ベトナム国立交響楽団幻の第111回定期演奏会 - 二胡弦堂


 拙ウェブサイトは中国音楽関連なので、ベトナムの、それも西洋音楽の楽団について記載するのは場違いですから、まずその説明からせねばなりません。2017年10月にYahooニュースでこの記事が出ました。水準がそれほど高くはない楽団をてこ入れするというママありそうな話ではありますが、しかし重要な注目に値する点もありました。それは、ベトナムの音色、表現を大事にしているということでした。

 「個性を大切にする」という話もよく聞くことです。しかしその実、これはそんなに簡単なことではありません。個性というものは普遍的にあるので、大切にしたり表現しようとしなくても自然に表出するものです。だから一見、かなり簡単にも思えることです。他人の真似は簡単にできるものではありません。それぐらい独自のものというのは努力しなくても出てしまうものです。非常に厳しい訓練を受けた場合、高いテクニックがあれば没個性的演奏というものができるようになります。これはすごいことです。その一方で初心者が全くの無味乾燥な演奏を披露することもあります。そうすると、個性を育てなければならないのではないか、ということになってきます。実際のところ、これは演奏そのものの問題ではなく、教養に関係する事柄ですが、こういったことは教育現場において解決されてきたことです。

 "一流"を目指す場合はどうでしょうか。楽団の場合は作品の解釈に対して高度なポリバレント性が求められます。あらゆる表現に対応できなければなりません。そうであれば自主性はない方が良いのでしょうか。そういう楽団はどうしようもないでしょう。それぞれの楽器奏者はその楽器を愛するがゆえに当該楽器の奏者になり、また楽団に評価されて椅子を確保しています。自主性を否定するということはそういう背景を無視してコンピューターのようになることを強いるものです。固有のサウンドを持つことはある程度のフレキシビリティを失います。対応できないものがある程度出てきます。この相克を完全に解決することは難しいでしょう。世界最高の楽器は何かについて、ほとんどの楽器で結論は出ていて、プロによって特定のメーカーの楽器が使われています。そうすると、どこの楽団も似たような音になります。最高とか一流を目指すのに最高の楽器を否定していては他と差をつけられますから、そういうところで他者にアドバンテージを与える選択はなかなかできないものです。昨今のインターナショナルな環境で、ますます洗練されてきてはこのように個性的な音色から遠く離れていっています。

 そういう流れがあるので、この現代において「ベトナムの音色、表現を大事にする」などということはなかなか言えないものです。これはベトナム人が良いと思う音色とか表現でやっていきますという意味ですが、これが世界的に、或いはベトナム国内だけであっても受け入れられるかというのはわかりません。こういうことは現代では日本人ぐらいしかできないことです。日本人の持つ成功の尺度は多様だからです。このベトナム国立交響楽団の方向性は日本人、スポンサーも含めて、彼らが主導したものであるらしいのですが、それでもベトナム人が賛同しているわけですから、これは世界的に稀なことです。そして、必ずできると思っているはずです。NHK交響楽団は世界最高水準ですが、それと同時に「和」の音がします。こういう模範的なものがすでにあるからです。

 もはやこういった方向性は中国では全く見られなくなっており、世界的にも非常に少ないので、我々は確かに中国音楽という全く異なる分野ではありますが、それでも学べる点はあるのではないかということで、本稿で取り上げることにしたものです。

 弦堂は、中国在住ゆえにビザの問題で一定間隔で出国せねばなりませんからそういう時に一回は日本ではなくベトナム・ハノイに飛ぶことにし、2018年6月に行われる同楽団第111回定期演奏会を観るため、2018年2月ごろに座席を予約致しました。ところが5月も後半になっていよいよ2週間余りとなった頃に事務局から「演奏会は中止になった」と連絡が来ました。突然7月に日本公演が決まり、その影響で中止したというものでした。それで「練習の方は参観できますか」と聞きました。そもそも演奏会そのものに行くことが目的ではないので、むしろ練習参観の方が興味深いのですが、弦堂はパトロン会員(年間$500とか$800などのプランがあるらしい)ではないし関係者でもないので練習参観は普通はお願いできません。普通に演奏会に行かないと迷惑をかけるのでそうしたわけですが、突然のキャンセルといった事情ではお願いするしかありません。

 7月の日本公演については、公式サイトで紹介されています。ここにYouTubeのプロモーションビデオがあります。ここでベトナム国立交響楽団の演奏を聴くことができます。確かにベトナムの薫りがします。これまでこういう短いものであれ、全く動画は配信されていなかったし、録音も販売されてきませんでした。「これまでの演奏会は本当は録音しているでしょう?」と聞きますと事務局は「録っている」という話だったので、それを発表していないということは、まだ満足できるものができていないのかもしれません。

