茶葉について - 二胡弦堂

 

 一般の市場で最も容易に上質の茶が手に入るのは日本だと思います。しかもネットで割と簡単に買えます。台湾や中国の茶でも、現地に行くよりも日本で購入した方が簡単に入手できると思います。日本人というのは実に世界どこでも行く民族で、いかに山奥だろうが構わず向かうはまだ序の口、現地人の仕事に問題を認めるやそこに介入してでも、さらには自分で栽培してでも良質のものを求めます。そういったものが少なくないということと、一定の規模の市場があるので、価格も安定しています。

 北京は特殊な都市で、非常に安いものと非常に高価なものに需要が集中しているところです。首都ですし、社交が非常に重要なところですから、貴重な茶葉の需要が多く、経費ですからすぐに買えるなら幾らでも出すという人が多いです。そういう市場ですので、物は北京入りするやたちまち高騰します。そうしますと上質なものは必然的に北京に集まります。そして買ってもらえるところに提供されます。一般の人にとっては良質の茶葉は非常に入手が困難になります。それでも北京に住んでいれば貰えることだったらあります。贈り物を渡される立場であれば手に入るからです。それでも自分で買うのは難しいのです。例えば、2017年新茶の西湖龍井を北京で購入する場合、下に掲載しているリストを見てください。これは行きつけの茶店が送って参りました価格表です(特殊な顧客用のリストなので何も言わないと送ってきませんから今回の掲載のためにこちらから要求して送って貰いました)。500gの価格で、一番安いもので1万円を超えています。一番良いものは20万円以上出せば買えるみたいですね。こういう茶店が産地で買い付けている点は、中国も日本も同じですが、日本の茶商が同じものを買って日本でこういう価格を付けることはありませんね。日本は成熟した良い市場だと思います。納品期間が10日ほどの幅があります。3月20日からの早摘みのものは高価です。

 確かに高級茶はたいへん素晴らしいですし、1万円と20万円の茶では確かに違いはありますが、だからといって、そこまでの差はあるのか、1万円でも十分ではなかろうか、とこうなってきて、そのうちよくわかってくると段々と安い茶に戻っていく傾向はあります。台湾の茶店の人々は客がいないと一日中、茶を飲みながらウダウダ怠けて麻雀したりカードをやったりと無為に過ごしますが(男は働かず女性が働くのは途上国はどこも同じです)、その時に彼らが決まって淹れているのは一番安いジャスミン茶です。他のものは見たことがないですね。節約するのだったら白湯でも飲むでしょうし、どうせ淹れるのだったら安く仕入れられるのだからもう少しマシなものを淹れれば良かろうとも思えます。そこで一回ちょっかいを出してみようという気になり、彼らお気に入りの茶を一杯頂きます。なるほど、そういうことか、扱いを十分に識っている人が淹れると全く違うらしい、とても美味しいのです。確かに高級茶に感じられる品とか喉越しや味わいはないのですが、確実に茶葉が持っているものを的確に引き出すと、もうこれでいいのではないかと思うぐらいのクォリティだったらあるのです。それどころか、違いは質ではなく、単に別の種類のものに過ぎない、安い茶には高級茶にはない別のものがあるぐらいの気持ちにさえなってくるのです。しかし女性はそうは思わない、こういう考え方はしません。世界共通ではないでしょうか。頭の構造が違う、難解ですのでこれは扱いませんが、ひどいものを市場に出している訳ではないのですから、水や茶器の扱い次第で如何様にも充分に楽しめるということなのだと勉強になった一件でした。安い茶の方が味に飽きがこないという面も少なからずあるので、台湾の茶店の人々はベストの選択としてああいった茶の選び方をしているのではないかぐらいに思ったものです。

 北京では茶を買いに来た客は雑談して帰りますので、その時に新入荷の茶などが紹介され、次から次と茶を出して来てはお腹一杯に膨れるまで飲ませてくれます。茶店の提供する茶は旨いので断りにくい、出されたらどうしてもどんどん飲んでしまうんですね。もう何回も行っていれば買うのが決まっているのですぐに帰ろうとすると「飲んで行け」と言われ、またたくさん飲んで帰ります。そういう感じなので、北京の茶店の店主はだいたい出がらしを飲んでいます。客に提供するのでは、まだまだ淹れられるから捨てずに自分で飲むのです。図らずもそこを急襲した格好になると、その出がらしを「まず一杯」といって飲ませてくれます。自分が茶を買って家で淹れるなら最後まで出し切って飲みきるのは同じなので、自分が淹れた出がらしと茶店のそれにどんな違いがあるかを考えて飲みます。夏場であれば、茶店で即出された茶が如何に薄かろうとも旨いので、必ずしも茶店の印象と家で自分で扱った分に違いがあっても気にしませんし、茶器も違うのでそれほど神経質に捉えることはありません。それでも茶店の扱いはその茶葉の本質を捉えているので十分に興味深いものはあると思います。

