料理は使う皿で確実に味が変わりますので質には留意したいものです。皿は今や非常に安価に買うこともできますから、実用上それで全く問題ないところに気を遣うという話なので贅沢ではあります。しかし一旦一枚入手して調べるとなかなか安価な皿は使えないものです。そういうことを言い出すと包丁で味が変わるとか本当に色々あります。茶の擦り器についても同様です。中国宋代に煎茶が出現するまで中国でも抹茶でした。青い葉を買ってきて自分で淹れる前に擦るか、茶店や行商が擦っていました(この場合は茶葉を売るのではなく、茶を飲ませていました)。写真の例は当時の抹茶を擦る専用の擂り鉢でした。泥は白泥、外側は黒秞、中は? わかりません。何もしなければ白の筈が光沢のない黒になっています。何か理由があるに違いない。これで生姜を擦ると刺激は全くありません。もし刺激があるなら、本来の目的で抹茶を擦った時にかなり苦いものができる筈です。古代の化学、特にこの時代の中国は世界最高だったということを改めて思い起こさせますが、こういうものに接すると単に食材を擦るというだけでも随分違いがあるということがわかります。茶の扱いでも同じことが言えます。
茶葉の場合は、少量購入して飲みきったら終わりなので、質については失敗しても割り切ることができますが、茶器ともなるとなかなかそうはいきません。特に高価なものはそうです。しかし、一般社会で茶器の質というところに目を向ける人たちというのは限りなく少数です。そうなりますと、良いものを作れば赤字になりますので市場から消えていきます。百貨店や陶器街でかつてはあった良いものは、少しずつ消えていき、外国人観光客が増えてますます減りました。そもそも茶を淹れる人自体が減っているので、理解もされにくくなっているのかもしれません。
中国紫砂の茶壺は日本国内でも2000~3000円ぐらい、大雑把ですがそれぐらいの価格で買えると思います。安価なものの中には科学的に調合した如何にも本物の紫砂的なそれっぽいものもあるのですが、そういうのは1000円以下でもあるかもしれません。とりあえず本物の紫砂茶壺、3000円ぐらいも出費すれば購入可能だと思います。これはどういうものなのでしょう? 機械のプレスで作っています。それでも仕上げは人間がやっています。ですから、外観はまずは結構です。しかし、機械の枠に板状の泥を貼り付けてプレスするためには、泥の方を簡単に整形されるものを選んでおかねばなりません。良いものではありません。茶に対して何の効果もありません。ですが、高級中華料理店ではこれぐらいのものがベターです。割ってしまったりということがあり得るからです。ある程度、ちゃんとしたもので、それなりに良しというもの、そしてそこそこ安価なものです。こういうものは様々な大人の事情で、料理店を開いていない我々でも必要とすることはあります。会社に置くのはこういうものがベターであるとか、いろいろあります。必要不可欠なものだと思います。
1000円でも安くはないと思う方もおられると思いますが、紫砂壺を買うという観点からは無価値な価格です。大量生産品でない単品製作の場合は窯で焼成する費用だけでも1000円では間に合いません。工賃や泥代、流通料などは出ません。しかし一般にそれなりの急須を買う場合、スーパーで見ますと1000円前後で購入できます。上のものは100円ショップの商品で、工作は荒くはなりますがこれでも使用には問題ないと思います。これを100円で販売できるのですから、ある意味、天才的と言わざるを得ません。どのようなものであれ、これぐらいの価格帯だけしか接する機会がなかったのであれば「泥で水の味が変わる」というのは全く理解できないであろうと思います。実際百貨店に行って、陶磁器の販売所で作家物の何かを眺めて泥の傾向や釉薬の成分と味の関係について簡潔な質問をするだけで、ちょっとおかしな客だと思われてしまいます。かといって、水の味が変わるぐらいの陶磁器はかなり高価なので、普通は手に取ることもありませんから、そういうものに接する機会を得るだけで大変なことです。一方で魯山人の名言にもありますように「金持ちに目利きはいない」とも言われ、金が有りすぎると世の中のものが簡単に手に入り過ぎ、あらゆるものを軽んじてしまう傾向に陥りがちだとされます。こういう理由で本当に良いものを見出す人は少ないという状況なのだろうと思います。
