い先生かもわかりません。人は、どこで学ぶかわかりません。多くの啓発を与えてくれる人々に囲まれているのは、恵まれた環境だといえます。しかし、特定の良い先生に習っているのも良いことです。

 「学んでも自分で考えなければ、物事はよくわからない。自分で考えるだけで人から学ばなければ、誤りには気づかないままだ。」孔子


 << 6,文化人である >>
 特に中国の巨匠たちがよく言うようですが、専門の分野しかやらないのは駄目だと・・、いい物を観賞したり、芝居をみたりするのは、非常に重要だと生徒に教えます。宜興の有名な茶壺の制作家・顧景舟は、若い制作家たちに苦言を呈し、仕事ばかりやるだけなので人を感動させるものは作れない、と言ったと言われています。「人は欠点を愛する」という言葉があります。欠点という表現は難しい、人間味と言った方がいいかもしれませんが、魅力ある何かを自分の中に秘めていないと魅力的な仕事はできないと言われます。上手な演奏が聴きたければ、或いは音楽を提供する必要がある会社などが、確実に間違いない?音楽を聴かせたい場合、最近はコンピューターに演奏させれば十分ですし安上がりです。プロの演奏家になるためには、そういうものにはない何かを秘めている必要があります。


 プロ二胡演奏家になるための条件を考えてみましたが、どうしても自分自身では変えられない要素が多いように思います。それでも、6は、だれでもできますし、聴いてくれる人たちにも誠実であるといえます。5も、なかなか状況が変えられなかったり、難しいものがあるかもしれません。しかし、多くの録音を聴くことで、埋め合わせられるかも知れません。結局多くの才能より、このような努力の方が重要かもしれません。


 さらにここから一歩進んで、"成功"というものについて、これは結局「自分が満足できるか否か」という点に集約されるのですが、それを前提に考えてみることにします。他人から見て十分に成功している人がいるのに、その人自身は全くそう思っておらず、それどころか強い不満を抱いているという場合があります。人によって目指すものが違うので、このような見解の相違はありがちなことです。商業的に成功し非常に有名な演奏家になったとしても、本人が巨匠になりたいと思っていれば、その人にとっては成功していないということになります。そして貧乏なまま、のたれ死んだ過去の伝説的人物に憧れているかもしれません。その逆もあります。失意の内に亡くなった巨匠たちは歴史上大勢います。それで成功とは何か、自分だけが知っているか、おそらくわかっていない、というのが実体です。巨匠への道は茨の道なので、これを敢えて選択した人はたぶんここを読まなくても多くをすでに理解しているのでしょう。

 成功というものを人気に置き換える考え方もあります。重要なポイントは、本質的に「人は成功した人が嫌い」ということです。誰からも好かれる人というのは、成功していないという言い方もできます。これには陰で悪口を言う人は含まれません。ある人をはっきり公に「嫌いだ」という人が出てくるなら、その言われた人はすでに成功している可能性があります。アンチの存在は成功のバロメーターです。わかりにくいので別の言い方を試みてみますが、マザー・テレサの名言で「愛の反対は憎しみではない。無関心である」というものがあります。強く愛されたり憎まれたりする状態・・・これを成功と言うのなら、失敗とは生ぬるく評価されている状態と言えます。もしある人が二胡を拉いて、それを聴いた人の中からあからさまに嫌悪感を示す人が出るなら、その演奏者は才能がある可能性が高いです。本当に下手な演奏者にそういう反応をする人はいないものです。哀れまれるなら、まだまだ先は長いと考えていいと思います。すべての点で自分にとって都合の良い状況を目指すのは人間の本質からは逸れており、幻想であるという事実は実に悲しいと言えます。ここから目を背けるというのは難しく、求心力のある演奏を目指すならば、人のあらゆる感情を理解していなければならないゆえ多くの苦しみが伴います。最後に、ソロモンの古い言葉を引用しておきたいと思います。「わたし自らすべての骨折りと業におけるあらゆる熟練とを見た。それが互いに対する対抗心を意味するのを。これもまたむなしく、風を追うようなものである」- 伝道の書4:4(新世界訳聖書) ここまで来て「しまった! こんなものを読まなければ良かった」と思われた方がおられたかもしれませんが、"成功"を目指すならいずれにしてもどこかで考えることになります。成功とは、棘だらけの薔薇なのか・・・すべての人にとって真の成功とは、虚心を悟ることかもしれません。




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