この二胡はすでに販売済みなので、以降は同じタイプの特注になります。しかしデザインは細かく変化し続けていて止まってはいないのは当工房ならではです。どんどん挑戦する感じで頭の中で古いものには戻れないとのことなので、写真と同じものは作れそうにありません。材は600~700年の古材です。印度紫檀を含めその他の材は使用できません。製造は相当な時間がかかると思われ、納期の指定はできません。あらゆる点でおまかせが基本のところなのであまり注文には留意しません(21.02.17)
竹節をデザインした二胡です。「無心」と名付けられています。竹は中が空なので、無我の境地を体現するものとして関連性を求めたものとのことです。これは作られた当時の2016年に見た時にはかなり硬めの音で、古風な響き、古い北京二胡の薫りがしました。材は明代のものが使用され写真例は現在保管してある中で比較的近いものということです。実際に使われた材では2把製作しています。ところが2年を経過していろんな人が演奏して帰るを繰り返してきた当個体は、普通の呂建華二胡になってしまっていました。しかし原因は明確にあって、本作を注意深く見ていただきますと、駒は二胡用ではなく板胡のものが使われています。これで演奏した上で「二胡用に変えてもいいですか」と聞くと呂建華師曰く「ダメ」との事でした。全然合わないということだったのですが、ところが2年を経過してもう一度見ると二胡用の駒に変えられています。これには当然「なんで?」と聞きますが、呂建華師「二胡だから」・・以前どんな駒を使っていたのかを忘れたのかもしれない、そんな筈はない、ともかく普通の二胡として扱われるように変わっていました。それでも特に問題はないのでそれ以上追求する必要はなかったのですが、だけど以前の竹駒の音はどうなったのかはたいへん気になります。そこで後で交換すると、これはやはり戯劇調の音がします。以前よりは角がとれていますが、基本的には以前のままです。最初に発注した人が竹駒で使いたかったので合うように蛇皮を貼ったものの、それでは特殊なものになってしまって誰も要らなくなります。それで皮が馴染んできてから二胡駒に変えたのかもしれません。そういった経緯から今でも、といってもまだ化けているわけではない新琴と言っても良い段階ですが、この個体に関しては竹の方が良いと思います。
二胡と同じ蛇皮では四胡が竹で、皮が違っても京胡、板胡他も竹と、竹駒が多用される戯劇の方に偏った音になります。竹が合うのだったら村山駒の黄楊も合うだろうと思ってチビ駒があったので試すとこちらの方が扱いやすい印象でした。楓や欅もいけるでしょう。写真例は北京の楽器街で購入可能な駒で左2つは黄楊、右2つは竹です。二胡用は左端の黄楊のみです。尚、以降作られるものに関しては何も言わなければ二胡として蛇皮が調整される筈です。戯劇味の方が良いという場合もそのように伝えれば可能でしょう。しかしいずれの場合も古典的な音にしたいとのことです。
呂建華師は自宅のショーケースの中に1把自作の板胡を置いています。これもずっとあって誰も買わないようなので不思議だと前から思っていました。呂建華師は弦堂に「板胡もあるよ」とだけ告げて渡し、弦堂が音を出してすぐに止めて眺めると何かわかったと思ったらしく「これは劉明源の板胡のコピーで、彼がオーダーして作った楽器のあの音が出せるようになっている」と言います。そうなのです。音を完全コピーして劉明源サウンドが確実に出るようになっているのです。しかし弦堂は20世紀末に亡くなった劉明源の生の音は聴いたことがありません。録音の音しか知りません。一方、呂建華師は劉明源の葬儀にも参加している関係です。呂建華師のところに来て劉明源が楽器を試奏することもあったのです。だけど録音で今でも聞かれるあの音が出るのです。生で聴いても同じだったのでしょうか。そういうものを敢えて作ったのかもしれません。録音しやすい音を考えて、採りにくい響きは出ないように工夫したことは考えられます。これはノウハウを劉明源から直接聞いたから可能だったのかもしれません。その研究は本作に反映されているかもしれない、呂建華師が意識していなくてもそういう積み重ねが二胡からも戯劇の音を引き出すことに繋がったであろうと考えられます。ちなみに、この板胡が売れない理由は明白です。板胡奏者は呂建華師の家には行かないからです。劉明源のサウンドを引っさげて演奏というのもきついでしょうし。しかし裕福な人が次々に来るここでこれが売れないのはやはり謎ではあります。