安価な品は大抵は高温で硬く焼き締めてありますので、弾くと金属音がします。店頭で蓋を胎に打ち付けて確認する人がいるらしいですが、そういうことをして割れたら「不良品」とか言うのでしょうかね? 安い方が割れにくいんじゃないですか、世界のどんな陶磁器でも。正規の工程を踏んだ本物の紫砂壺は打ち付けると鈍い音がします。胎の中は適度に密度が低いので明瞭な音は鳴りません。薄胎の朱泥、薄胎はほとんどが朱泥ですが、割と大きめ、150ccとかそれぐらいになってくると低温で焼いたクラシックなタイプは使っていたら結構割れますからね。何万もする高価なものなので金継などするのですが、それを織り込み済みで購入するというぐらい割と脆いのです。この種の壺は特定の顧客にしか販売しないことがあるのはそのためです。温度差で割れるので冬場は掌で温めてから湯を注ぐなど気を遣います。本物の紫砂壺は100℃の湯を注いで耳を近づけると炭酸水のような音がします。湯が胎に染み込む音です。そして茶壺の外観は色が濃くなります。この時に蓋は閉めないでおきます。閉めずに耳を近づけるとよく聞こえます。しばらくしたら音は消えますので、それから蓋をしてみます。そうすると胎の色が濃くなっているのが蓋との比較でわかります(非常にわかりにくいものもあります。砂質が強いものはわかりにくい傾向はあります)。安価な紫砂壺はカチカチに焼いてあるものが多いですが、あまりに高温で焼くと泥が結晶化して磁器になってしまいます。安いのは養壺できないと言われるのはそのためです。古い壺を買った場合、気泡の音がしないものもあります。使っているとだんだん茶の油で詰まってきて、やがて音は出なくものもあるからです。新しい泥はまだ目が詰まっていないので吸水が激しいのですが、雑味だけでなく旨味も全て吸ってしまい、茶の味が全くしないことは普通です。そのためしばらくは茶につけたり鍋で壺ごと煮たりすることがあります。やがて雑味だけを吸うようになります。新しく買ってしばらくは味のない不味い茶を飲まされ、数日後に突然化けます。この化けるというのは中華伝統なんでしょうかね。二胡も化けますし、使って育てるというところに独特のものがあるような気がします。長く使って自分の色に染めていきます。そうしますと何とか早く化けさせようという考えになります。不味い茶壺で淹れるのもしんどいし、どうしても最初の処理が必要です。これを「開壺」と言います。茶壺を水で濯いだ後に熱湯を掛けて消毒し、湯を張った鍋に茶葉と茶壺を入れます。湯に茶葉を投入しているので良い香りがします。しかし茶壺を入れると香りは消えます。とりあえず少し混ぜながら1分ぐらいで茶壺を取り出し、鍋の茶を少し飲みますと全く味がしません。これぐらい吸われます。この道理であれば、茶壺を鍋で煮るのはあまり意味がないことがわかります。煮なくてもすぐに吸収するわけですし、如何にフレッシュな茶水を通すかが重要なわけですから、吸ったら捨てて乾燥のサイクルが重要ということになります。そうしますと結局は一般の使用法が一番良いということになります。数回も使っているとだんだん光沢も出てきて、湯を入れただけで香るようになります。これぐらいになると旨い茶が淹れられると思います。上記の過程に戻りまして、茶壺を茶湯に沈めるというところですが、これは好ましくないという人がいます。この見解では、外側はあまり茶を染み込ませない方が良いということで外は熱湯を注いで綺麗にしたりします。しかし最初は沈めるぐらいでないとなかなかすっきりしないのも確かです。辛抱強く何度も茶を淹れては捨てるを繰り返してから使う人もいます。磨くのも良くないとされます。すぐに光沢は出ますが、すぐにカセてくるしまだらになってしまうからです。茶壺を煮るのは多くの販売店が嫌がります。壊れる場合もあるからです。うちの壺は添加物を入れていないので煮ないで下さい、などと言われます。偽壺は湯を通すと異臭がしたりするので煮る人がいるのです。
何かをごまかすために表面処理をしている偽壺が必ずしも泥の質が悪いとは限りません。そもそも偽壺なんてものは明代からあるわけで、そんなに古いものなら泥が良いので偽だろうが何だろうが関係ないわけです。もちろん学術的見地からの真贋は博物館などにおいては重要ですが、我々には関係ありません。もし良くない泥だった場合でも勉強しておかないとまた同じようなものを摑まされるリスクを軽減する意味でしっかり見ておきたいものです。それから売っても構いません。なぜならそれは本当は価値があって自分がわかっていないだけかもしれないからです。他の人には素晴らしいかもしれず、変わった泥を探している人もいますので主観で判断することはできません。しかし明らかにどうしようもないものもあります。
泥が単一の鉱源のものではなく調合したり化合したりしているものを見分ける方法の1つは、その壺が育つかどうか、その効果でわかるとされます。「養壺」と言います。化合壺は清末より作られていて今でも大師と言われる人が、しかもコンクールに出品するような作品で化合泥を使い、隠すどころか普通に公表もするということがなされていますが、これは芸術面からは容認されます。なぜなら単一鉱であればバリエーションに乏しく、優良な泥は見栄えが冴えない傾向だからです。最新の技術を使って優れた作品を作りたいという方向で、泥も幅広く選択しています。調砂と言いまして、金粉など色々なものを混ぜてデザインにするようなものは清代からあって、その中には国宝級の作品すらあります。
