盲人演奏家について - 二胡弦堂

 


 オリエントの浮き彫りをつぶさに観察した考古学者たちは、古代ペルシャ帝国の宮廷楽師たちが皆、1つの特徴を持っていることに気がつきました。それは、すべての演奏家の「目が潰されている」ということでした。どうしてこんな野蛮なことをするのでしょうか。病気のために自然に視力を失っていった宮城道雄は「それから、十歳から十一歳の頃に、眼が全く見えなくなってから、箏の音色がほんとうに分かってきたようにおぼえている」と言っています(「五十年をかえりみて」から抜粋)。なんとか努力すれば、視力を失わなくても音色がわかるようにならないでしょうか。盲人のように音色を"見る"のは盲人にしか無理であるらしい、と感じられるのは、盲人によって作曲された二胡の諸作品、さらに街中で見かけられる盲人演奏家の演奏を聴いた時です。ああいったものは健常者の発想では難しい、そこで家の近くの地下鉄の登り切ったところでいつも演奏しているお父さんに「先生! 一時間50元でどうでしょうか」と言いました。盲人は小さな声で「自分は教えられない」と言いました。「80元でどうでしょうか!」と言うと近くで見ていたおばちゃんが来て「帰れ」と言いました。しかし帰ろうとするとおばちゃんは内緒で事情を説明し始め、その時のおばちゃんのお茶を濁したような曖昧な説明をわかりやすくするとつまりこれは盲人ビジネスで、やくざが縄張りを決めて盲人を演奏させているのです。場所とやくざが雇った見張り兼用心棒をあてがい、あちこちで稼いでいるから北京は盲人演奏家がすごく多いのです。地下鉄車内でもどんどんやってきます。だけど帰れと言われるので習うのは諦めました。ところで、盲人ではなく健常者を使えば、見張りと護衛は要らないのではないでしょうか。しかし護衛にギャラをやっても盲人の方が稼ぐのであれば話は別です。はっきり言って、これだけ盲人演奏家が多いと、盲人というだけでお涙頂戴的に収益を上げるのは無理です。それでも盲人が主力です。それは盲人にしかない説得力が演奏に備わっているからだと思います。そこでさらに考えたのは「その盲人演奏家を養成するキャンプがある筈」というもので、そうなってくるとそこに入りたいと思うのは当然のことなのです。ところがそういうところは奴隷的に管理しているので簡単に実態を明せません。盲人と演奏というキーワードを繋げるだけで、古代ペルシャから現代北京まである意味すごい世界ですが、眼が見えないことで見えてくる別のものの価値というのはそれだけ大きな力があるということなのです。

 「盲人」というと演奏家というよりまずは「乞食」を連想します。乞食兼演奏家というのが多いです。そうでなければ中国医学按摩師というのも多いです。こちらは路上でやっているのは稀です。乞食兼演奏家というとアービンです。非常に有名な演奏家だったことで1950年に録音収録がなされ、それによって二胡の作品は計3曲残されました。「二泉映月」「听松」「寒春風曲」です。これらの作品についてはネットで中国語であれば結構説明が出てきますが、いずれも共通項があります。「社会の腐敗が創作の動機になった」というものです。本当でしょうか。まず、ご本人はそういうことは言っていません。本人が世の腐敗に反発を抱いていて、そのために暴徒に襲われて演奏しなくなったのは確かのようですが、それでこれらの作品を作ったのであれば、作品まで作っておいて演奏活動はしなかったのは不自然です。録音はレコードを販売して公開することが前提になっていたようなので、反社会的な内容は扱わない筈です。国民党への反発だったらありそうですが、それはデリケートな問題なので反日に換骨奪胎されるのがデフォルト、現代でもそうなのに当時だったら尚更なのです。アービンが不満を持っていたのはそもそも社会でなく一部の腐敗分子だったから、それが社会への反発に繋がっていたかどうかわからないし、もし強い不満があったのだったら天津からきた特権階級の大学教授らに自分の演奏は録音させないし会話もろくにしなかったと思います。気前よくいろいろ話したらしいので、意固地になっていたという感じではなかったと思います。しかも気が進まないのに次回の録音まで約束していたと言います。かなり不自然です。録音は特にやりたいと思っていないのに説得されてやりましょうかということになったということは関係がある程度良かったということになります。だけど後に楽譜の出版や録音の公開となったらそれはそれで別の要素を考えなければなりません。党の革命思想に則った作品ということで闘争をテーマにすれば、検閲の難しい問題を回避できます。取り上げられやすくもなります。そういった機転で現代の我々は優れた作品に接することができています。仏さんには少しの失礼を詫びつつ、闘争した人ということにさせて貰っているんです。生きていたらできたかなと、それぐらいだった可能性も否定できません。アービンは闘争をやめた人であって、実際闘争していたのはどちらかというと出版に骨折った人たちだったのです。中国はまだ腐敗闘争しているらしいのですが、日本人には関係ありませんし、我々はいい加減きちんとした考察をしてもいいのではないかと思います。