話が戻りますが、この二胡は趙寒陽さんの本の表紙に使われているということで参考に掲載いたしました。趙寒陽さんが来られて撮影に使われたとのことで、この本のシリーズでは呂建華工房からはもう1つ別の二胡も撮影され、そちらは第13巻で使用されました。
価格は結構高価だと思います。呂建華師邸で保管されてきた当個体はずっと売れていなくてショーケースに入れっぱなしになっていました。以前はもっとはるかに高価で3倍ぐらいだったのですが、かなりの自信作でもあったし弦堂も本作の素晴らしい風格に感激しましたが、価格を聞くなり急にトーンダウン、いつしかガラス越しに見るだけになっておりましたが、そういう訪問者は多かったらしく、そのためかだんだんと、だけどすごく下がってきて、もうこれ以上はちょっと・・と言うところまで来て尚、まだこの価格なのか?という感じがします。しかし話を聞くとこれで適正価格なのは納得のところなので、それで本欄に参考出品しました。再度同じタイプを作ることは可能とのことなので限定品のような類のものではないですが、あまりに売れなくて限定品化してしまっております。そこでこの話を呂建華師に伺いますと事実は少し違いましたので、それはこの先に回します。
弦堂個人の見解ではこれは博物館が収蔵しておいた方が良いのではないかとさえ思うぐらいの出来栄えです。収蔵価値のあるものはほとんど出ないので尚更です。実際のところどうなのかわかりませんが、もし収蔵されていないとすればこれは国からのオーダーだったのではないか、呂建華は礼物として使われるからですが、それは明らかにできない筈です。竹のデザインですから中華のイメージに合致しているし、呂建華がこの種の作品を作る傾向がある人物であれば他にもある筈が突然これだけ出てきて終わっているというのは不自然です。当初の価格が高すぎた(国がオーダーしたものは様々な理由で安い方が問題ある)という点も唐突であるし、木工に適材適所的に優秀な人物を起用している、この人物が公開できないのも理由があってのことですが(聞けばなるほどと思うような単純な理由ですが)、文化部の主導であれば全てが理解できるのです。外国首脳に贈るためのお飾り二胡なのか? この音を外人が理解できるのか? いずれにしても、そういう類の製作物である可能性は高いと思います。礼物でスペアを作っておくのも常識ですから、この1把だけがなぜか残っている点も十分に理解できます。貰うのだったらすごく嬉しいけれども、自分で買うとなると急に食指が動かなくなる類のものというのはありますね。そういうものなのではないか? 中国富豪からすると元の値段でも問題ない筈ですからね。売れないのは価格が理由ではないでしょう。女性に贈れるデザインでもないし、おじさんにもちょっとってなるし、そもそも立派過ぎるし、どこかに贈るにしても行き先がないというどうしようもない側面はあるのでしょう。しかし国家間の礼物であればちょうど良い感じなのです。また竹のデザインのような中華過ぎるデザインは中国人には人気は出ないでしょう。どう見ても外国を意識したものという気がするのです。工作もこれだけ精緻であれば、アラブ人が相手でも問題なかったでしょう。
製作されてから2年後の写真を下に掲載してありますが、弦軸の部分は2年前に製作されたポスターの写真と並べています。上の写真も色合いを極力近づけているのですが、以前は赤っぽかったのが今ではすっかり茶色になってしまっています。色が黒くなっています。呂建華師によると湿度が多い方が進行が速いとのことです。今後もっと深化してくるでしょう。老紅木であればいずれもこのようになる筈です。
呂建華師にこの二胡の購入を申し出ると「購入しない方が良い」と回答され、その理由は曰く「デザインが良くない。我々は再度思考し新デザインを考案したが発注者には納入した後だったのでそれについては諦め、以降は変更したデザインで作ることになった。最初に作られたのは2把で1把は収蔵され、もう1把はあなたが今持っている。新デザインで発注するのはいかが?」とのことでした。同じように薦められてその新デザインで購入した人物がすでにいるらしく、その写真が呂建華師の携帯の中に残っていました。それが下のものです。違いとしては琴棹の先端のデザイン、弦軸のスタイルがより笹の葉に近くなった、花窓の意匠が簡略化され以前の煩雑な印象を脱したという点です。竹の節に関しては現物を持ってきて削るとのことで、毎回違ったものになるようです。