 産地に茶葉を買い付けにいくという強者はいるのでしょうか。よほどたくさん買わないとペイできないと思うのでなかなかそこまでやる人はいないのでしょうけれども、知り合いの中国人で旅行に行ったついでに農家を訪問して持ち帰るという人もいます。産地の中には観光地というところもあるので、土産物通りに農家が直営店を出している場合もあります。北京での周囲の中国人らに「農家はどうやって見つけるの?」と質問してみます。回答はだいたい同じで「わからない。行ったらある」などと言います。「有名な茶だからウィキ見たらどこで栽培してるかわかるし、むしろ無名の方が見つけるのは大変。適当に行ったらあるし、わからなくなることは普通はない」そうです。確かにその通りと思います。買いに来る人は結構いるので表示も多いからです。旅行慣れしている人であれば、こういうのもまた面白いようです。コンパクトなガラスか白磁の蓋碗と杯を持ち込んで、ホテルに戻った時にテイストできるようにしておくのがお勧めです。そうすれば、あちこちでこれと思うものを少量ずつ買っておき、宿に戻った時に冷静に確認することができます。湯は宿で貰えばいいし、茶の産地の水は美味しいことが多いと思います。茶器の現地調達は好ましくありません。仕事が1つ増えるし、そもそも山奥で売っているところを見つけるのは大変なことです。自分がすでに慣れている茶器を持っておくのが良いと思います。容量の少ないノーマルな特性の茶器があれば普段から新しく買った茶の素性を確認するのに使えますから、そのパターンを習慣的に憶えてから出かけるのが良いと思います。


 福建省武夷山に正山堂という会社があります。現在の武夷山茶は世界から求められますので実際には武夷山周辺の広大な地域で栽培されていますが、伝統的なものは武夷山で製造されているものです。正山堂は何百年も前から武夷山に土地を持っており高級茶を作っています。茶産業としては武夷山だけでは土地が狭いので他の土地も使わねばならず、その中で如何に優れた茶を製造するか相当研究されていますが、偽物ではないにしても正統的なものではないとは言えると思います。それらは正山堂観点の言い方では偽になるわけですが、上の正山堂が公開している図では偽は山寨版、自社の茶は真品と表記しています。开水というのは沸騰水のことですが、ここでは水色の比較のために置いています。右から1煎目で10煎超えても真品は変わっていません。高級茶をもらいますと、10煎どころか30煎ぐらい淹れられるものは結構あります。そんなに飲めないので3~5日かかりますが、最後の出がらしでも旨いので高級茶が実際のところ本当に高いのかはわかりません。早く果ててしまう山寨版のようなものは不経済のような気はしますので高い方がいいのかなと悩みますが、茶は滅多に買わない、一回買うとしばらくあるのでそのうち忘れます。勉強のために変えたりもしますしね。だけどこの図は悪意があります。幾ら安価な茶とはいえ、1煎目からこんなに濃くは出しません。真品は潮州伝統の工夫茶という方法で淹れています。湯を注いだらすぐに出すを徹底します。それだけです。しばらく置いたりしません。そうしますと茶がしっかり出ないのではないでしょうか。それで真品は5,6煎目が濃くなっています。こうすると全体を通して苦味が出ません。食事の時でも最初にさらっとした薄いので潤し、途中で濃くなって来て、食後はまた違った意味で薄いのを飲むというこの変化が実によくマッチするのです。安価な茶は5,6煎ぐらいでへたってきますが、一般の餐館ではこれぐらいで良いと思いますので適材適所なのでしょう。

 右の映像は上海で特級を得た茶の、プロが参加する品評会です。下は武夷山、地元での品評会です。茶に関わっている人が多いので勉強会も兼ねていると思います。お祭りのような感じでやっています。上はわかりません。カンフー映画のような演出です。

