音程の正確さはどれぐらい重視すべきでしょうか - 二胡弦堂

 


 演奏の音程を合わせるのは重要なことです。しかしそう言うと、譜面には忠実でなければならないという西洋の考え方が抜け切れない人が多いので言い方を変えねばなりません。西洋では作曲家が作品を譜面に書き記しそれを演奏しますので、楽譜というのはかなり絶対的な位置にあります。中国は違います。宮廷が楽譜を編集していた王朝時代から演奏されていた音楽がまずあってそれを記録していたからです。音を出す前に紙の上で確定しているものを演奏するのと、すでに音が出されていたものを記録したものではずいぶん違ってくるということです。中国の古典で「楽譜に絶対忠実」という常識はありません。細部は各地方やその音楽が属する戯劇の伝統に倣いますので、あらましを書きつけただけに過ぎない譜面に忠実であるよりも伝統的な奏法に改められる方を重視されます。要約が書きつけられた譜面は確かに間違いではないが、実際の演奏とは若干の乖離があるということは有りがちなことです。楽譜通り正確に音を押えた方が訳のわからない演奏になってしまうということは中国音楽では結構あることです。近代の作品になってくるとそんなことはないですが、古典ではまずその様式を理解する必要があるということです。これは何も中国だけではありません。欧州のバロック音楽はその作品がどの様式に基づいたものなのか書いてある例がたくさんあります。それはたいてい舞曲の指定です。例を挙げるとメヌエット、ガボット、ポロネーズ、サラバンド、ロンドと、こういう表記が多用されています。それぞれの舞曲には様式があるのでそれと譜面の書き方が相容れない時は舞曲の様式が優先されます。楽譜に忠実であるのではなくて様式が優先します。この概念は十分に理解しておかなければなりません。中国の伝統音楽においてもこの概念は非常に重要です。

 中国音楽の多くはペンタトニック(五音音階)なので、数字譜における4と7は音階に含まれない音です。この音程配置はデリケートなので気をつけなければなりません。数字譜で1と指定されていても、その音は圧を加えなければならないのであれば1より高い音が出ます。そしてそれで構わない、むしろそれが正確であったりします。中国弦楽は大滑音がありますが、楽譜に書いてある音まで滑らせるのか、それより手前なのか、或いはそれ以上なのかは場合によりけりです。譜に書いてある音を実際には出さないか、出しても僅かである場合もあるでしょう。こういう状況で音程を正確にと言われても何を以て正確とするかは演奏家個人の裁量に任されている以上、そもそも正確にという概念自体意味がないということがわかると思います。これらを踏まえた上で基本音程は正確でなければならないのです。まず楽譜通り正確に演奏できてからアーティキュレーションを考えるというやり方は少なくとも中国音楽にはありません。もう一度繰り返しますが、様式が常に上位です。

 とても演奏技術が高度だが、伝統奏法を理解しないという人は増えており、割と新しい近代以降の作品しか演奏しないという老師が中国で増えてきています。かなり行き着くところまで行ってから反省する流れもあり、古典を重視しているということを前面に出される先生も出てくるようになりました。しかしそもそもそういう問題ではなくて、本来は当たり前で、こういうことが議論になること自体が既に異変なので、何も言われなくなった頃には正常化しているのかもしれません。