 そこで6月に入って早速ハノイに向かい、到着した当日に事務局(StarLotusさんの2F)に伺い話を聞きますと、まず監督が日本帰国中で練習はやっていない、練習していても見せたくないと言っているという回答でした。多分、共産国、国立でなければこういうことはないと思います。それでも弦堂と事務局のベトナム滞在歴25年という佐藤社長は、ベトナムはまだ中国よりはマシ、まだ道理が通るという結論でなぜか意見が一致し、演奏会などについては日を改めるということになりました。しかし、ハノイ・オペラハウスでは専属のオペラハウス管弦楽団がたまたま滞在中に公演しており、そちらの方を聴きに行ったので本来の目的には影響はありませんでした。ということは、もしベトナム国立管が演奏会を中止していなければ、2つ聴きに行っていたということになります。中止ということなので、予定より早くハノイを出ることになりました。

 オペラハウス管ですが、おそらくオペラはやっていません。この日の公演は合唱が必要、これは日本から呼んでいました。専属の合唱団がないらしく、共産だからなのかなぜかバレエ団はあり、第2部ではなぜか騒音を多用した現代バレエの鑑賞に移り、伴奏は録音でした。つまり楽団はオペラとバレエの伴奏はやっていないようなんですね。よくわかりませんがそういうことでなぜか第1部の方で交響楽を聴いてまいりました。ピアノを交えた作品もありましたのでそのソリストも日本から呼んでいました。そして日越友好?45周年(日越関係の何か)ということで、ベトナムと日本の作品もやりました。全録音がありますがおそらく公開できないと思うので、ご紹介できないのは残念です。しかし音がないと具体的にわからないので、チューニングだけであれば良かろうということでこれだけ貼り付けておきます。



 結構天真爛漫な表現です。チューニングだけでもそういう感じがします。難しいことは考えていない感じで非常に開放的です。しかしそれなのにこの日のプログラムは全部ベートーベンでした。これらの作品から哲学色を排するとこうなるのかとある意味で新鮮味すらあったほどです。これもいいのではないかと。こういう特徴は東南アジア全般で確認されます。具体的には強弱に対する繊細さがありません。かなり大雑把です。その時、その一瞬を生きるという感じです。つまり強弱というのは前後の関係において強いとか弱いと言えるわけですから、流れとか先を読んでいないといけません。そうではなくて、今のこの瞬間こそすべて、という感じで進めていきます。全体を構築する知的感は南国では好まれないようです。暑いし。こういうのも有りなのかなという妙な説得感すらあった程で、やはり物事は自分で確認しないといけないと改めて感じた次第です。こういう感覚は東南アジア全体の伝統音楽に根ざしたものと思われ、インテンポで行進するように進めていくあの感じから来たものと考えられます(これがわかりにくい場合は沖縄音楽を想像していただいても構いません)。

 音楽は知性と感性のバランスが必要なものですから、そこで充分に能力を発揮しようと思えばできるのですが、しかしそれができなかった場合、例えば体調不良だった、私生活で重大な問題があったなどの要因で集中できていない時もあります。皮肉なことにそういう場合の方が良い演奏だったりして、それが録音されていた場合、後代にまで名盤ともてはやされているものさえあります。それぐらい無我の境地に達するのは難しい、そうしたら頑張れば良いのか手を抜いた方が良いのかという話になりますが、別の言い方をすると、もし自分があらゆる点で最高の水準に達していて、ただ老齢で技術的には下り坂、人気を獲得したこともないという状況だった場合、今更頑張るかと言われるとそういうことはしません。その場合、これまで蓄積してきたものが演奏に漏出します。その演奏が神との対話だった場合、やはり努力などしません。評価を求めるものではなく対話ですから。しかし真剣な誠実さというものは求められます。だから一口に努力といってもタイプが違うことになります。こういった歴史上の不滅の演奏の姿を見た場合、ハノイの管弦楽団の姿勢は本質に迫っているのではないかということは感じられます。演奏中において思考よりもナチュラリティを優先する、彼らの文化圏ではそれが普通なのだろうとも思いますが、そこは意図的に変えていない感じがします。後は彼らの蓄積してきたものをベトナム人が受け入れられるかということになると思います。そのためには自国の作曲家を育てることが必要なので、その方向でも努力されていますが、客席のベトナム人の少なさをみるとなかなか難しいと感じられます。外国人の立場からは別の味方になりますが、日本はお固いので、それが嫌な人が何もヴィジョンもなしに対極に走るような状況が時にありますが、そういう場合にこういうものをじっくりと鑑賞すれば何か示唆が得られるのではないかと思います。また日本の固さにも利点があることもわかるのではないかと思います。結局のところ、重要なのは固いか柔らかいかではなく教養なのですが。録音が出ていないので聴きに行くしかありませんから不便です。今後はわかりませんが、こういうものがあるということで、ご紹介までですがここまでにしたいと思います。




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