 中国の緑茶は、これにはジャスミン茶も含まれますが、グラスで淹れる場合は扱い方が異なります。中国の多くの茶館では写真のように背の高いグラスで緑茶が提供されます。そして服務員が巡回して頻繁に湯を足します。中国緑茶はこうして少なくとも6,7杯は飲みますが、上澄みだけを飲みます。撹拌するのはこうして湯を注ぐ時だけで、後は沈むのを待って上澄み、そしてまた湯を足すを繰り返します。最後は全部飲み干して、茶葉を食べる人もいます。最初から全部飲んでしまうと、底の方は苦いだけでなく、茶も抽出されなくなります。自分でグラスを揺すって攪拌するのもいけません。しかし湯を注ぐ時には高いところから勢いよく注いで攪拌します。そして茶葉が沈んだらまた上澄みだけを飲みます。茶葉はすべて沈み切ることはない場合が多いので浮いたものを一緒に飲んでしまうか、蓋碗を使うこともあります。蓋碗の蓋で茶葉を除けながらすするか、茶杯に注ぎます。グラスへの湯の注ぎ方写真例はグラスに茶葉を放り込み、湯を注いだすぐの状態です。この状態では茶葉のほとんどが浮いています。徐々に茶葉が底に落ちていきます。ほとんど落ちましたら上澄みを飲むのですが、そうしますとそれなりに待ちますので上の方まで濃くなっていますが、上部はちょうど良いです。蓋碗であればすぐに飲めますので全部飲み干してから次の湯を注ぎます。グラスの方が使う茶葉の量も多くなります。また、緑茶の味をまろやかにする泥もありますので紫砂を使うこともあります。この場合は茶葉毎に茶壺との相性を確認する必要があります。グラスか蓋碗を使うのが相性を考えることもなく手堅く淹れられると思います。ヤカンから湯を注ぐという一見簡単に見える作業も極めれば奥が深いようでコンクールまであります。コンクールで使われるのは人間の身長ぐらいもある長いジョウロですが、これは湯を適度に冷ます目的があります。緑茶をグラスに注いだばかりコーヒーも同様の細いジョウロを使いますが、この場合はゆっくりとコーヒーを抽出するために使われます。しかし中国緑茶の場合は勢いよく注がれます。ですから管はまっすぐです。細い湯を注いで底から攪拌します。高級店ではこのジョウロをカンフー式に振り回す演出もあります。現代のコンクールではこの曲芸が審査されます。一般の家庭や職場、茶店でも、もっと短いものも含め、このような細いジョウロを置いているところはほとんどないと思います。しかし底から攪拌せねばならない原則は変わりません。

 茶は等級でランクされています。一般に等級で買うというのは高級茶で、普通は等級なんてものはわからない、店で聞いても言わないと思いますし、目の前の茶が4級か6級かあるいは2級なのか聞いてもしょうがないのでどうでも良いと思います。自分が気に入るかどうかなので。等級がどれぐらいからあるのかわかりませんが、一般に提示されるのは3級から上だと思います。1級の上に特級があってさらにその上が出る年もあります。高度な湯の注ぎ方3級相当ぐらいの茶を買ってはしばらく飲んでいると、そこで後からふとある機会に高級茶を貰います。旨いので貰った人に購入先を聞きます。大抵はその人も貰っているので尋ねて尋ねてずっと辿ってついに茶農家まで行き着きます。農家の連絡先が来ますのでちょっと聞いてみます。1斤500元です。1級相当と思われます。20煎以上はいけますので全然なくなってきません。価格は3倍以上です。3級は6,7煎で果てます。結局一緒なのか、一見すると新しい茶葉にどんどん変えられる3級の方が有利に見えます。しかし実際に淹れると全然1級の方が良い、ほとんどの人がそう思うと思います。特級は1級と飲める量は変わらないですが(大阪の主婦の会話みたいな世故い話ばかりで申し訳ないですが)、質が違って来ます。だから特級なのかもしれません。1級以下は質だけでなく飲める量でも値段ごとに上がって来ます。普洱茶等例外はともかく、大体の茶はそういう傾向があると思います。

 安価な茶葉といえば、インドのCTC紅茶が有名です。英国が茶を中国から買い付け、銀が乏しくなってきたことによって代わりにアヘンで支払いをするようになり最終的に戦争に至ったのですが、インドは英国領なので、こちらでも茶を栽培することで供給を賄ったのが始まりです。大英帝国は人口が多く、インド領だけでも相当なので、安価な茶を大量に供給する必要から、これをどのようにして美味しく飲むかを追求された結果、茶葉を傷つければ良いのではないか、これをCTCとして区別されています。Crush クラッシュ、Tear ティアー(引き裂く)、Curl カール(丸める)の頭文字を採ったものです。とても苦い茶が抽出されますが、しかしインド式のチャイを作る場合はこれでないとあの味が出ないとされ、一般的な紅茶リーフティーでチャイを作るのでは違ったものになってしまいます。どのようなものもそれなりに扱い方があるということでしょうね。このようにして極めて安価に飲めますが、独特の濃厚なミルクティーが生み出されました。これは安価な茶葉を善用した一例ですが、安価なものは安価なもので活きる道があるということは他の茶にも言えると思います。チャイほどではないにしてもそれなりに扱いは変わってくるということです。神田神保町にはカレー店が結構あります。東京メトロ神保町駅のすぐそばにインド人で運営されているシディークさんがあります。メニューにチャイがあったので「これはインドと同じですか?」と3回確認して注文したものです。コックさんは「なんだこの変な人は?」という感じで弱々しく「そうです」と答えていました。しかしなぜか砂糖が添えてあります。普通チャイの場合、初めからがっつり入れて持ってくる筈です。異国に合わせたのでしょうね。ちょっと違ったものだったかもしれませんが、そこはインド人、結構近いものではありましたね。

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