 稀に弦堂への問い合わせで、ある中国人の有名な演奏家を示して「音程が狂っていますがどう思われますか」と言われることがあります。これまで数回あります。こちらでもYouTubeで確認して「ぜんぜん狂っていませんが」と返答します。そうすると「私の耳は優秀で・・」とかそういう長い講釈を聞くことになりますが、これが逆に中国人が日本人の演奏を聞くとこれもやはり「狂っている」となるらしいですね。つまりお互いに正確と思っている音程が違うんですね。これは狂っているというからわかりにくいのであって、お互い意図的にやっているわけだから狂ってはいないのです。雑誌の「二胡之友」あたりを見ると、中国人の偉い人による、日本人は基本をやってないといった批判があって結構長年指摘されていますが、これは言いたいことはわかるのですが、中国人が提供している基本が駄目なのでは、語弊のある言い方ですがそういう風に思います。というのは中国人生徒であれば何ら問題ないのです。外人がやると中華の素養ゼロでやるから根本が狂っているままで技術だけは上手になっていきます。だけど中国人が普通と思っていることまで教えるカリキュラムは現状無いんですね。中国人の場合は最低限の素養があるから何とかなりますけれども、外人はどうしても何かがズレた感を常に抱きつつ進めることになりがちです。ここは音程の話なのでそのことに触れると、欧州のバロック以前の音楽は様々な旋法を使うし、作曲家によって決まった彼専用の音程があったりもするぐらいなので調律は一定ではありませんでした。中国の場合も、地方によっていろいろありますが、そういう旋法の違いを解しないと演奏から魂が抜けてしまうことがあります。中国人は子供の時から民謡を聴いていて一々学ばなくてもわかりますが、外人は平気で平均律で行くのでこの辺から教えないといけません。1つの曲の中でも純正律ないしは平均律で演奏する箇所と、そうではない箇所が混在しているようなものがあります。こういうものがいつから存在するようになったのか、劉天華が西洋の様式を取り入れてからではないかと思っていましたが違うかもしれない、というのは前にバンコクに行って東南アジアの胡弓を習っていたのですが、その時にもこの問題が発生したからです。レッスンは出向くと老師が楽譜を渡してきますのでそれをやります。つまり初見でいきなりやります。毎日これです。こちらが要求してこうなっているわけではなく、老師が勝手にそうしています。気温40度近い環境ですから、もうそこらへんはどうでもいいというか、深く考えていないようなことは結構あるわけです。タイの7音階は全部均等の7平均律なのですが、これが必ずしもそうではなく西洋音階も混在しているのです。その使い分けが学習数日の生徒にはわかりませんので、老師が「狂っている」といったらこちらが「合っています」と言い返し、その音を強奏して繰り返して確認を求めます。老師は何と!一切説明せずに次へ行くのです。いい加減ですね。これはもちろん老師が正しくて、弦堂が強調したその音は譜面通りでは合ってはいるが、実際はその音程ではないのです。黙っていて良い問題ではないのでは? そのうち勘でわかってきましたが、初見で未知の楽曲まではまだまだわからないのでこの問題は最後まで右往左往しました。思うにこれは西洋の影響ではなく、元々あったものではないかと思います。曲の中でも旋法を様々に変化させるのが表現になっているんですね。旋律線を際立たせる時にはそれに合った旋法を使い、他の楽器との和声の厚みで聴かせる部分では平均律に切り替えるのです。タイの7音階は中国や印度など外国のあらゆる音楽に八方美人的に対応する旋法らしいので柔軟性が元よりあるし、ある特定の旋律が北からきたものであれば中国の音階で鳴らし、西からであればサンスクリット系の表現で決めるのだろうと思います。中国の場合、旋法の違いに加えて極めて曖昧な音程取りを課されているものさえあります。前に京劇をやっていた時に老師が「そこは6ではなくその手前で止めます」と言いますので、「では6は出さないのですか」と聞くと「そうです。その場合はすべてそのように演奏します」と言います。具体的には6.3とかそれぐらいの音を出すわけですが、楽譜には6と書いてあります。中国音楽の場合、こういうことを言い出すときりがないと思うのですが結構あるわけです。だから中国人の演奏を聴いて狂っているという前に、というより普通多少なりとも音楽の素養があれば相手が意図的にやっているのは勘でわかると思うんですが、自分が狂っているかもしれないという仮定も捨てないでいただきたいと思います。そこを大量のビブラートを掛けることや耳の良し悪しなど関係ない論理展開でごまかさないようにしていただきたいと思います。耳は良いかもしれないが頭は悪いのか? いやいや、違うのです。何となくは誰でもわかっているんです。だけど自分には苦手な部分は別の論拠で防衛しているのです。そうではなくて正面から問題に取り組むべきだと思います。それと弦堂に連絡を取り、自分が如何に優秀かを理解させるのは意味がないのでやめるべきだと思いますね。

 とはいえ、生徒は二胡のような弦楽器をやっておれば確実に音程を狂わすので、全く指摘しないわけにはいきません。やるべきことをやった上で指摘すべきですが、老師は生徒に「音が外れている」ということは正しいことなのか、おそらく言わない方が良いと思います。「もう少し上」か「もう少し下」と言い換えた方が良いと思います。このことを言う必要性がある場合は、聴いている老師よりも演奏している本人の方がすでに苛々しています。極めてデリケートな問題であるということは把握して当るべきです。上に老人が楽譜に記入している写真があってこれは弦堂の老師ですが、これぐらいキャリアが長くなるとこの問題の扱いもツボを押えており、もう何も言わずにむりやり指を掴んで動かしてきます。告げると生徒は考えて判断しないといけないので、曲に集中している生徒に対してそれは適切ではない、口の悪い生徒だと「うるさい」と老師に言うので、かなり重要なポイントに限って指を修正して違う話に移るんですね。孫みたいな生徒に対してさえこれぐらい気を遣います。いや、年の功というやつでしょうね。あまりに合わないと楽器に印をいれてやったりもします。