確かに新しい方が良いかもしれません。それに、同じ竹のデザインであっても新しい方が中国人には評価されるでしょう。そしてこの段取りでこれまで何人の人が購入したのかわかりません。現品は購入するなと言われましたけれど、これは無理言って持ち帰りました。それで今後の見本在庫として新デザインで1把製作されるかもしれません。最初の発注者ですがこれはまだ謎です。一応、呂建華には「その最初の1把を収蔵したのは誰?」と聞きましたが「台湾人」とだけ答えました。そこは詳しく聞かれたくないようなのですが、しかし他の件だったらどんどん言うのです。その辺のプライバシーはない国なので、有名な人であろうが次々と名前を出すのが常なのです。その日も別のデザインについて聞くと、誰が最初に発注し、後に台湾人のこの人が買ったとかネットで写真やブログを表示して詳しく説明してくれるのです。竹節二胡に関してだけは何も話せないのです。新デザインはオーダーがある毎に1把しか作っておりませんが、呂建華工房は基本的にオーダーですからオーダーが来た分だけ作るのが常なのです。余分に作ることなどないのです。思うに、初めから新デザインはあったが、国家の発注であれば旧デザインになるのではないか、相手先の大使館関係者が決めるので、それがもし日本であれば、日本人は旧デザインの方を好む可能性は高いでしょう。だけど2016年に日中間で特にメモリアルなことはなかった気がします。日本からの発注かもしれないし、そうすると政治家、官僚、民間人のいずれでもない、もっと上の人たちの発注になるし、この方々は二胡は大好きだと伺っています。この辺は東京在住の方であればもっと詳しいでしょう。このような場合、呂建華製であることを示す全ての要素は省かれ、来賓の場合であれば例えば「釣魚台迎賓館贈」とかそういう銘は入れられる可能性はあります。呂建華としては本当に作りたい雰囲気のものは初めから新デザインだったのではないかという気がします。しかし全ては予測に過ぎません。これ以上は皆さんのご想像にお任せいたしましょう。
呂建華師が弦堂に新デザインで発注するようにと言った時に薦めたのがアフリカ紫檀でした。下の例もアフリカ紫檀でしょう。製作できるのは他に、黒檀、老紅木に限られるとのことですが、この2種の材は小店で販売しているので、アフリカ紫檀の写真でわかりやすいものをここに追加しておきます。弦堂はなるべく現代のアフリカ材は避けて販売していますが、呂建華師は大好きです。それではということで1つ写真を撮らせていただいたのですが、その後「これは12月の国家大劇院で姜建华の演奏会で使われる。そのうち取りに来る」と発言されます。これぐらい堂々と喋られます。弦堂がアフリカ紫檀嫌いということも踏まえての発言でしょうけれども、しょっちゅう説得される気がするのでだんだん「悪くないかもしれない」とは思うようになってきています。いわゆる洗脳でしょうかね? 演奏会で使われるのがわかっていたら遠慮して別のを撮影させていただいていたのですが、その辺は呂建華師もわかっているから、この順序で喋られたのでしょうけれども、これぐらいだったらまあいいかということでそのまま貼らせていただきました。喋る方が宣伝になって良いのでしょうね。弦堂が85万の分に関して最初に「いやー、随分黒くなりましたね。赤かったですよね」などと言ったのでアフリカ材だったらこれぐらいビロードのように綺麗な赤が出る、と薦められたのです。赤が好きだと思われたのでしょうね。それにしてもショッキングな程、黒ずんでましたからね。確かに赤はいいですね。弦堂が姜建華アフリカ材について「これは完成して何ヶ月ですか?」と聞くと「3ヶ月」とのことでした。インド紫檀もチョコレート色になるし、赤に拘るとアフリカ材なのでしょう。黒檀だと音味が外観と合わない気がする他に、竹の模様が見えにくくてよくわからないということになりかねません。そうなってくると2種のみに絞られてしまいます。呂建華師は安価な材を嫌っており、今回も酸枝で作れないかと打診しましたが、言い終わる前に断られました。「この素晴らしいデザインをより手軽に入手できるようにするのは有益」と説得するも「材が無益」と反発されていました。しかし呂建華師が使う酸枝はすごく良いのです。デザインコストと材の価格が大きく釣り合わないのでしょう。それでも良いと思うのですが、非常に嫌っているので難しいでしょう。そうなってくると、この二胡は高価なものとの認識で今後も行くしかありません。