そもそも育つとはどういうことなのでしょうか。最初は見た目からわかりやすく、表面が光沢で輝いてきます。早いものでは数回も使うと輝きが出ます。そして徐々に茶の味も良くなってきます。一般に外山料(丁山以外の周辺地域の泥。原鉱についてを参照)は養壺の効果があまり良くないとされます。実際、かなり時間がかかります。本山(丁山の泥。特に黄龍山を指す)は艶やかで美しくなりますが、外山は砂っぽい傾向です。外山も良いものがありますので、この要素だけで優劣は決められませんが、容易に輝く泥は珍しい、やっかいな茶渋対策という観点から考えると、汚れてくるどころか逆に輝くというのは凄いものなのです。そこが本山料の価値なのです。しかし最も重要なのは茶が旨いかどうかということです。外山は紫砂の発祥です。外山から歴史が始まっています。明代の壺などに憧れると外山の砂粒感がある方に魅力を感じたりします。野武士のような感じでしょうか。
中国の大手の茶商は紫砂茶壺を開壺してから販売するようです。このように店頭に並んでいる茶器は中を覗くと茶葉が少し残っているものさえあります。泥の匂いがすると嫌がる顧客がいるし処理は面倒でもあるので、少し茶を吸わせてから販売するということなのでしょう。
陸羽は「茶経」を著した茶聖と言われている大昔の偉い人です。現在はこのような形(下の写真)で、中国国家博物館に収められております。
我々が小学以来、縄文人について知っている特徴というのは、彼らが土器を製造するということです。やはり食べることは優先されるので、水や食料の保管のために土器は必要だったのだろうと思います。そしてこれらが朱泥だということも多くの人が知っています。鉛のような暗い、魅力的とは言い難い外観の無骨な壺が出土しています。中国の明清代の名壺も同様に鉛のような色です。優れた泥は冴えません。鈍い外観です。そして中国の紫砂は水が浸透します。やはり「砂」なのです。さらに内陸に入ってチベット圏に到達しますと「黒砂」というものがあちこちから採掘されています。原始時代からですが、この辺りでは朱泥は出ないようで、代わりに黒泥を使っていますが、これがまた優れているということで土鍋や漢方用の煮鍋に使われています。これは非常に水を吸います。水を貯めて置いておくと水が底から漏れてくるぐらいです。まさに砂なのです。実際の色は濃いグレーです。これがまた外観が冴えません。レンガのような死んだような佇まいです。これは最初に麺や粥を炊いて一晩放置し、漏れ止めをしっかりしてから使います。強火は割れますので中火以下で扱いますが、時々強火を浴びせると、外表面から泡と水を吹きます。汗のように染み出してきます。加減して徐々にやります。粥などの粘着質のものに変わってきたら火を止めて放置します。翌日には塞がっています。一回これをやるとそれ以降は普通に料理に使うことができます。面倒なので購入時に追加料金を払ってやってもらう人もいます。黒砂で鍋をやると味がとても良いのですが、日本人は中国でいう清湯よりも、もっと湯に近い、ほとんど湯だけで鍋をやることもあるし、何れにしても中国のようにいろんな香辛料を入れたりはしませんから、しばらくするとまた水が漏れてきます。最後は必ずおじやをやるとか気をつけないといけないので面倒です。日本人はやはり萬古焼でしょう(最高のものは伊賀焼だと言われますがほとんど同じものだと思います)。これは漏れないように作ってあります。紫砂も水は漏れるものがありますが、小さいし茶を飲む時だけですので気にする人はいません。この吸水性は中国陶器の1つの特徴と言えると思います。
カオリンを含む白磁はクリームのようにぼってりとしています。写真の例は上2つは九谷の急須の蓋と胎の内側ですが、これだけ厚みがあると茶が甘くなります。左の例はインスタントコーヒーを入れているものは宜興の白磁で、黒緑石のスプーンを使っています。ステンレスでは味が変わってしまいますので使用していません。銀が一番良いようです。この白磁も先ほどの九谷と同様ですが、こちらの方が本物のクリームのような厚みがあります。これぐらいになってくると砂糖は不要と思えるぐらい甘くなります。鉱物成分が水に溶け出す訳ではありません。遠赤外線みたいなものだと思ってもらって良いと思います。蓋碗は汝窑ですがこれもコーヒーや紅茶、緑茶が甘くなります。蓋碗は杯に使えますし急須の代わりにもなりますので場所を取らずに良いものです。白磁の効果はかなり強力で驚かされる程ですので、逆にそれが理由で使えない茶も(ほとんどありませんが)一部はあるだろうと思います。優れた白磁の見分け方でよく言われるのは、水の乗りが違うということです。普通は水で濡れる感じになりますが、優れた白磁は朝露のように水を適度に弾いて乗せているように見えます。
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