 まず二泉映月は「泉の曲」です。故郷の泉の曲です。敵地ではありません。愛する故郷の泉です。かつて茶道を追求していた富豪が道楽でうまい水を探し回ってここが天下第二であると認定した泉なのです。社会に不満を持っていてそういうものを題材にしますか。また天下第一泉ではなく、故郷にあった愛するこの泉に曲を書いて捧げたのです。彼にとって無錫にあるこの泉こそ愛すべきものだったのです。听松はどうでしょうか。南宋時代の将軍が異民族を退けたという古代の戦いを題材にしています。南宋とはつまり故郷です。我らが漢民族が野蛮人を撃退したことを賛美する曲なのです。自分のところに不満をぶつけるどころか賛美しているのです。この異民族は満州の人々ですので、共産党の赤い旗の下に全ての民族が力を合わせようという思想からは外れているのです。都合が悪いのでその後この異民族が日本を表しているとされたりしていました。寒春風曲、寒い風はつらいものですが、それが真冬ではなく春の息吹が感じられる頃であればどうでしょうか。社会への不満を表現するのに春では何かがおかしい、不調と言わざるを得ない。もういいでしょう。中国人の一部の方々は「日本人にはアービンはわからない」という人もいますけれども、本当にわからないんじゃないかと思います。なんでも言われたら、満面の笑みで走りこんで強烈に万歳、それも三唱どころか10唱は当たり前ぐらいにならないとわからないですよ。しかし楽譜の出版、録音のプレスをした人々は状況を考えた上で、仏さんには失礼を承知しながら、偉大な作品を世に広めるために涙をこらえたのでしょうね。そこのところをくみ取らなければ、最初に出版に骨折った先生方にも失礼です。我々もより賢くなって「アービンはわかりません」としておくのが良いかもしれない、いや、この日本人への批判は日本人には背景のところが読み取れないから「あそこの国の人にはわからんよ」と言った可能性も高く、そうであればこれはメッセージ性の強い有益な批判だったでしょう。メンツを重視する中国人がこのような批判をするのは不自然なので、その可能性の方が高いと見るべきでしょう。皆さんの方ではこの問題に関わることなく、アービンについて語らねばならない場合でも反証などはせず、簡潔に済ませるのが良いでしょう。また、中国人は一切説明してもらわなくてもわかっているので、皆さんの方でお世話する必要はありません。

 盲人という立場の人が社会にいて、ある人は健常者とは違う感覚で音楽をやっていたりします。そこに奇妙な偏見を混ぜてはいけない、そういった偏見は社会の中で結構あります。盲人を単に他の人とは違うと見るのは偏見になるかもしれないし、我々と同じだと考えるのも偏見かもしれません。違うものは違うでいいのではないかと思いますが、盲人は眼が見えないがそれ以外は変わらない、しかし眼が見えないことで別のものが見えている、それが芸術作品に表れた時に強い求心力が備わっている、といった要素があるということになります。盲人というと中国音楽ではそれだけで1つのカテゴリという感じもします。