宜興レポート - 二胡弦堂

 

 無錫郊外にあります宜興市よりさらに南に丁山という田舎街があります。ここが世界の茶人から「宜興」と呼ばれている場所です。

 丁山市内に黄龍山があります。ここから良質の泥が採れます。その西側に青龍山があってそれが写真の場所です。湖ですがこれを「山」と呼んでいます。かつては山だったのですが、掘り尽くされて湖になっているからです。湖なのに山と呼ばれている世界でも稀なところです。黄龍山も同じく湖になっています。青龍山は基本的に石灰しか採れないので開放しています。黄龍山は厳重に囲ってあり入ることはできませんが、ほとんど同じような状態です。

 丁山市内を歩きますと、泥を売る専門店が結構あります。茶壺の制作家が多いからです。泥は丁山では採掘禁止ですから他の地域から運んできたりとか人工的に化合したりしているようです。倉庫のようになっているところや店舗のようになっているところなど様々です。店舗では泥の見本がかなり置いてあり、店頭には泥として使用する岩が積んであったりします。こういう岩は基本的には商品ではなく、これを崩して粉砕し、しばらく寝かせますので、商品としては制作に使える泥を販売しています。セメントの袋のようなもので販売したり、小学の工作の授業で使うようなブロック状の粘土の塊であったり様々です。

 丁山のメインストリートは茶壺の販売店がたくさん並んでいます。しかし「紫砂名壺」や「文革早期」といったような表示が見られるのはこの街だけではありません。中国全土の骨董店で見かけられる表示です。紫砂とは宜興とその郊外で産出している泥のことです。黄龍山の泥を使用した茶壺は現在ではほとんど作られていないので古いものから探すことになりますが、文革期まで遡ると入手できます。また価格も一番こなれているので質とコストのバランスにうるさい中国人に人気の年代です。「回流」ともあります。宜興茶壺は昔から東南アジアを中心に外国にも輸出していましたので、質の高いもの、しかし現在外国では評価されない類のものをまた中国市場に戻す動きもあります。出土品専門の店もあります。土がコテコテにへばりついた壺がたくさん並んでいます。

 宜興は紫砂以外に、白磁、有名なものでは青磁もあります。青磁も紫砂と同様、丁山市内で専門の博物館が建てられる程です。青磁は古代より王侯貴族に好まれ、宋代の汝窑、朝鮮青磁、日本でも鍋島藩が伊万里とは別に山奥に隔離された村を作って技術の漏洩を防ぎ、そこで生産された青磁は宮廷や幕府に納められていたと言われており、また御三家の尾張藩が名古屋城内に窯を作って幕府御用達の青磁を生産していたと言われています。上海の骨董街に行くと「朝鮮青磁あります」という表示が多く、現代でも人気があります。

 茶壺の販売店の多くは工房も併設しており、店内で製作中の風景を見ることができます。制作に従事しているのは家族が多く、とにかく男は働かない傾向があります。現代作品の多くは女性によって作られているのではないかというのは、こういうところを巡ると感じられます。

 大工場もあります。主に普及品などはこういうところで作られているのではないかと思います。

宜興紫砂博物館内の販売所

 宜興紫砂博物館へお邪魔します。往年の有名な作家のものは見かけることも難しいのですが、博物館に行くと観察することができます。使われている泥の標本はネットでも見つかりますが、パソコンの画面に写ったものと現物は違いますので、直に本物の肌あいを確認しようと思えば博物館で見るしかありません(しかし一部の書籍は泥の様子がわかることを重視して撮影しているものもあります)。現代では見られないであろう類の肌あいです。鉛のような重厚感があります。こういうものを見るとかつての宜興産の泥はやはり特別なものだったのだろうと感じられます。

王寅春の茶壺2座

 代表的な紫砂関係の博物館は以下のマップで表示しています。特に素晴らしいと言われているのは香港茶具文物館です。

  1. 中国国家博物館
  2. 南京博物院
  3. 無錫帅元紫砂博物館
  4. 一雍紫砂博物館
  5. 香港茶具文物館
  6. 国立台湾博物館


 百度地図のストリートビューで2018年当時の黄龍山を見てみます。


 まず位置の確認ですが、Aは上の写真でも紹介しました青龍山、Bは朱泥の産地・趙庄です。Cが黄龍山です。Dに奉行所のような門があります。そして塀越しに「枯渇している」とされるお宝が丸見えです。しかし地中深くで圧迫されている泥に価値があり、地表のものは使用しません。この塀はそんなに古いものではなく、以前は岩山にはすぐに入れる状態でした。全く囲いはなく、黄龍山で泳ぐ人もいたとのことです。





 Eまで侵入しますと、突き当りには掘削用と思われる車両が置いてあります。




 少し戻ってFには入り口があり、ここを入ると黄龍山には障害なしに入れます。本当の入り口はここなのでしょう。立て札には「侵入、見学禁止」という趣旨のことが書いてあります。掘削車両類をここに置くのは具合が悪いのでもっと奥のE地点に置いているのだと思われます。この周囲は集落なので、作業員も住んでいると思われます。



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